7-2-23 主演スサノオ2
工房を出て山道を下りながら、杏子はスサノオの後ろ姿を見つめていた。湖でのんびり釣りをしていたかと思えば、突然、剣を打てと言い出し、しかも「八匹の蛇」を相手にするなどと途方もないことを口にしたのだ。
「八匹の蛇を一太刀で……って、ヤマタノオロチのこと?」
杏子は足を止め、何もない空間に向かって小さくつぶやいた。
「ただの暴れん坊じゃない、先を見通す力がある……。これもお前の『演出』とやらなの?」
問いかけに応じるように、杏子の傍らの空間がゆらりと歪んだ。毒蛇の仮面が、まるで舞台袖からひょっこり顔を出すように現れる。
「おやおや、観客席から鋭い突っ込みが入ったぞ! ……ふふ、演出か、それとも偶然か? あるいは演者のアドリブかもしれないねぇ。それは神のみぞ知るってやつさ!」
見えない拍子木が「カン」と鳴った。仮面はその響きを合図に、芝居がかった口調で言葉を継いだ。
「でもまぁ、客席で手に汗握ってくれる観客がいるなら、それだけでこの芝居は大成功でございます」
そう言うと、仮面はくるりと一回転し、霧のように消えていく。杏子は深いため息をつき、再び歩き出した。
「……観客か。確かにそんな気分だわ」
街へ戻ったスサノオは、足早に通りを進みながら、行き交う人々に道を尋ねていた。もっとも、尋ねるというにはあまりに高圧的だった。鋭い目つきで睨まれた者は気圧され、スサノオが差し出した地図に震える指で道筋を示す。スサノオはそれを確認すると、満足げに唸り、礼もそこそこにまた歩き出した。
杏子は少し距離を置き、その様子を眺めながら後を追った。
「ホント、聞き方ってもんを知らないのね……」
やがて通りの奥に、堂々とした門構えの鍛冶工房が見えてきた。木製の看板には「天津麻羅」の文字が手彫りされている。杏子はそれを目にして、思わず吹き出した。
「ちゃんと読める漢字で書いてあるんだ……いかにも夢って感じ」
すかさず、頭の奥から毒蛇の仮面の声が割り込んできた。
「いちいち時代考証の粗を突くんじゃあない。夢の演出家にだって都合というものがあるのですよ?」
工房の中は、まさに火と鉄の世界だった。巨大な炉が赤々と燃え、あちこちで槌が振るわれるたび、火花が天井近くまで散っていく。熱気に鉄臭さと汗の匂いが混じるなか、幾人もの職人が黙々と鉄を打ち続けていた。
スサノオは奥の作業台の前まで進むと、応対に出た親方に容赦なく言い放った。
「八匹の大蛇を一太刀で斬れる剣を作れ。今すぐだ」
言葉は短かったが、その眼差しには相手を圧倒する迫力があった。ところが親方は怯むどころか、むしろ口角を上げて堂々と答えた。
「ほうほう、それはまた随分と難しいご注文だ。並の工房じゃ荷が重いでしょう」
周囲の職人たちがちらりと親方を見て、笑みを漏らす。親方は胸を張り、得意げに言い切った。
「ですが、ご安心を! 神域一の鍛冶集団、我らアマツマラにお任せあれ! ……ただし、お代は張りますぜ?」
「おぅ、金のことは気にしなくていい。で、お前がやるのか?」
「イシコリドメが適任だ。あの女神は我らが誇る最高の職人。剣も鎧も鏡も、鉄でできるものなら何でも打ち上げる」
その言葉を聞いた途端、工房の奥の扉が開いた。煤けた作業着をまとった女神が姿を現す。小柄ながらも堂々とした足取りで、肩には金槌を担ぎ、顔には余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。
「呼ばれて飛び出て、イシコリドメ。まさかスサノオ様ご本人からご依頼とはね」
「お前が打つのか」
「当然でしょ? うちじゃ私が一番だもの」
イシコリドメは炉のそばへ歩み寄り、工具を手に取りながら、何気ない調子で話し始めた。
