二話 才能のない努力家
この学院――アヴニール学院は異能力を伸ばすための学院だ。
自分の持っている力を理解し、鍛え、磨き上げる。
力ある者が、正しく努力し、その才能を伸ばすことを目的とした育成機関。
学院には、火、風、水、地、様々な異能力を持つ生徒たちが集まっている。
放課後。
校舎から少し離れた訓練場では今日も多くの生徒たちが鍛錬を続けていた。
「はあっ!」
炎が弾ける。
「そこだ!」
風が唸り、訓練用の的を薙ぎ払う。
別の場所では地面が大きく盛り上がり、土で作られた壁が瞬く間に形成される。
そして、その壁に向かって放たれた攻撃が轟音を響かせ砕けた土塊が宙を舞った。
夕暮れの光に照らされる訓練場はまるで小さな戦場だった。
魔力の光が走り、炎が舞い、風が渦巻く。
そこにいる生徒たちにとって特別な光景ではない。
日常の一部だった。
しかし――。
その華やかな光景から少し離れた場所に一人だけ異なる訓練を続けている少年がいた。
「……998」
地面に両手をつきロストは腕立て伏せを続けていた。
「……999」
腕が震える。
肩は重く呼吸はすでに乱れている。
それでも、動きを止めない。
「……1000!」
最後の一回。
腕を伸ばしきった瞬間、ロストはその場に仰向けになった。
「はぁ……はぁ……!」
荒い息が喉を震わせる。
心臓が激しく鼓動し、肺が酸素を求めて大きく上下する。
額から流れ落ちた汗が頬を伝い地面へ落ちた。
小さな水滴が乾いた土に吸い込まれていく。
「……疲れた」
そう呟きながらもロストはゆっくりと身体を起こした。
両腕には力が入らない。
指先まで疲労が染み込んでいる。
それでも、立ち上がる。
「次は……走り込みだ」
訓練場の外周。
五十周。
終われば剣の素振りを千回。
それが終われば戦闘理論の復習。
毎日、繰り返している訓練だった。
異能力を持つ生徒たちが魔力操作を学ぶ時間。
ロストは自分の身体を鍛えていた。
異能力を使えないのなら身体を鍛えるしかない。
魔力を持たないのなら知識を身につけるしかない。
持っていないものを嘆くより――。
今、自分が持っているものを磨こう。
それがロストが自分に課した唯一の答えだった。
もちろん簡単なことではなかった。
どれだけ走っても風の能力者には追いつけない。
どれだけ筋力を鍛えても火の能力者が放つ一撃には敵わない。
剣を振るう技術を磨いても土の能力者が作り出す防壁を正面から破ることはできない。
努力をすればするほど自分が持っていないものの大きさを思い知らされる。
周囲の生徒たちは生まれ持った力を当然のように使っている。
ロストにはそれがない。
その差は努力だけでは簡単に埋まらない。
何度もそう思った。
それでも――。
ロストは訓練をやめなかった。
「おい、無能力者」
不意に背後から声が飛んできた。
ロストは振り返る。
そこには三人の男子生徒が立っていた。
中央にいる少年を見てロストの表情がわずかに変わる。
ガルド・レイヴン。
火属性の異能力を持つ生徒。
同年代の中でも上位の実力者として知られている。
赤みがかった髪。自信に満ちた目。
そして、その右手の指先には小さな炎が揺らめいていた。
「まだそんな無駄なことをしているのか?」
ガルドが指先を軽く動かす。
炎が一回り大きくなる。
炎の熱が少し離れたロストの頬にまで届いた。
「見ての通り、訓練中だ」
「訓練?」
ガルドが鼻で笑う。
「お前がどれだけ鍛えたところで、お前は誰にも勝てないだろう」
炎がさらに揺らめく。
「魔力もなければ、能力もない」
周囲の生徒たちがちらりとこちらを見る。
しかし、ロストは気にしなかった。
「そうかもしれないな」
「……は?」
「今の俺じゃ、お前には勝てない」
ロストは剣を握り直す。
手のひらには何度も剣を振ったことでできた豆がある。
「それは事実だ」
そして、静かにガルドを見た。
「だから、勝てるように訓練してるんだ」
ガルドの笑みが消えた。
一瞬だけ言葉を失ったようだった。
「お前……」
「悪いけど、話なら後にしてくれ」
ロストは再び剣を構える。
そして、何事もなかったかのように振り始めた。
「一……」
剣が空を切る。
「二……」
ガルドの眉が動く。
「三……」
軽くあしらわれた。
その事実がガルドの自尊心を刺激した。
「……いい気になるなよ」
声が低くなる。
ロストは振り返らない。
「弱いくせに……」
炎が指先から腕へ広がっていく。
「目障りなんだよ!」
ガルドの身体が弾かれるように前へ出た。
炎を纏った拳がロストへ向かって放たれる。
「!」
ロストは咄嗟に身体をひねった。
拳が頬をかすめる。
熱が皮膚を撫でた直後――。
ドンッ!
