7-2-22 主演スサノオ1
スサノオは市場から公園へ、さらに湖へと、あてもなく歩き回った。行く先に決まった目的などないようだったが、どこへ向かおうと、必ず騒ぎを起こした。
市場では、度数の高い酒を次々と試飲し、酔いが回ると酒樽をひっくり返して店員に絡んだ。皿を割り、看板を倒しては店先で怒鳴り散らし、誰かが止めようとすれば「誰に口聞いてんだ」と凄む。神々も人々も、腫れ物に触るような目で彼を遠巻きに眺めるばかりだった。
公園では、子どもの神たちに交じって鬼ごっこのような遊びを始めたかと思えば、気に入らない相手に鬼の役を押しつけて泣かせた。勝手に作ったルールで勝ち誇り、負けた相手には大人気ない暴言を吐くなど、やりたい放題だった。
「姉貴には勝てねーけど、おまえらには絶対負けねぇ!」
そんな捨て台詞を残して勝ち誇るスサノオに、子どもたちは次々と逃げ出していく。相手がいなくなると、彼は不貞腐れたようにポケットへ手を突っ込み、また当てもなく歩き始めた。
やがて、高天原の北側にある聖なる湖にたどり着いた。青く澄んだ水面は春風に揺れ、広い空を映し出している。スサノオは岸辺の岩に腰を下ろすと、何の前触れもなく釣りを始めた。すっかり酔ったまま釣竿を雑に垂らし、酒瓶を口に運びながら、何を待つでもなく水面を睨んでいる。
杏子は少し離れた木陰から、その様子を眺めていた。
「……できの悪い弟を持つと苦労するわね。アマテラスも大変」
呆れまじりにため息をついた、そのときだった。
スサノオは急に顔色を失い、身をよじって湖に向かって吐いた。酒臭い吐瀉物が水面に広がり、静かな湖畔に生々しい音が響いた。
たちまち水面が渦を巻き、その中心から湖の神が姿を現した。水をまとったような白銀の衣を翻し、怒気を孕んだ声でスサノオを一喝する。
「何という無礼……! この聖なる湖を穢すとは、何者だ貴様──」
そこまで言いかけた湖の神は、相手の顔を見た途端、ぴたりと動きを止めた。
「あ……ス、スサノオ様……でしたか。これは、失礼を……」
先ほどまでの剣幕はどこへやら、湖の神はたちまち腰を低くし、声まで柔らかくなった。
「ちょっとした……吐き気ですかね。どうか、お気をつけてくださいませ……」
何事もなかったかのように取り繕い、湖の神はそそくさと水面の下へ引き返していった。その姿が消えるのを見届けたスサノオは、面白くもなさそうに舌打ちした。
「……どいつもこいつも張り合いのねぇ」
吐き捨てるようにつぶやき、足元の小石を拾って湖へ放る。幾重にも広がる波紋を、彼は黙って見つめていた。
「何やってんだ、俺は……」
やがてスサノオは岩の上に寝転がり、白い雲をぼんやりと眺めた。柔らかな春風が湖面を撫で、岸辺の草花を揺らしている。どこかでホトトギスが鳴き、雲は形を変えながら、ゆっくりと東の方角へ流れていく。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、湖畔には穏やかな時間が戻っていた。
しばらくして、スサノオがぽつりと口を開いた。
「ここでさ、兄貴と釣りしたんだ。ツキヨミ兄貴と……小さい頃な。兄貴、ああ見えて釣り上手でさ。俺が釣った魚はいつも見栄えが悪いって笑って……」
誰に聞かせるともなく、彼は思い出を手繰り寄せるように言葉を続けた。先ほどまで周囲を威圧していた声からは、いつの間にか棘が消えていた。
「『力では解決しないこともある』。兄貴、よくそう言ってたよ。……そんな綺麗ごとで、この世界が回るなら、苦労はしねぇけどさ……でも、兄貴が言うと不思議と説得力があったんだよな」
空に浮かぶ雲は、誰かの顔を思わせる形になったかと思えば、風に崩され、跡形もなく流れていった。