「八匹の大蛇か……面白そうね。あ、ちなみにあなただけじゃなく、あなたの兄上──ツキヨミ様からも依頼を受けたことがあるわよ」
スサノオの動きが、ほんの一瞬止まった。だが、イシコリドメはその変化に気づかず、楽しげに言葉を続ける。
「あれも不思議な仕事だったなぁ。鏡を作ってくれって言われてね。神の力を反射する鏡と、吸収する鏡。報酬は弾んでくれたけど、正直ちょっと変な依頼だった」
火箸を弄びながら、彼女はくすくすと笑った。
「もしかして、あれアマテラス様に使おうとしてたんじゃない? それで叛逆とか言われちゃったのかも。そっか、きっと後ろめたい気持ちがあったから……って、あれ?」
ようやく異変に気づいたイシコリドメが顔を上げると、スサノオが無言で睨みつけていた。顔は怒気で赤く染まり、握りしめた拳がゆっくりと震えている。
「ちょっ、待って、違──」
言い終わる前に、乾いた音が工房に響いた。スサノオの拳がイシコリドメの頬を捉え、彼女の身体は勢いよく床へ倒れ込んだ。
工房が一瞬にして静まり返った。槌を振るう音も、炉の火が爆ぜる音さえ遠のいたように感じられた。
「兄貴が……そんなことをするはずが……!」
スサノオは肩を上下させながら呟いた。怒りというより、打ち消したい感情が言葉になって漏れていた。
イシコリドメは呻きながら身を起こし、周囲の職人たちが慌てて駆け寄った。
「何よ、こっちは事実を話しただけじゃない……!」
杏子は少し離れた場所から、その光景を見つめていた。騒然とする工房の中でも、いま耳にした話が頭から離れなかった。
「……神の力を反射する鏡に、吸収する鏡。確かにすごそうだけど、朔の鏡とは全然違うわよね。八咫の鏡にしたって、まだ生まれてないはずだし……」
すると、待っていたかのように仮面が軽い調子で割り込んできた。
「時代考証にうるさいお客人だこと。夢なんだから、多少の脚色はご愛嬌というものでしょう?」
杏子は仮面をちらりと睨みつけ、考えを巡らせた。
「それに、その程度の鏡で、最高神アマテラスを倒せるとは思えない……」
「倒すだけが鏡の使い道じゃないだろう? たとえばこう、心を映す鏡、真実を暴く鏡、あるいは……姉のスッピンを見破る鏡! あー恐ろしや!」
杏子はじろりと仮面を睨んだ。
「……だからって、あんたの話を真に受ける気はないから。変な誘導しないで」
「おやおや、我はただの案内人。台本を渡しただけで、演じるのは君たちさ。筋書きが変わるのは、舞台が生きてる証拠ってもんでね」
杏子は仮面のふざけた態度に呆れながらも、イシコリドメの言葉を頭の中で繰り返した。
『きっと後ろめたい気持ちがあったから……』
その先の言葉は何だろう。
イシコリドメは、ツキヨミから依頼を受けたとは言ったが、本人に会ったとは言っていない。『依頼に来たのが、ツキヨミの代理』と続くのだとしたら──。
「もしかして、依頼したのは本人じゃなくて……従者?」
杏子がぽつりとつぶやいた瞬間、イシコリドメを問い詰めていたスサノオが、ぎろりと鋭い目つきで振り返った。彼も何かに思い当たったらしく、次の瞬間には工房を飛び出していた。
「ちょっと、何なの!?」
杏子の声にも応じず、スサノオは目を血走らせて街へ駆けていった。
「……従者を探しに行った? ツキヨミの……?」
「さーて、真相は誰の胸の内かな?」
仮面は楽しげにひと回転し、どこか軽やかに言い放った。
「追いかけないと、舞台が先に進んじゃうぞ、名探偵さん?」
杏子はため息をひとつつくと、スサノオの後を追って駆け出した。
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