5話-① 夢
夢を見ていた。
遠い昔の記憶だ。
家の屋上に登ると、そこからは魔導士の居住地が一望できた。邪魔するものは、何もない。そこから王城の奥に沈んでいく夕陽を、ずっと眺めているのが好きだった。
セウル地区に隣接しているのは、第一都市ストラーグ。
王族の住む城と、貴族たちが暮らす城下町で栄えている王都だ。
検問所があって中に入ることはできないが、家の屋上からでも、連なっている建物が見えた。セウル地区の雑多な建物たちとは比べ物にならない。山のように壮大で絢爛な都市だ。
夜になると街に明かりが灯り、輝きがさらに増す。見ているだけで時間を忘れるほど、僕のお気に入りの場所だった。
「おい、ベルア」
名前を呼ばれた僕はハッとして、後ろを振り返る。そこには、呆れたような顔をしながらも、優しい目で僕を見つめる兄さんが立っていた。
「何度も呼んだぞ。もう夕飯の時間だ」
「ごめんなさい」
僕は目を伏せて謝る。今までも何度かこうして呼びに来てもらう事があった。父さんや母さんが呼びに来たときは、すぐに眺めるのを中断する。だけど兄さんのときだけは違った。
目を伏せて謝る僕に、兄さんはため息混じりに笑いかけた。
「ベルアは本当にこの場所が好きだな」
兄さんは、僕の隣に腰を下ろす。僕が満足するまで一緒に景色を眺めてくれる。そうして色んな話をしてくれる。
「すごく綺麗なんだ」
「……そうだな」
僕たちが見つめる先には、ストラーグの中でも、別格の威厳を放つ王城があった。
ただ大きいだけではない。
細かいところまで装飾が施されていて、絵画から出てきたかのように優美だ。それでいて昔は戦争で使われていた砦でもあったらしく、厳かな風格で存在感がある。
あそこに住んでいる人は、きっと凄い人だろうと、子どもながらに感じていた。
ゲヌスが魔導士と対面する機会は滅多にない。
魔導士の元で働くことになれば、嫌でも目にするが、そうでなければ地区を警護する憲兵くらいのものだ。王族なんて一生お目にかからないだろう。
僕は兄さんの方を一瞥する。
兄さんも王城の方に目を向けているが、意識は別のところにあるように見えた。兄さんにとっては、忌々しい場所にしか映っていないのだろうか。僕は申しわけなくなって、黙ったままストラーグを眺めることしかできなかった。
そして兄さんがため息混じりに、小さく呟いた。
「なんでゲヌスってだけで差別されんのかな」
まるで独り言のようで、僕は返事もできずに、再び景色に目を戻す。
兄さんも王都を眺める。右頬にある大きなアザがチラリと見えた。このアザも仕事でできた傷らしい。兄さんは大丈夫と言っていたが、僕は兄さんの顔を見るのが怖くなった。
「あいつらは魔法を使えるだけだ。それも当人たちは努力せずに生まれた時から」
「……」
「ゲヌスのことを同じ人間だと思ってない」
兄さんが放つ言葉の一つ一つに、魔導士への憎悪に満ちていた。
魔導士のことを嫌悪する感情は、僕にも理解はできる。
むしろ魔導士のことを快く思っているゲヌスの方が少ないだろう。
この国では生まれた時から序列が決まっている。魔導士には逆らえない。
劣悪な環境で、無理難題な肉体労働を強いても、文句は言えない。ゲヌスは魔導士の元で働き、生きていくしかない。それが常識で、論を俟つこともない。
兄さんが悔しそうに拳を握るのが見えた。
鉛のようなどす黒い澱みが心の奥へと沈み込んでいって、僕は言葉どころか呼吸すらも危うくなっていた。否定したいはずなのに、それを打ち負かす言葉が浮かんでこなかった。
「俺もこの場所が気に入った。また一緒に見ようか。ほら、早く来ないと飯が冷めるぞ」
兄さんは微笑を浮かべて、立ち上がると屋上から降りていった。
まるで世界の隅に一人ぼっちで取り残されたかのような小さな背中を、僕は今でもはっきりと覚えている。
夢から目を醒ますと、僕はベッドの上にいた。
窓から降り注ぐ陽光が、寝ぼけ眼を心地よく刺激する。
2度3度瞬きをしてから、身体を起こす。やけに心臓が高鳴っていた。
眼前には板張りになっている壁。魔道書が立てかけてある本棚。ほのかに火が揺れるランプ。