「兄貴は……思慮深くて、慎重で。姉貴みたいに派手じゃねえけど、あの人の言葉には力があった。俺がどんだけ暴れても、兄貴が一言言えば黙ったくらいだ。姉貴が言ってたみたいな、反逆者なんかじゃねえ……絶対に」
杏子は、いつしか岩のそばまで歩み寄っていた。スサノオの隣に腰を下ろすと、風が二人の間を吹き抜け、湖面の波が岸辺に寄せては静かに砕けた。
スサノオはしばらく黙っていたが、やがて声を潜めて話し始めた。
「昔……食事を供した神を、兄貴が斬ったって騒ぎがあったんだ。姉貴はあの時も兄貴を罰した。でもな、あの話には裏があった。出された料理に毒が入ってたんだ。食中毒だよ……偶然か、故意かは知らねえ。兄貴は、神としての責任を取ったんだ」
杏子は、朔の鏡に閉じ込められたツキヨミの姿を思い浮かべた。鏡の中の彼は異形に歪み、理性さえ失ったかのように見えた。スサノオが語る兄の姿とは、あまりにもかけ離れている。
「……昔は、温厚な神だったのかもね」
杏子はそう答え、水面に映る空を見つめた。そこには、歪みひとつない美しい青が広がっていた。
春の陽気に誘われ、うとうとしかけていたスサノオが、ふいに顔を上げた。遠くの山間から、「カン……カン……」と規則正しい金属音が響いてくる。風に乗って届くその音に耳を澄ませたスサノオは、何かを思いついたように表情を変えた。
「……よし。いいこと思いついた」
スサノオは勢いよく身を起こすと、酒瓶を岩の上に残したまま、足早に歩き出した。あまりに唐突な変わりように、杏子も慌てて後を追う。
「なによ急に。釣りはもう終わり?」
スサノオは答えず、鼻歌交じりに山道を登っていく。その足取りは、先ほどまでの投げやりな様子が嘘のように軽かった。
鍛冶の音は進むにつれて大きくなり、やがて視界の先に煙を上げる工房の屋根が見えてきた。古びた木造の建物で、入り口には文字が薄れて読めなくなった看板が掛かっている。
軒先には鉄くずや割れた鍋などが山のように積まれ、壁や柱のあちこちには焼け焦げた跡が残っていた。由緒ある神々の国にある工房とは思えないほど、みすぼらしい鍛冶屋だった。
スサノオはためらうことなく戸を蹴り開け、中へ踏み込んだ。
「おいッ! 鍛冶屋!」
工房の中では、年配の職人が一人、黙々と槌を振るっていた。顔には黒い煤がこびりつき、髪は布でまとめられている。突然の怒声に職人は飛び上がり、手にしていた槌を取り落とした。
「ひ、ひぇっ!? ス、スサノオ様……!? ま、また何かやらかして……いえ、ようこそおいでくださいました!」
職人は慌てて姿勢を正したものの、その顔には隠しきれない怯えが浮かんでいた。
「剣を一本打ってほしい。一太刀で八匹の大蛇を斬り伏せられるような名剣だ。今すぐだ」
職人は膝をつき、何度も頭を下げた。
「と、とんでもないお話でございます! うちのような小さな工房では……とても、スサノオ様のお眼鏡にかなう神剣など……!」
「だったら努力でどうにかしろ。神に頼られたことを誇りに思え」
スサノオが一歩踏み出して凄むと、職人は顔面蒼白になり、慌てて両手を振った。
「そ、それなら……一つ、心当たりがございます!」
その言葉に、スサノオの足が止まった。職人はかすれた声を絞り出すように続けた。
「アマツマラ──天の鉄を扱う、由緒正しき鍛冶の一派でございます。高天原でも別格の技を持つ者たちです。そちらの工房であれば……きっと、スサノオ様のお望みの剣を打てましょう」
「アマツマラ……」
スサノオはその名を繰り返し、腕を組んで考え込む。その横顔には、どこか確信めいた光が宿っていた。
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