六話 逃げる者の誓い
「はっ、はっ、はっ……!」
ルルーは荒い息を吐きながら森の中を駆け抜けていた。
下には無数の木の根が張り出し視界を遮るように枝葉が生い茂っている。
それでもルルーは速度を落とさなかった。
風の魔力を両脚へと集中させ空を蹴る。
身体が風に押されるように前へ進み木々の間を縫うようにして駆けていく。
普段なら、この程度の速度であれば余裕がある。
しかし――今は違った。
ルルーの腕にはクリスが支えられている。
傷ついたクリスの身体に負担をかけないよう、片腕でしっかりと支えながら走らなければならない。
そのせいで思うように速度を上げることができなかった。
「はぁ……はぁ……!」
呼吸が乱れる。
それでも止まるわけにはいかなかった。
「きゃっ!」
突然、目の前に伸びていた枝がルルーの頬をかすめた。
細い傷が走りそこから赤い血がにじむ。
「ルルー、傷が……!」
「私は大丈夫!」
ルルーは前を見たまま答えた。
「ロストが時間を稼いでくれてるんだよ。急がなきゃ!」
その言葉にクリスは思わず背後を振り返った。
視界の先には赤く染まった木々がどこまでも続いている。
だが――そこにロストの姿はなかった。
ほんの少し前まで一緒にいたはずなのに。
今はもうその姿を見ることすらできない。
「私たち……ロストを置いてきちゃった……」
「……うん」
ルルーは小さく答えた。
その声には悔しさが滲んでいた。
拳を強く握りしめる。
「あのまま全員で残ったら、誰も逃げられなかった」
「分かってるよ……」
クリスの声が震える。
「分かってるけど……!」
その目には堪えきれなくなった涙が浮かんでいた。
自分たちは逃げた。
ロストを残して。
それが最善だったことは分かっている。
けれど――心がそれを受け入れてくれなかった。
「……私ってこんなに弱い」
クリスは俯き、震える声で呟いた。
「何もできなかった……」
自分には水の魔力がある。
魔力を操り、防御を展開することもできる。
仲間を守ることだってできる。
少なくとも今まではそう思っていた。
けれど。
いざ本当に守らなければならない状況になったとき、自分にできたことは――逃げることだけだった。
「ロストは、魔力がないのに……」
クリスは唇を噛んだ。
「あんなに怖い相手の前に立ってくれたのに……」
「クリス……」
涙が頬を伝っていく。
悔しさに声が震える。
「……悔しいよ」
ルルーは何も言えなかった。
クリスの言葉を否定することができなかった。
なぜなら――
自分も同じだったからだ。
「あたしも悔しいよ」
しばらくしてルルーが口を開いた。
「あたしだって、ロストを置いて逃げたくなんかなかった」
風を纏った脚が空を蹴る。
「でも、あそこで戦っても勝てない。あたしのスピードは……あの熊に対しては無力だった」
ルルーは悔しそうに顔を歪めた。
自分の最大の武器。
高速で速く走れること。
それだけは自分の誇りだった。
けれど、あの魔物には通用しなかった。
「あたしは速く動ける。それが自分の強みだと思ってた」
気づかないうちにルルーの頬を、涙が流れた。
走っているせいで気づかなかったのか涙に気づいて慌てて手の甲で拭う。
「でも、速く動けるだけじゃ……それだけじゃダメなんだ」
クリスも涙を拭った。
しばらく黙ったあと、顔を上げて呟いた。
「……私、強くなりたい」
「うん」
ルルーは即座に答えた。
「誰かに守ってもらうだけじゃなくて、自分でも戦えるようになりたい」
クリスの瞳には先ほどまでとは違う光が宿っていた。
「ロストが危険な目に遭ったとき……今度こそ助けられるように」
ルルーは力強く頷いた。
「あたしも」
その声には決意が込められていた。
「次は、誰も置いていかなくて済むくらい強くなる」
二人は顔を見合わせた。
言葉は少なかった。
けれど、互いの気持ちは十分に伝わっていた。
今はまだ弱い。
今はまだ、何もできない。
それでも――
この悔しさを忘れない。
いつか必ず自分たちの力で仲間を守れるようになる。
二人は再び前を向いた。
救援を求めるために。
必ずロストのもとへ戻るために。
森の中を二人は走り続けた。
その背後。
深い森の奥から――
ドォォォンッ!!
大地を揺らすような巨大な衝撃音が響き渡った。
「……!」
二人の足が一瞬だけ止まりそうになる。
だが――
「急ごう!」
「うん!」
二人は今できる最善を、選んだ。




