散々な四月
結論から言って、初日の成果は散々だった。
掃除機は家中一応かけたものの粗が目立つ出来だったし、布団に一生懸命かまけていたら洗濯物はいつの間にか冷え切っていた。
おまけに遅れを挽回しようとして変に力んでしまったせいか、皿洗いではカップを割る始末。悪いことは重なる物で、割ったのは寿子夫人の愛用品だった。
「あー……」
帰ってきてから事態を知った寿子夫人は、透を叱ることこそなかったものの、やはりがっかりしていた様子は隠せていなかった。晩ご飯が手作りから外食に切り替わった程である、落ち込み具合も自然と伝わってくると言えよう。
逆に叱責されない事が、透の胃をきりきり痛ませる。
「まあ、そんなもんなんじゃないか?」
駅近くにある行きつけのバイキングレストランで合流した慶福氏がそうコメントし、地味な追い打ちをかける。
「そうねえ。まあ、透だし。頑張ってくれていたわよ。全部できてないって事も考えていたから、少なくともそれよりは全然大丈夫よ」
フォローのはずの寿子夫人の言葉が深くずきんと心を痛ませた。
透だし。
性格が良くて。
優しくて。
人のことを考えられるいい子で。
――でも。
要領が悪くて。
勉強はできるけど、馬鹿なのよね。
馬鹿な子ほど可愛いって言うけど。
「透」
慶福氏の低い声が投げかけられて、ふと彼は思考を打ち切り、顔を上げた。
寿子夫人はおかわりをしに席を立っていたようだ。
へにゃりと癖で口角を上げた息子に、父は静かに言った。
「お前は自分を過大評価していながら、同時に自分の可能性を制限している」
「……え?」
「せっかく自分ができたんだから、もう一度自分を振り返ってみなさい。偏見を抱くことなく」
寿子夫人が帰ってきたからか、慶福氏は透の疑問の言葉に解説はしてくれなかった。
透は気まずい空気をごまかすように、自分のデザートを取りに行く。
「過大評価しながら、制限している……?」
慶福氏は理系らしく、哲学の問答よりは答えのはっきりある等式を好む方だ。だが、世間一般の抱いているイメージ通りの理系人らしく、コミュニケーションはおおむね問題ないが堪能と言うほどでもない。
彼の中では等式が成立している言葉をそのまま話すため、受け取る側には全容が通じないということがままあった。今回は後半の言葉はわかりやすかったため、その部分の理解は容易なのだが……。
「偏見を抱くことなく……」
それができたら苦労はしないし、別にそんなつもりはないんだけどなあ、と透のため息がフリードリンクのグラスの上に落ちていった。
三月があっという間に過ぎ、四月になって翠の計画通り本格的な透の修行がスタートされる。
一言で状況を表すと、幸先通り微妙、というのが総合的な感じだった。
透は寿子夫人から膨大な知識を伝授され、自分でも調べて勉強を欠かさなかったが、なかなか思うように身体が動かない。
また、教師が寿子夫人であるというのも悪い方向に働いてしまった部分がある。
透がもたついていると、彼女もつい手を出して、いつの間にか仕事を奪ってしまうのだ。
元々家事は寿子夫人の天下で領分、透に任せてノルマをこなせなかったら日常生活に支障が出るという部分もある。
結果、透は触りだけやらせてもらえるが、おおむね見学という状況が続く。
翠への報告とフィードバックも、三月中はともかく、やはり彼女が四月になって高校に入ってしまうと、直接橋田家に顔を出せないことが増えたし、こちらも忙しそうな彼女を邪魔したくなくてつい自然と出来の悪い部分をごまかしてしまう。
一つだけうまくいっているとしたら、月に二度、静華と出かけた時だ。
一度はディナーを一緒になって、一度は映画を見に行った。
夜だったので、あのバーでお酒をのみながら、色々と話をした。
静華の話すことを聞いていると、自分の状況をふと思い出して臆してしまうところもあるのだが、ものすごく簡単に言えば、ぐいぐい引っ張ってキラキラ輝いているタイプの彼女についていくのが透は嫌いではなかった。
静華は透ができなくてもがっかりしないし、冷めた目で冷ややかに見つめてくることもない。
自分の近況を聞かれて、つい難しいと思っていることを零すと、美女はふんわり笑って、
「私もできなくて母によく怒られたよ。お揃いだね」
と言った。チョロい透はのぼせ上がる。
が、一方で、正体の見えない焦燥感がこみ上げる。
――幻滅されない、と言うことは。
――何も期待されていない、と言うことでもあるのではないか、と。
もがいて、あがいて、確かにいくつかの家電の使い方を覚えて、掃除の仕方も覚えたのだけど。
包丁は満足に握れず、怪我はするし、物もよく破損させて。
前途は多難、悪いことは重なる物、モヤモヤしたままなんとなくぐるぐると回っているうちに。
最初の試験の日は、あっさりとやってきてしまったのだった。




