5話-③ アイデンティティ
外に出ると、空は憎たらしいほどの快晴だった。
どこまでも青く、太陽は無邪気に僕を暖かく照らしている。陽光が心の中の暗闇を照らすようで、逆に不快だった。
後ろ髪を引かれるかのように、もう一度洞穴の方を振り返ると、足元で僕の影が同じように動く。
どうしていいか判らずにその場で立ちすくむ。
今あったことを全てスゥスとネユさんに伝えるべきだろうか。
心の奥底で何かが蠢いていた。その正体ははっきりとは判らない。それは恐怖か、それとも後悔か。いや、もっと別の、得体の知れない感情。
兄さんの気迫の前で、何もできなかった自分だけがここにいる。
しばらくして隣の洞穴へと向かう。
兄さんを探す理由はもうなかったはずだ。それでも、いるはずのない兄さんの気配を探して、『ヴェデリア』のアジトを隅々まで調査した。
結局、何も見つからなかった。最後の洞穴まで調査を終えた頃、スゥスと合流する。
「何かめぼしいものはなかったですか?」
合流したスゥスが訊ねてくる。その声はいつものように落ち着いている。
「……うん」
答えながら、喉に刺さるような罪悪感が広がる。兄さんを庇うつもりはなかった。言葉が見つからないだけだった。
「そしたら、この場所にはもう用はありませんし、憲兵に引き渡しますか」
スゥスは淡々と話し、そそくさと帰り支度を始める。
「あの、スゥス……」
思わず口を開いた。心の中で渦巻く感情を吐き出したかった。
「はい?」
「いや、何でもないや」
酷く身体が重たかった。どうしても、スゥスの目を見れなかった。見るのが怖かった。自分が怖かった。
「……? そうですか」
スゥスは首を傾げながらも、帰り支度を再開する。その背中を見送りながら、僕は酷く身体が重たく感じていた。
トンネルを抜けて巣跡を出て、森の獣道を歩いて馬車道まで向かう。それから待機していた馬車に乗り込んで、一時間弱かけてネユさんの家の近くまでたどり着く。
ネユさんの家は機密事項だから、馬車の御者にも場所は教えていない。家の近くとはいえ、そこからも数十分ほど歩く必要がある。
「何もなかったので私は本部まで直接戻ります。ネユに報告をお願いします」
スゥスが降り際にそう言った。
「わかった」
僕が応えると、馬車の扉が閉まり、再び走り出していった。
静かになった森の中。ここの場所から何度もネユさんの家に帰っているから、もう迷うことはない。
だけど僕はネユさんの家とは反対方向に歩き始める。何か考えがあったわけではない。
衝動的に身体を動かしたくなった。身体を前傾姿勢にして、森の中をがむしゃらに走り抜けていく。
不規則に並ぶ木が目まぐるしく移り変わっていって、遠近感を狂わせた。右に曲がるのも、左に進むのも、どうでもよかった。
初めてネユさんから魔導士なったと告げられたときのことを思い出す。僕はたしかに動揺していた。
忌み嫌うものに自分がなってしまったことに怒りを覚えたし、魔法を使える自分が怖かった。ネユさんやスゥスのことを疑い、警戒していた。
それは紛れもなく、本当の感情だった。
だけど、そのときは甘かった。
2人と過ごしているうちに、あのときの怒りも警戒心も、絆されていった。彼女たちの優しさや真摯な態度に触れているうちに、自分の中の嫌悪感はどこかへ消えていったのだ。
迷いは『ヴェデリア』討伐という目標を立てて誤魔化した。何かした気になって、考える事を辞めていただけだ。
何も考えていない。ただ問題から遠ざかっていただけだ。
全身が痙攣するまで走り続けた後、ついに力尽きて地面に倒れ込んだ。
ゲヌスと魔導士。
その2つは僕が考えているよりも、もっと溝が深くて底が見えない。
その狭間にいる僕には魔導士として暮らすことも、ゲヌスとして抗う事も選べない。
兄さんに協力して魔導士を打ちのめすことをしたいと思っている。だけどそれを止めたい自分もいる。ネユさんやスゥスを信用しているけれど、彼女たちとともに魔導士として生きていく度胸もない。
僕は魔法を使えるゲヌスでも、身体能力が高い魔導士でもない。なんでもない。
「……僕は、何者なんだ」
仰向けになって、見上げた空に問いかける。
頬に雨粒が一つ落ちる。いつの間にか、灰色の雲が広がり始めていた。
次第に雨は勢いを増し、どしゃ降りとなった。雨粒が顔に、服に、冷たく打ちつけてきた。




