九話 それぞれの覚悟
声が聞こえる。
遠くから誰かが自分を呼んでいる。
聞き覚えのある声だった。
守りたかった人たちの声。
――俺は、いったい……?
ぼんやりとした意識の中でそんな疑問を浮かべる。
身体がひどく重い。
目が思うように開かない。
それでも少しずつ。
深いまどろみの底から意識が浮かび上がってくる。
そして――
「……!」
ロストは勢いよく身体を起こした。
「ぐぁ……うっ……!」
全身に激痛が走る。
思わず顔を歪めてしまった。
「無理をするな」
すぐそばから低い声が響いた。
「治癒されて傷が塞がったとはいえ、痛みまではとれない」
ロストは荒い呼吸を繰り返しながら、声の主へ視線を向ける。
見覚えのある顔。
だが、すぐには思い出せない。
「……あ」
意識を失う直前。
巨大な熊の前脚を弾き飛ばし、自分を救ってくれた剣士。
「……あの時の……」
ようやく記憶が繋がった。
男は何も言わず、静かにロストを見つめていた。
その時だった。
ロストは自分のすぐ隣に二人の少女がいることに気が付いた。
「よかった……! 本当によかった……!」
クリスとルルーだった。
二人の瞳には涙が浮かんでいる。
クリスはロストの傷が完全に塞がっていることを確認するように、今も治癒の力を送り続けていた。
「クリス……」
ロストは小さく息を吐いた。
「無事だったんだな」
その言葉に、クリスの表情が歪む。
「私のことより……ロストが……!」
クリスはロストの身体に残る傷を見つめた。
治癒によって傷口こそ塞がっている。
しかし、そこに残された痛々しい痕跡を見れば、どれほどの無茶をしたのかは明らかだった。
「こんなに怪我をして……!」
クリスの声が震える。
その隣ではルルーも怒ったような表情を浮かべていた。
「無茶して!!」
「……大丈夫」
ロストは苦笑する。
「俺はちゃんと生きてるよ」
「大丈夫じゃないわよ!」
ルルーが声を荒らげた。
「どこが大丈夫なのよ! あんな無茶して……!」
その声には怒りだけではない。
怖かったのだ。
もし、あのままロストが戻ってこなかったら。
もし、あの場で命を落としていたら。
そう考えるだけで、胸が締め付けられる。
「痛かったよね……」
クリスが小さく呟く。
「ごめんね、私……」
「クリス」
「私がもっと……」
クリスは想いが止まらなかった。
「もっと強ければ……。一緒に戦えていれば……!」
ロストは静かに首を横に振る。
「この傷は、クリスのせいじゃない」
「でも……!」
「クリス」
ロストは彼女の目を見る。
「二人が無事でよかった」
その言葉に、クリスとルルーが顔を上げる。
「それだけで十分だよ」
ロストはゆっくりと二人を見渡した。
「クリス。無事でいてくれてありがとう」
「……」
「俺に、守らせてくれてありがとう」
クリスの瞳から、再び涙がこぼれた。
「ルルー」
「……なに?」
「……あの時、逃げてくれてありがとう」
ルルーが息を呑む。
「ルルーがいたから、俺は二人と再会できた」
「……っ」
言葉が出てこなかった。
あの時。
自分たちは逃げることしかできなかった。
ロストを残して。
その事実が、ずっと二人の胸に突き刺さっていた。
けれど、ロストは責めなかった。
それどころか――
感謝している。
そう告げた。
「……違う」
ルルーが小さく呟いた。
「あたしたちは……弱かっただけだよ」
「ああ」
「ロストを置いて……逃げた」
「でも、それで二人が生き残った」
ロストは穏やかに答えた。
「だから、それでいいんだ」
その言葉を聞いた瞬間。
クリスとルルーの胸に、あの時の記憶が蘇った。
逃げながら交わした言葉。
恐怖に震えながら、それでも胸の奥で固めた決意。
――もう、こんな思いはしたくない。
――次は、もっと強くなる。
――今度は、逃げるだけじゃない。
二人で誓った。
この男を一人にはさせないくらい強くなると。
クリスは涙を拭った。
そして、ロストをまっすぐ見つめる。
「……私、強くなるから」
小さな声だった。
けれど、その声には確かな意志が宿っていた。
「今度は、私がロストを守れるように」
ロストが驚いたように目を見開く。
「もう、逃げることしかできないのは嫌なの」
クリスは拳を握った。
「もっと力をつける」
震える声を抑えるように、一つ一つ言葉を紡いでいく。
「防御だけじゃなくて……癒すだけでもなくて」
そして――
「相手を倒すことができるようになる」
その瞳に、今までにはなかった強い光が宿った。
(ロストの横で戦えるように)
静かな決意だった。
隣にいたルルーも、ゆっくりと頷く。
「あたしもだよ。次は、もっと速くなる」
彼女は拳を握りしめる。
「速いだけじゃない」
悔しさを噛み締めるように、言葉を続けた。
「ちゃんと仲間を守れるようになる」
二人の覚悟を聞き、ケイオスは静かに目を細めた。
「……悪くないな」
クリスが顔を上げる。
「え?」
「自分の弱さを知る」
ケイオスは淡々と言った。
「それは、強くなるための第一歩だ」
そして、その視線をロストへ向ける。
「お前も、そう思うだろう?」
「……はい」
ロストはゆっくりと頷いた。
ロストは二人の覚悟を聞いて、自分は一人ではない。
守りたいと思える仲間がいる。
そして、その仲間達も自分と共に強くなろうとしている。
「俺も……もっと……」
言葉が途中で止まる。
何を目指すのか。
どこまで強くなればいいのか。
今のロストには、まだ分からない。
ただ一つだけ。
はっきりしていることがあった。
誰かを守るには力がいる。
自分も強くならなければならない。
仲間を守るために。
そして――
いつか、自分自身の力で未来を切り開くために。
ロストは拳を握った。
「……もっと、強くなる」
それは誰かに向けた言葉ではなかった。
クリスにも。
ルルーにも。
ケイオスにも。
聞かせるためのものではない。
自分自身に向けた、誓いだった。