拳が背後の木製の柱へ突き刺さった。
乾いた音が響き、柱の表面が黒く焦げる。
「おい、ガルド!」
周囲から声が上がった。
「さすがにやりすぎだ!」
しかし、ガルドは止まらない。
「避けたな?」
拳を引き抜く。
「偶然か?いつもならこれで終わりなのにな」
再び踏み込む。
炎を纏った拳が迫る。
ロストは身体を沈めた。
頭上を拳が通り過ぎる。
二度目。
さらに一歩下がる。
三度目。
今度は後ろへ跳び、距離を取った。
「ちょこまかと……!」
ガルドの顔に苛立ちが浮かぶ。
ロストは荒い呼吸を整えながらガルドを見つめていた。
動きは速い。
ガルドの方が圧倒的に速い。
だからこそ、見る。
肩。肘。腰。足。
攻撃を繰り出す直前、相手の身体には必ず僅かな予備動作が生まれる。
それを読む。
避ける。
そして、次の攻撃に備える。
これまで何度も殴られてきた。
何度も倒された。
何度も悔しい思いをした。
だからこそ、少しずつ見えるようになった。
「……そこだ」
ガルドの肩が動く。
大きく振りかぶった。
ロストはその瞬間を見逃さなかった。
踏み込む。
身体を低くする。
炎の拳が頭上を通過する。
そのままガルドの懐へ潜り込んだ。
剣を振るう必要はない。
剣先から柄に入れ替え、前へ。
ドンッ!
剣の柄がガルドの腹部へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
ガルドの身体が止まる。
ほんの一瞬。
だが――。
確かに届いた。
周囲の空気が変わった。
「今の……」
「当てた?」
「ロストが……?」
無能力者が。
炎の能力者に。
一撃を入れた。
能力者同士の戦いなら決して珍しいことではない。
だが、ロストには魔力がない。
異能力もない。
ただ身体を鍛え、相手を観察し、技術だけで懐へ入った。
身体能力の差を観察と技術で補った。
その事実に気づいた生徒たちから驚きの声が漏れる。
しかし――。
「……ふざけるな」
ガルドだけは笑っていなかった。
拳が震えている。
怒りに。
目の前の少年に対する苛立ちに。
「ふざけるなぁっ!」
次の瞬間。
炎が爆ぜた。
「!」
至近距離。
避ける暇などなかった。
ボガン!
爆発的な衝撃がロストの身体を吹き飛ばす。
視界が反転した。
地面が迫る。
「ぐっ……!」
背中から地面へ叩きつけられた。
肺から空気が一気に抜ける。
「かはっ……!」
痛みが全身を駆け巡った。
視界が滲む。
耳鳴りがする。
身体を起こそうとしても腕に力が入らない。
その上からガルドの声が降ってくる。
「手加減してやってれば調子に乗りやがって……!」
炎が再び指先で揺れる。
「二度と俺に逆らうな」
ガルドはロストを見下ろした。
「お前みたいな欠陥品が、努力したところで何も変わらないんだよ」
ロストは地面に手をつく。
立たなければ。
そう思った。
だが――。
「くっ……!」
腕が震える。
一度目。
身体が持ち上がらない。
膝から崩れ落ちる。
「……っ」
二度目。
再び立ち上がろうとする。
だが、脚が言うことを聞かない。
地面へ手をついた。
「はぁ……はぁ……」
それでも。
三度目。
今度こそ両足に力を込めた。
震える脚を無理やり伸ばす。
ゆっくりと身体を起こす。
そして――。
ロストは立った。
「……はは」
口元から小さな笑いが漏れる。
ガルドが眉をひそめた。
「何がおかしい!」
ロストは口元の血を手の甲で拭った。
「いや……」
そして、ガルドを見る。
「一回、攻撃を当てられたからさ」
「それが何だ!」
「次は――」
ロストは剣を握り直した。
震える手に力を込める。
「二回当てる」
ガルドの顔が歪んだ。
「この……!」
再び飛び出そうとした、その瞬間。
「そこまでだ!」
訓練場に鋭い声が響いた。
入口から教師が駆け込んでくる。
周囲の生徒たちも一斉に静まり返った。
ガルドは舌打ちし火を消す。
ロストはようやくその場に膝をついた。
その後、ロストは医務室へ運ばれガルドは教師から厳重な注意を受けることになった。
医務室へ向かう廊下でロストの頭の中にあったのは、自分の敗北についてだった。
なぜ、最後の一撃を避けられなかったのか。
なぜ、ガルドが攻撃を放つ瞬間を見抜けなかったのか。
あの炎の爆発に対してもっと早く距離を取ることはできなかったか。
剣を使えば別の攻め方ができたのではないか。
次に同じ相手と戦うなら――。
力がないからこそ考える。
だからこそ少しずつでも前へ進む。
ロストにとって負けることは終わりではない。
負けた理由を考えず、何も変えず、諦めてしまうこと。
それこそが――。
彼にとっての本当の敗北だった。




