十五話 戦う力
学院では、クリスが訓練を続けていた。
訓練場には、何度も魔力がぶつかる音が響いている。
「もう一度!」
エヴァンスの声に、クリスは小さく頷いた。
額には汗が滲んでいる。
「はい!」
クリスは両手を前へ突き出し、意識を集中させる。
身体の中を流れる魔力を両手へ集めていく。
水の魔力が淡い光を帯びながら広がり、彼女の目の前に薄い水の膜を形成した。
それはただの水ではない。
魔力によって形を保ち、衝撃を受けるとその力を受け流す、弾力性のある防御壁。
「いくぞ」
エヴァンスが手をかざす。
次の瞬間、訓練用に威力を調整された魔力弾が放たれた。
一直線に飛んできた魔力弾が、水の防御壁へと衝突する。
――ボンッ!
水の膜が大きく揺れた。
波紋が幾重にも広がり、クリスの腕に衝撃が伝わる。
しかし、防御壁は崩れなかった。
魔力弾を受け止めた水の膜は、ゆっくりと元の形へ戻っていく。
「……上出来だ」
エヴァンスが頷いた。
「維持する時間も、強度も文句なしだ。以前よりも確実に安定している」
「ありがとうございます!」
クリスの表情が明るくなる。
自分の得意分野なら、確かな成長を実感できる。
魔力を操る精度。
相手の攻撃を見極める判断力。
そして、仲間を守るための防御。
そこだけなら、クリスは大人にも引けを取らない。
「……よし」
エヴァンスは次の訓練へ移る。
「次は攻撃だ。全力で来い」
その言葉を聞いた瞬間。
クリスの表情が、わずかに曇った。
「……はい」
それでも、彼女は両手を構える。
もう一度、魔力を集める。
水の魔力が手のひらへ集まり、ゆっくりと形を変えていく。
クリスは力を込めた。
もっと速く。もっと強く。
そう思えば思うほど、魔力の流れが乱れていく。
それでも何とか形を整え――
「……いきます!」
クリスが魔力を放った。
――ほわっ。
水の塊は、頼りなく宙を進んでいく。
そして、少し離れた場所にある訓練用の標的へぶつかった。
……ほとんど、音もしなかった。
エヴァンスはしばらく標的を見つめた。
そして、静かに口を開く。
「……遅い。弱い」
「……」
「この程度の威力の魔力を貯めるのに、どれほど時間をかける?」
クリスは答えられなかった。
「威力がこれでは、実戦で攻撃として使うのは難しいだろう」
「……はい」
クリスは、ばつが悪そうに俯いた。
分かっている。
自分でも、十分に分かっていた。
防御ならできる。
治癒ならできる。
魔力の細かな操作にも自信がある。
なのに――。
「攻撃」となると、途端に魔力が乱れてしまう。
理由は、単純だった。
怖いのだ。
自分の力で誰かを傷つけることが。
森で魔物と戦ったときもそうだった。
仲間を守らなければならない。
それは分かっている。
それでも、自分の放った力が誰かの身体を傷つけるところを想像すると、無意識に力を抑えてしまう。
その結果が、今の威力だった。
エヴァンスは、そんなクリスの様子を黙って見ていた。
そして、少し考えたあと、口を開く。
「クリス」
「……はい」
「何も、相手を倒すことだけが戦いじゃない」
クリスが顔を上げる。
「自分の得意な分野を伸ばし、仲間を守る。それも立派な戦いだ」
エヴァンスの言葉に、クリスは黙って耳を傾ける。
「お前の防御能力は高い。治癒もできる。お前にしかできない役割はある」
「……」
「だから、無理に攻撃を極める必要はない」
クリスはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと首を横に振る。
「……それでも」
小さな声だった。
「それでも、私は諦めたくないんです」
エヴァンスが目を細める。
「得意な防御も、回復も、もっと鍛えます」
クリスは拳を握った。
「でも……戦う力も、諦めたくないんです」
その瞳には、迷いがあった。
それでも、その奥には確かな覚悟が宿っていた。
エヴァンスは何も言わなかった。
森で、クリスが仲間を守ろうとしたこと。
恐怖を抱えながらも、自分の弱さから逃げなかったこと。
そして、自分の力で誰かを守りたいと語ったこと。
そのすべてを、エヴァンスは知っている。
だからこそ、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
「……そうか」
エヴァンスは訓練場の隅へ歩いていく。
しばらくして戻ってきた彼の手には、一冊の古い本があった。
「ならば、これを読んでみろ」
差し出された本の表紙には、こう記されていた。
【属性系統特化論】
著者――ヒルダ・イーデン。
クリスは本を受け取る。
「これは……?」
「各属性が得意とする分野についてまとめられた本だ」
エヴァンスが説明する。
「お前の水属性についても詳しく記されている。攻撃方法についても、いくつか書かれているはずだ」
「攻撃方法……」
「何か、戦うためのヒントが見つかるかもしれないな」
クリスは本を開いた。
そこには、水属性についての記述が並んでいた。
――水の魔力は、治癒や防御などに特化している。
――その性質上、非常に高い魔力コントロールを要求される。
――一方で、純粋な攻撃能力は他属性と比較して育ちにくい傾向がある。
クリスは一文字ずつ、真剣に読み進めていく。
さらに、その先には過去に存在した水属性の能力者たちが使っていた攻撃方法が記されていた。
・水を集め、相手を窒息させる。
ただし、自分より魔力量の多い相手には防がれやすい。
・水を圧縮し、弾丸のように放つ。
高度なコントロールを必要とするが、扱い次第では非常に強力。
・武器に水の魔力を付与し、攻撃の威力を高める。
「……なるほど」
クリスはページをめくる。
そして――。
そこで、手が止まった。
そこには、少し異なる内容が書かれていた。
『最後に、かつて水属性を極限まで使いこなした者たちについて記しておく』
『私が実際にこの目で見た者は、片手で数えられるほどしか存在しない』
クリスは息を呑む。
『その中には、水の温度を自在に操り、氷を生み出して攻撃する者もいた』
『その方法について、詳しい訓練法は残されていない』
『ただし、私の知る限り、その者たちは他属性の能力者を圧倒するほどの力を有していた』
クリスは、そこから先を何度も読み返した。
水の温度を下げる。
氷を作る。
それだけのことなのに、不思議と心が惹かれた。
今まで、自分の水属性は守るための力だと思っていた。
傷を癒す。
仲間を守る。
攻撃を受け止める。
それが、自分の役割なのだと思っていた。
けれど――。
「……氷」
クリスは小さく呟いた。
もし、この力を使いこなせたら。
自分の力で、仲間を守りながら敵と戦えるかもしれない。
まだ方法は分からない。誰かを傷つける覚悟もない。
どれだけ訓練すればいいのかも分からない。
本に書かれているのは、ほんのわずかな情報だけだ。
それでも。
クリスは本を静かに閉じた。
そして、強く握りしめる。
「……私も」
「私も、氷の力を使いこなしたい」
新しい目標が、クリスの中に生まれた。
それが、彼女自身もまだ知らない――。
水属性の新たな可能性への、最初の一歩だった。




