十三話 今からでも遅くない
課外活動から数日後。
学園の訓練場では、ガルドが一人、拳を振っていた。
「はあっ!」
鋭い気合いとともに、炎をまとった拳が空を切る。
轟、と熱気が弾けた。
拳の軌道に沿って火の粉が舞い、目の前に設置された訓練用の標的が黒く焦げる。
ガルドは拳を引き戻すと、荒く息を吐いた。
「……ふっ」
以前のガルドなら、これで十分だった。
自分の炎は強い。
魔力を拳に集中させ、炎をまとわせる。
そのまま振り抜けば、並の相手なら簡単に吹き飛ばせる。
それ以上、いったい何をする必要があるのか。
そう考えていた。
少なくとも、あの話を聞くまでは。
真紅の森で起きた事件は、一部の学生の中で噂程度に囁かれていた。
イレギュラー・ベアーズ。
通常の魔物とは比較にならないほどの力を持った怪物。
そして、その怪物と遭遇したロスト・クライシス。
「……あいつ、まだ生きてるんだよな」
ガルドはぽつりと呟いた。
ロストが無事に救助されたと聞いたとき、ガルドは安堵した。
だが、なぜ自分がそこまで安心したのか。
それは、本人にもよく分からなかった。
ロストは自分とは違う。
魔力もない。
異能もない。
それでも毎日訓練を続け、誰かを守るためなら、自分より遥かに強い相手にも立ち向かっていく。
その姿を思い出すたびに、胸の奥がざわついた。
「……なんなんだよ、あいつは」
ガルドは拳を見つめる。手から炎を上げる。
自分にはこの力がある。
周囲からも強いと言われてきた。
だからこそ、これまで自分が努力してこなかったことを、深く考えたことはなかった。
――強いのだから、それでいい。
そう思っていた。
だが、ロストを見ていると、その考えがひどく薄っぺらいものに思えてくる。
「ガルド!」
不意に声が響いた。
振り返ると、友人が訓練場へ入ってくるところだった。
「何やってんだ? こんな時間まで」
「見れば分かるだろ。訓練だ」
ガルドは素っ気なく答えた。
「お前が自主練なんて珍しいな」
「……別に。気まぐれだ」
友人は苦笑しながら肩をすくめる。
「まあ、お前は強いからな。そんなに頑張らなくても大丈夫だろ」
その言葉を聞いた瞬間。
ガルドの拳が、わずかに震えた。
「……強い、か」
確かに、同年代の中では強い。
炎を操る異能も、魔力の量も、それなりに恵まれている。
だが――。
「もし……」
ガルドは自分の拳を見つめた。
「もし、炎が使えなかったら……?」
自分から出た言葉に、自分自身が驚いた。
魔力がなかったら。
異能がなかったら。
自分より遥かに強い相手と戦うことになったら。
そのとき、自分はどうする?
ロストのように、立ち向かうことができるのか。
答えは出なかった。
いや。
出なかったのではない。
自分の弱さを出すことができなかった。
「…………」
ガルドは黙り込む。
そんな自分が、無性に腹立たしかった。
「……帰れよ。集中できない」
「はいはい。熱心なことで」
友人はそれ以上何も言わず、訓練場を後にした。
静寂が戻る。
ガルドはしばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、ゆっくりと拳を握る。
「……俺は」
その手に、炎が灯った。
小さな炎だった。
だが、それは次第に勢いを増し、拳から腕へと絡みついていく。
「……何をしてきた?」
周囲から強いと言われることに甘えていた。
自分が努力しなくても、炎が自分を強く見せてくれていた。
ガルドは唇を噛んだ。
「……くだらねえ」
炎をまとった拳を構える。
今度は、ただ力任せに振るわない。
足を踏み込む。
腰を回す。
肩の力を抜く。
拳を最短距離で突き出す。
「はっ!」
ドンッ!
訓練用の標的が大きく揺れた。
「もう一度……!」
踏み込む。
拳を振る。
炎が弾ける。
「……っ!」
さらに繰り返す。
一発。二発。三発。
何度も。
汗が額を伝い、頬を流れていく。
腕が重くなる。呼吸が乱れる。
それでも、ガルドは止まらなかった。
ただ炎を強くするのではない。
身体の使い方を考える。
魔力の流し方を考える。
拳を振る角度を変える。
一つ一つの動きを見直していく。
これまでなら面倒だと思っていたことだった。
だが、不思議と今は苦ではなかった。
訓練をしている間だけは、胸の奥に渦巻いていた苛立ちが消えていた。
ロストの姿を思い出しても、腹は立たない。
代わりに、別の感情が湧いてくる。
――負けたくない。
ガルドは拳を下ろした。
肩で息をしながら、目の前の焦げた標的を見つめる。
「……ロスト」
何度も吹き飛ばした。何度も痛めつけてやった。
それでも努力を続けている。
何度倒れても、立ち上がろうとしている。
「……負けてられるかよ」
ガルドは拳を強く握り締めた。
その目に、これまでにはなかった意志が宿る。
「今よりも強くなる」
誰かに言われたからではない。
誰かに期待されたからでもない。
初めて、自分自身の意思で掲げた目標だった。
拳を突き出す。
轟音とともに、炎が標的を包み込んだ。
「あいつには絶対に、負けねえ」




