7-2-24 伝言ゲーム
スサノオが次に向かったのは、神域の一角に設けられた、かつてツキヨミが取り仕切っていた占術部門だった。ツキヨミが姿を消してからは、側近だったアメノコヤネとアメノフトダマの二人が、部長代理としてその任にあたっていた。
重い扉を開けてスサノオが入ると、二人は揃って立ち上がった。
「おお、スサノオ様! ご足労いただき恐縮です」
「ツキヨミ兄貴の私物を預かりたい」
スサノオが単刀直入に告げると、二人は一瞬顔を見合わせたものの、すぐににこやかにうなずいた。
「もちろんです。ツキヨミ様が残された品々は慎重に保管しております。必要であれば、すぐにお持ちします」
しかし、スサノオが「鏡が二枚あるはずだ」と口にした途端、二人の様子が変わった。アメノフトダマの笑みがぎこちなくなり、アメノコヤネは目を伏せた。
「……あの鏡は、非常に重要な品でして……すぐにというわけには……」
「証拠物品だからか?」
スサノオが静かに問いかけると、アメノコヤネは思わず口を滑らせた。
「ど、どうしてそれを──」
スサノオの瞳に怒気が宿った。
「すぐにここへ持って来い!」と声を荒らげ、拳を机に叩きつけた。厚い天板がたわむほどの一撃だった。
アメノフトダマも「お、落ち着いてください、スサノオ様」と宥めようとしたが、スサノオの威圧に気圧され、それ以上は口を挟めなかった。結局、アメノコヤネが奥から二枚の鏡を持ってきた。
鏡面は銀色に光り、裏面には精緻な刻印が施されていた。だが、杏子の目には、どちらも完成度の高い品には見えなかった。
「……どちらも試作品みたいね。大した魔力は感じられないし、朔の鏡とも全然違う。こんなものでアマテラスに叛逆? あり得ない……」
「これは日像鏡と、日矛鏡です」
アメノフトダマが神妙な面持ちで説明した。スサノオは鏡の裏面に指を滑らせ、刻印を確かめる。
「これをアマツマラに依頼したのは……お前たちだな」
アメノコヤネはたじろぎ、やがてしぶしぶうなずいた。
「ですが、私たちもツキヨミ様の使いから命じられただけでして……」
「本人じゃなかったのか?」
スサノオが睨みつけると、アメノフトダマが重い口を開いた。
「確かに不思議でした。鏡の製作という重要な任務なのに、ご本人は現れず……。ただ、依頼人はツキヨミ様の直筆だという命令書を持っていたのです。ご神筆の筆跡には見覚えがありましたし、それに……我々に部長代理のポストを保証してくれるとも」
「そういうことか……」
スサノオは眉をひそめ、視線を落とした。握り込んだ拳に力がこもる。
「で、そいつは誰だ?」
アメノコヤネはためらいがちに答えた。
「タマノオヤです……」
アメノフトダマが後を引き取った。
「彼は勾玉の製作部門の長で……ツキヨミ様と近しい関係だったと聞いています」
杏子がぽつりと呟いた。
「ツキヨミの名前だけが一人歩きしてる……」
「いやはや、お名前だけは大活躍。ご本人は留守のまま、伝言ゲームはどんどん話を広げる。最初の言葉と最後の言葉が違っていても、誰も気にしな〜い」
杏子は回りくどい話に苛立ちながらも、何かに気づき始めたように、鏡を見つめていた。
スサノオは次に、勾玉工房へ向かった。奥へ足を踏み入れると、年季の入った作業台の向こうの棚に、色とりどりの未完成の珠が並んでいる。気配を察したタマノオヤが、ぎこちない笑みを浮かべて出迎えた。
「おや、スサノオ様……これはまた珍しい。ど、どうなさいました?」
「聞きたいことがある」
スサノオは単刀直入に切り出した。
「アマツマラに鏡を作らせた命令書。あれを出したのは……お前か?」
タマノオヤの表情が一瞬こわばった。目が泳ぎ、言葉を探すように口を開きかけては閉じる。
「そ、そんな……まさか。わしが? なにかの誤解では……」
スサノオは一歩踏み込むと、タマノオヤの襟首を掴み上げた。
「誤解かどうかは、お前の口から確かめるとしよう」
「ぐっ……や、やめ……わ、わしが……わしがやった! 命令書は……わしが書いた!」
工房に緊張が走った。スサノオが手を離すと、タマノオヤは膝を震わせながら床に崩れ落ちた。
「でも、でもな、わしは唆されたんじゃ! あんなことになるなんて、思ってもみなかった……!」
スサノオはタマノオヤを睨みつけた。
「どういうことだ。誰に唆された」
「若い女神だよ。わしに言い寄ってきて……ああ、つい手を出してしまったんだ……。それで、新しい神が生まれたから認知しろと脅されて……」
スサノオは顔をしかめ、杏子は呆れたようにため息をついた。すかさず毒蛇の仮面が笑い声を上げる。
「おやおや、神話の定番ですな。気がつけば子が生まれ、気がつけば命令書。恋の火種で世界は燃える……というヤツでござろう?」
「つまり、仕方がないって言いたいの?」
杏子が軽蔑の眼差しを向けると、仮面は大げさに首を振った。
「とんでもない。吾輩はただ、神々が創造的すぎると言いたいだけじゃ。ええ、まったくもって男神どもは芸がない」
「女の敵……」
「うむ、それもまた役得」
杏子はもう一度ため息をついた。その間も、タマノオヤは震える声で話を続ける。
「女神の名は……アメノウズメ。踊りや芸能を司る、派手な格好の……妙に色っぽい娘だ。あんな若い美人に……頼まれて……断れるか……」
「それで偽造したのか。よく兄貴の筆跡を真似できたな」
「わしは勾玉師じゃ。手先の器用さには覚えがある。印も筆跡も、何度も見本を模してな……印の彫りの癖から筆の運び、筆圧のリズムまで、じっくり写した。精密な細工をするには、そういう目と手が必要なんじゃ……」
タマノオヤはうなだれ、苦々しげに続けた。
「印璽も……偽物だ。わしが作った……作らされた! あの女神は、ツキヨミ様の印璽の本物を知る者など限られておる、似せておけば疑う者もおらん……と言った。まさか、ここまで尾を引くとは……」
杏子は黙って聞いていたが、やがてぽつりと呟いた。
「力ある存在が、こんな小細工で物事を動かすなんて……。失望しかないわ」
仮面がまたしてもにやりと笑った。
「あらお嬢さん、神を信じてたの? 信じる者は救われる。されど、全員救うとは限らぬのが神の世界。哀れな信者の涙もまた、神々の舞台を濡らす立派な小道具! なんと愉快な悲劇でしょう!」
杏子は苛立ちをこらえ、仮面を睨みつけた。
スサノオは何も言わず、ゆっくりと背を向けた。肩の力が抜けたその背中には、怒りよりも深い疲れが滲んでいた。
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