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十話 師事

「それより、なぜこんな魔物が現れたのだろうな?」


ケイオスは倒れたイレギュラー・ベアーズを一瞥しながら、エヴァンスと情報を交換していた。


先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた森には、今もその爪痕が残っている。

それらを眺めながら、エヴァンスは難しい顔をしていた。


「本来、この森にこれほどの魔物が現れたとは一度も聞いたことがない。イレギュラーが突然変異とはいえ、これだけの力を持つ魔物がいきなり現れるはずはないんだ」


「こうなるように仕組んだ誰かがいるとでも? ……何のために?」


ケイオスの問いに、エヴァンスは腕を組んだ。


「わからない。情報がなさすぎる」


二人の間に沈黙が落ちる。


偶然なのか。

それとも、何者かによって意図的に引き起こされたものなのか。

現時点では、判断するための材料があまりにも少なかった。


そんな二人の会話を、少し離れた場所で聞いていたロストがゆっくりと立ち上がった。

まだ身体中に痛みが残っている。

それでも、今は伝えなければならないことがあった。


ロストはケイオスのもとへ歩み寄る。


「遅くなりましたが……助けていただき、ありがとうございました」


そして、深々と頭を下げた。


「私はロスト。ロスト・クライシスといいます」


「私はケイオス・ジャーだ」


その名前を聞いた瞬間だった。

ロストの目が大きく見開かれる。


「……ケイオス・ジャー」


その名を知らない者は、王都ではほとんどいない。

現代最強の剣士。


王都に所属する剣士の中でも別格とされ、これまで数々の強大な魔物を討伐してきた人物。

剣の道を志す者なら、一度はその名に憧れる。


ロストにとっても、それは同じだった。

幼い頃から剣を握り、何度も届かない強さを追いかけてきた。

そんなロストにとって、ケイオス・ジャーという存在は、まさに雲の上の人物だった。


「ケイオス……さん?」


「そうだ」


「本物、ですか?」


「偽物に見えるか?」


「い、いえ!」


ロストは慌てて頭を下げた。


「すみません! まさか、こんな場所でお会いできるとは思わなくて……!」


ケイオスはそんなロストの様子を、少し意外そうに眺めていた。

そしてロストの胸の奥では、一つの思いが急速に膨らんでいく。

今まで何度も願った。

もっと強くなりたい。

誰かを守れる力が欲しい。

けれど、誰に教えを乞えばいいのかもわからなかった。

自分には才能がない。

魔力もない。

異能もない。


だからこそ、誰よりも努力するしかないと思っていた。


だが――。


目の前にいるのは、自分が目指してきた強さの頂点に立つ男だった。

ここで何もしなければ、きっと後悔する。

ロストは一歩、ケイオスへ近づいた。


「ケイオスさん」


「何だ?」


「お願いがあります」


ロストは痛む身体を押して、その場に膝をついた。

そして、地面に手をつく。


「俺を……弟子にしてください!」


突然の言葉に、ケイオスの眉がわずかに動いた。


「弟子?」


「はい!」


「なぜだ?」


問いかけられ、ロストは唇を噛んだ。

言葉にするだけで悔しさが込み上げてくる。


「俺には、何もありません」


声が震える。


「魔力も、異能も、戦うための才能もない。努力しても……今日みたいな格上相手には、何もできませんでした」


脳裏に、先ほどの光景が蘇る。

迫りくる巨大な爪。

必死に剣を振る自分。


そして――何もできなかった。


「あれほど鍛えてきたのに……俺にできたことは、仲間の逃げる時間を稼ぐことだけでした」


拳が震える。

悔しかった。

自分の無力さが、どうしようもなく悔しかった。


「でも……」


ロストは顔を上げた。

その瞳には、消えることのない意志が宿っていた。


「俺は強くなりたいんです」


ケイオスは黙ってロストを見る。


「誰かが危険な目に遭ったとき、何もできない自分でいたくない」


ロストは拳を握り締めた。


「助けたいと思った人を……今度こそ、自分の手で守れるようになりたい」


「……」


「お願いします」


ロストは深く頭を下げた。


「俺を鍛えてください!」


ケイオスはすぐには答えなかった。

しばらくの間、ロストを静かに見つめる。

その視線は鋭い。

まるで、ロストという人間そのものを見透かそうとしているかのようだった。


やがて、ケイオスはゆっくりと口を開いた。


「お前は、自分に才能がないと言ったな」


「はい。俺には何も……」


「だが」


ケイオスの言葉が、ロストの言葉を遮った。


「俺はまだ、そう判断していない」


「……え?」


ロストが顔を上げる。


「試してもいないのに、才能がないかどうかなんてわからないだろう」


ケイオスは立ち上がった。


「立て」


「……はい!」


ロストは痛みをこらえながら立ち上がる。


その姿を確認すると、ケイオスは地面に落ちていた剣を拾い上げた。


それをロストへ投げる。


「構えろ」


「えっ?」


「弟子にしてほしいのだろう?」


ケイオスは静かに言った。


「なら、まずはお前の力を見せろ」


ロストは投げ渡された剣を握り締めた。


手のひらに伝わる感触。


何度も握ってきた、いつもの剣だ。


それだけで、少しだけ気持ちが落ち着いた。


対するケイオスは、腰の剣を抜かなかった。


ただ、ロストの前に立ち、右手を軽く構える。


その構えには、一切の力みがない。


むしろ隙だらけにすら見える。