「あぁ、そうだ……ネユさんの家か」
僕は小さく息を吐いて、胸をなで下ろす。夢の影響か、一瞬自分がどこにいるのか、判断がつかなかった。
「ちょっと寝過ごしたな」
このところ慣れないことが続いたせいで、うまく寝付くことができないでいた。ロッシュたちの野望を阻止して、『ヴェデリア』の構成員たちも捕まえた。
それでも落ち着かないのは、兄の行方が分からないからだろう。
まだ生きているのかすら、判らない。今このときだって、何か行動を起こすかも知れないと思うと、頭からまったく離れなくなっていた。それは懐かしい夢を見てしまうほどだ。
僕は大きく伸びをしたあと、ベッドから降りてリビングに向かう。
リビングには目の下にクマをつくったネユさんが忙しなく動き回っていて、テーブルの上には朝食が準備されていた。本当にこの人は一体いつ休んでいるのだろうか。
「おはようございます」
僕は驚き呆れつつも、ネユさんに声を掛けた。
「あら、おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ」
僕はあくびを噛み殺しながら応える。
それからテーブルの上の料理に目を向けた。いつもの優雅で繊細な料理が並んでいることが多いが、今日はずいぶんと毛色が違う。
肉塊を丸焼きにしたものや、大きな手羽先なようなものがテーブルを占めている。
「これ、何ですか?」
「この前、ベルアさんとスゥスが捕ってきてくれたドラゴンの一部です。研究用に使わなかったものを調理してみました」
なるほど。通りでワイルドに見えるわけだ。
「そういえばドラゴンは食べたことがないです」
「高級食材ですからね」
ドラゴンは滋養強壮に良いとされているが、その捕獲難易度の高さから高級食材とされている。とてもじゃないがその日暮らしのゲヌスたちが手の届くものではない。
まさか食べる機会があるとは思わなかったし、それが自分で仕留めたものだとは想像したこともなかった。
席に着くと、早速ドラゴンの肉塊にかぶりつく。筋っぽくて歯ごたえがある。しかも噛むたびにジューシーな肉汁が溢れてくる。見た目通り、重たくて野性的な味だ。
ネユさんの前にも、彼女の顔ほどの大きさの肉塊が横たわっている。彼女も優雅な所作でフォークとナイフを用いて、肉塊を切り分ける。それから幸福そうな表情を浮かべながら、肉をほおばった。
それからも素早く口に運んでいき、彼女の前の肉塊はすぐになくなった。
相変わらずの大食漢だ。
「ふぅ。やはり美味しいですね。これもベルアさんのお陰です。また獲ってきて貰いたいくらいですよ」
「いや、勘弁してください」
ネユさんは爽やかな笑顔で言うが、僕は即座に断る。ネユさんが言うと本気か冗談か判らない。
あの時は訓練の一環と、魔力の譲渡を試す名目があったから行っただけだ。いくら美味しいといっても、それだけのためにドラゴンと対峙するなんてしたくない。
それに倒したと言っても、魔法が暴発して、偶々上手くいっただけだ。
「じゃあ研究のためにドラゴンの素材が欲しいので獲りに行ってくださいよ」
ネユさんは尚も微笑みながら、提案してくる。
天使のような笑顔で悪魔のような注文だ。
「こないだ獲って来たばかりですし必要ないですよね?」
「じゃあ今じゃなくていいですから」
「一応聞きますけど、ドラゴンの素材ってそんなに重要なものなんですか?」
「はい。ドラゴンの鱗や爪には魔力が多く含まれていますし、代替のないものです。これが中々手に入らないんですよねえ」
ネユさんはわざとらしく眉尻を下げて、困り顔をする。
演技下手だな、この人。
とはいえネユさんにそんなことを言われたら、拒否しづらい。
「……必要なら引き受けますけど、本当に入り用な時だけにして下さいね」
「勿論ですよ~」
僕が渋々承諾すると、ネユさんは理解したのか疑いたくなるような、ふんわりとした口調で応えた。
ネユさんのその言葉が本当に安心できるのであれば、どれだけ楽だろうか。
そう思いつつも、ドラゴンの肉塊をもう一口頬張った。




