テッシーの試験 ファースト!
最初の試験の日は、休日だった。折良く外は快晴で、すっかり春の陽気が心地よい。
受験者は橋田透。試験監督はテッシーこと勅使河原百合恵。見学席に、今日はオフの日らしい百鬼静華。
ゴンゾウ=エスプレッソ先輩も静華の後ろでちょんとお座りしていらっしゃるのだが、さすが賢いお犬様、人様の家で無駄に吠え立てることはなく、ちょっとそわそわしながらも大人しく口を閉じている。
会場はもちろん庶民感かつ受験者のホームバリバリな橋田家であるはずもないが、以前訪問済みの百鬼家の豪華マンションでもない。
なんと大穴、勅使河原さんのご自宅であらせられる。
勅旨河原さんが百鬼家に通いで来ていることはやりとり等から知っていたのだが、その居住環境については謎ではあった。
意外にも、勅使河原さんは閑静な住宅街の賃貸アパート一人暮らしでいらっしゃった。
今は大学近くのアパートで一人暮らしをしている橋田家次男の充が住んでいる家とどっこいどっこい程度の広さに、透は驚きを隠せない。
さらに、充よりも更に少ない部屋の家具や持ち物の数に目を見張る。
「勅旨河原さん、昔からこうなんだ。住み込みの時もあったけど、そうじゃないと大体わざと微妙に住みにくいところで暮らして、えっちらおっちら通ってくるわけ。しかも定期的に引っ越すのが趣味っぽくて。変な人でしょ?」
「身体を動かせるうちは、動かす環境にいるのが何よりかと考えているだけですよ」
静華と勅使河原さんがやりとりしている横で、透はかちこちに固まって棒立ちである。
ちなみに今日、最大の味方であるはずの上司翠氏は、
「私が一緒にいるとなんか横から口出しちゃいそうだし、透お兄ちゃんの士気を著しく左右しそうだから」
とのたまって、保護者同伴を華麗に拒否した。
よって現在、完全に橋田家長男は敵地にてアウェイである。
ただし上司の判断が間違っていたとは言えないだろう。
これから起こること、万事において自信のない透は、翠がこの場にいたらそれこそ一から百まで全部お問い合わせをしてしまいそうな勢いだ。
「透君、今日は君が好きにすればいいから。終わったら、ご飯食べに行こうね」
「お嬢様、成績次第では、そんな悠長な事を言っている余裕はないかと」
「そうかな? もし、大失敗しちゃったんだとしても。うまくいかなかった時ほど、なおさら早めの気分転換が必要だと思うんだけどな」
「お嬢様はともかく、このふぬけ殿がそこまでさっくり頭を切り換えられますかしら」
「勅使河原さん、透君に失礼だよ」
「どうでしょうか」
テッシー……ではない、勅使河原さんの鋭い眼光が、ヘタレ系男子の胃にダイレクトヒットを与える。
静華の優しい言葉の数々も、今日に限ってはすべてがただのプレッシャーだ。
彼女に自分のつたない状況を見られるという避けられない絶望の未来こそ、辛くて仕方ない。
(――失望されるのは、辛いけど。全く気にされないのも、寂しい。
俺は一体、どうしたいんだろう)
「さて、そろそろ開始のご説明をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
ぎゅっと拳を握りしめて、うつむいて。思考の渦に飲み込まれそうになったところで、勅使河原さんがパンと勢いよく手を叩いた。
慌てて顔を上げると、今日も今日とてクラシカルなオールドメイドは厳格にぴりりと厳しい声を上げる。
「橋田透様が静華お嬢様にふさわしい殿方であるか、主に家事分野の実地試験を見せていただくことで判断させていただきますが。
今回はまだ第一回目、ここで大ゴケしても一応まだあと二回挽回のチャンスはございますので、その点についてはご心配なく」
うっ、とうめきながら透が胃を押さえても、勅使河原さんは全く気にした様子はない。
静華はちょっと心配そうに透を見守っているが、彼女には精一杯の虚勢で作った力のない笑顔を向けるしかない。
「試験のために、あたくしの部屋をモデルルームとして用意させていただきました。今からどうぞ、今日の十七時までご自由に……」
勅使河原さんは途方に暮れた子犬のような眼差しを目が合うと、そこで一度言葉を止めて、咳払いした。
「と、言いたいところなのですが。
本日一回目ですし、あまりにもとっかかりがないということでございましたら、あたくしから透様に一日で終わらせていただきたいことを言わせていただきますわね。よーく、お聞きなさって。
まずは、家の中の掃除。基本ですわね。
それから、洗い場の洗濯――服はこちらで選ばせて頂いた物を、お願いいたします。
さらに、お昼ご飯の準備。
後は合間に、家の中の備品をチェックして、買い出し。ああ、こちらはお昼ご飯の準備の前でも構いませんよ。
それから本日はゴンゾウ様がいらっしゃいますから、彼女のお散歩」
「ウー、ワン!」
「以上につきまして、一日見させていただきます」
「うわ、大変そう……頑張って、透君」
静華が同情たっぷりの声を上げたで、透もおずおず口を開いた。
「あのう……どうしても、静華さんも、ご一緒なんでしょうか」
「……私はいない方がいい?」
少しだけ間を置いてから、静華はつとめていつもの笑顔を保ったまま、さわやかに聞いてくる。
ずきん、と透の胸が痛んだ。
彼はどっちも言うことができない。
彼自身、この一月の間でわからなくなってきているのだ。自分がどうしたいのか、どうなりたいのか。
静華に、どう接すればいいのか。
「よござんす」
少々危うげになった空気を断ち切ったのは、再び勅使河原百合恵の凛とした声だ。
「お嬢様、カメラは本日も持っていらっしゃいますね?」
「え? まあ、そりゃあね。コンパクトな奴は、いつも鞄に入れているから」
「ひとまずランチまで、散策していらっしゃいませ。あたくしの住まいはあまり広くないので、お嬢様までいらっしゃると手狭かもしれません」
静華はじっと勅使河原を見てから、透に目を移す。
「それでいいかな、透君」
「……はい」
消え入りそうになる声しか上げられない自分が惨めで情けなくて、橋田家長男はぎゅっと唇を噛みしめた。