だが――。


ロストは直感的に理解していた。


隙など、どこにもない。


「俺の攻撃を避けてみろ」


「……それだけでいいんですか?」


「ふっ……それだけだ」


ロストはゆっくりと息を吸った。

そして吐く。

身体は痛む。

腕も震えている。

脚にも力が入りきらない。


それでも、目だけはケイオスから離さなかった。


一瞬たりとも見逃さない。


「いくぞ」


「お願いします!」


ケイオスが踏み込んだ。


――速い。


先ほどのイレギュラー・ベアーズとは違う。


力任せの速さではない。


無駄がない。


最小限の動きだけで、一気に間合いを詰めてくる。


だが――。


ロストには見えた。


肩が動く。

重心が前へ移る。

右足が地面を蹴る。

その一つ一つの変化を、ロストの目は捉えていた。


攻撃そのものではない。

攻撃が始まる直前の身体の動き。

相手がどこへ向かおうとしているのか。

長年の鍛錬によって身につけた感覚が、無意識のうちに答えを導き出していた。


ロストは身体を横へ滑らせる。

紙一重。


ケイオスの手が、ロストの胸元をかすめた。


「……ほう」


ケイオスの目が細くなる。


「もう一度だ」


再び踏み込む。

ロストは身体を捻った。

攻撃が目の前を通り過ぎる。


「……!」


二度目も避けた。

三度目。

今度はフェイントが入る。


一瞬だけ、ケイオスの肩が逆方向へ動いた。

ロストの反応が遅れる。


「しまっ――」


だが、次の瞬間。

ロストは身体を反転させ、紙一重で攻撃をかわした。

ケイオスの手が髪を揺らす。

そこで、ケイオスは手を下ろした。


「なるほどな」


ロストはそこで初めて、自分が息を止めていたことに気がついた。


「はぁ……はぁ……」


肩で息をする。

たった数回の攻防。

それだけなのに、全身から汗が噴き出していた。

ケイオスはロストを観察しながら口を開く。


「身体能力は低い」


ロストの表情が曇る。


「体力も足りない。今の身体の状態を言い訳にはするなよ」


「……はい」


「だが――」


ケイオスの視線が鋭くなる。


「お前は、俺の動きが見えているな」


「動き……ですか?」


「肩、腰、足の運び」


ケイオスは自分の身体を軽く動かしてみせる。


「攻撃そのものではなく、攻撃が始まる前の変化を見ている」


ロストは黙って聞いていた。


「普通はそこまで見切れない。まして、今のお前の身体能力で俺の攻撃を避けるなら、なおさらだ」


ケイオスは腕を組む。


「経験を積めば、もっと正確に相手の動きを読めるようになるだろう」


ロストの目がわずかに見開かれた。

今まで、自分より強い相手の攻撃を避けられることを、不思議に思ったことはなかった。

ただ必死に相手を見ていた。

相手の動きを観察し、次に何が来るのかを予測する。

それを何度も繰り返してきた。

それが自分の持っていたものだとは、考えたこともなかった。


「これは、お前が持っていた才能を鍛え、積み上げてきたものだ」


「俺が……?」


「ああ」


ケイオスは小さく頷いた。

そして心の中で、別のことを考えていた。


(この年で、イレギュラー・ベアーズの攻撃をかわし続ける奴がどれだけいるんだろうな)


ケイオス自身、まだ本気を出したわけではない。

それでも、ロストが三度の攻撃をすべて紙一重でかわしたことは、十分に興味深い結果だった。

気づけば、ケイオスの口角がわずかに上がっていた。


「少なくとも――」


ケイオスはロストを見据える。


「鍛える価値はある」


「……!」


ロストの表情が変わった。


「それじゃ……!」


「ああ」


ケイオスは言葉を続ける。


「鍛えてやる」


ロストの胸が大きく跳ねた。

だが、ケイオスはすぐに続けた。


「ただし――」


その声音が、先ほどまでとは明らかに違っていた。


「死んだ方がマシだと思えるような修羅の道だ」


ロストの表情が引き締まる。


「俺の弟子になるということは、そういうことだ」


「構いません!」


迷いはなかった。

ロストは即答した。


「どんな修行でも耐えます!」


ケイオスは一瞬だけ目を細める。


「……その言葉、忘れるなよ」


そして、小さく笑った。


「鍛えてやる」


「……はい!」


ようやく、ロストの顔に笑みが浮かんだ。


しかし――。


ケイオスはすぐに表情を戻した。


「ただし、今すぐ修行を始めるわけじゃない」


「え?」


「まず身体を治せ」


「……はい」


「それと、無茶をするな」


ケイオスは静かに言った。


「無謀と勇気は違う」


その言葉に、ロストはうつむいた。


「……はい」


ケイオスは倒れたイレギュラー・ベアーズへ視線を向ける。

そして、その視線をクリスとルルーへ移す。


「今回のお前は、仲間を逃がすという目的を果たした」


ロストは黙って耳を傾ける。


「だが、自分が死ねば終わりという戦い方を続けていれば、本当に大事なものは守れない」


その言葉は、ロストの胸に深く突き刺さった。


「守りたいものがあるなら――まず自分が生き残れ」


ケイオスはロストを真っ直ぐに見つめた。


「強くなるというのは、そういうことだ」


ロストは何も言わなかった。

ただ、その言葉を心の奥へ刻み込むように、強く頷いた。

自分はまだ弱い。

何も持っていない。

だからこそ――強くなる。


今度こそ。


誰かを守るために、自分自身も生き残れる強さを手に入れる。


その決意を胸に、ロストは師匠を見つめていた。

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