7-2-19 道化の内職
「わかったわ……協力する」
(……協力するふりをして、恵麻を解放させる。その後は適当な理由をつけて帰ればいい。それだけよ)
杏子はそう自分に言い聞かせ、ロキアンに向かって頷いた。
「いい返事だ」
ロキアンは満足そうに微笑み、会議室のモニターを示した。画面には、厳重な防護服に身を包んだスタッフたちが、慎重に破片を扱う様子が映し出されている。回収作業は着実に進み、破片は少しずつ元の形を取り戻しつつあった。
画面の端には回収状況を示すデータも表示されている。集まった破片は、全体のおよそ八十五パーセントに達していた。
「……これで足りるの?」
杏子は思わず呟いた。
「さあな。まだ細かい欠片が見つかるかもしれないが、そもそもすべてが揃っている保証はない」
ロキアンは肩をすくめた。
「もし微細な破片が失われていたら、修復後の強度や機能が損なわれる可能性が高いわね」
「その通りだ。破片を繋ぎ合わせるだけでは、通常の接着技術で完全に元へ戻すことはできない。特に、鏡のような光学特性を持つ物質は、わずかな歪みでも致命的になる」
杏子は腕を組み、首を傾げた。
「八咫の鏡は、ただの金属やガラスじゃない。神器としての特殊な力を持っている。冶金技術や通常の修復方法では対応できないと思うけど……いったい、どうやって復元するつもり?」
「その質問には、吾輩がお答えしよう!」
不意に響いた声に、杏子は目を向けた。ロキアンが懐から毒蛇の仮面を取り出し、机の上にそっと置いていた。仮面はまるで笑い声を上げるかのように口を開き、芝居がかった調子で語り始める。
「お察しの通り、破片を元の形に戻すためには〜、非常に! 高度な! 再構成魔法が必要になるのでございます。ただの修理じゃあない、原子レベルでの結合が求められる。これがなくては〜、話にならない!」
「……つまり、どうするの?」
あまりにふざけた口調に、杏子は眉をひそめた。仮面は大げさにため息をつく。
「おやおや、せっかちなお嬢さんだ! 焦るんじゃあない。ふぅ……さて、皆さまお待ちかね、なななんと、吾輩が破片を吸収し、我が体内にて再構築を試みるのだ! ……どうだ、驚いたか? いや、驚いてもらわねば困る!」
「物理的な形を戻すだけじゃダメでしょう? 八咫の鏡が持っていた『神の力』も復元する必要があるんじゃないの?」
杏子が問いかけると、仮面は「フフッ」と含み笑いを漏らした。
「まさにその通り! いやあ、お嬢さん、お目が高い! だが、それには……ちょっとしたお手伝いが必要でしてねぇ?」
仮面が意味ありげに言った直後、会議室のドアが開いた。防護服姿のスタッフが、厳重な容器に収められた八咫の鏡の破片を運び込んでくる。容器が机に置かれ、その蓋が開けられた瞬間、杏子は思わず息を呑んだ。
「ちょっと、放射線は大丈夫なの!?」
焦って問いかける杏子に、ロキアンは軽く手を振った。
「すぐ終わる」
毒蛇の仮面が、ゆっくりと口を開いた。そこから紫色の霧が吐き出され、容器の中の破片を覆い尽くす。霧は破片へとじわじわ浸透し、やがてその姿を呑み込んでいった。
次の瞬間、破片は形を保てなくなり、砂塵となって崩れ落ちた。
スタッフたちは黙々と作業を進め、容器の蓋を閉めると、無言のまま会議室を出ていった。杏子は息を詰めたまま、その一部始終を見届けていた。
「……鏡は破片の状態でも大きな力を持っている。うっぷ、吾輩の空き容量が不足している」
仮面は苦しそうに呟き、さらに呻いた。
「このままでは、復元した鏡が収まらぬな〜。うぇっぷ」
「なら、どうするつもり?」
ロキアンは肩をすくめた。
「これまで吸収した力は、捨ててしまえ」
「おおっと、太っ腹! 完全に削除した力はもう戻らないが……それでも良いのか? 本当に? 後悔しませんね?」
仮面が念を押しても、ロキアンに迷いはなかった。
「八咫の鏡さえあれば十分だ」
「良かろう」
仮面はそう答えると、声の調子を僅かに引き締めた。
「さぁ〜て、ここからが本番! だが、ちょっと待ってほしい。今から吾輩は、しばらく内職に入る」
「……内職?」
杏子が怪訝そうに聞き返すと、仮面は大げさにため息をついた。
「最近の若者ときたら、職人の苦労を知らんのだな! 八咫の鏡の修復には、繊細な舞台裏の作業が必要なのですよ。ほら、役者ってのは舞台に立っていない時も、せっせと準備をしているものさ! それと同じ、まさに職人技!」
「つまり、修復には時間がかかるって言いたいの?」
「その通り! お嬢さんに構っている暇はないってこと! 幕が上がるまで、ちょいとお休みさせてもらうぜ!」
そう言うと、仮面はぴたりと口を閉じた。先ほどまでの大仰な語りが嘘のように、沈黙だけが机の上に残される。
杏子はロキアンに目を向けた。
「……しばらく使い物にならないみたいね」
ロキアンは微笑を浮かべたまま仮面を手に取ると、静かに杏子へ歩み寄った。
「実は、私はこれから他にやることがあって忙しい」
そう言って、彼は仮面を杏子の目の前に差し出した。
「神の力の復元は、貴様に任せる」
その言葉に、杏子の指先が震えた。目の前に差し出された仮面は、手を伸ばせばすぐに触れられる距離にある。かつて自分の一部とさえ感じていた、愛おしい存在。その姿を前にして、杏子の意識は一瞬、仮面だけに引き寄せられた。
(この仮面があれば──)
考えが形になるより早く、ロキアンの手が動いた。
仮面は杏子の手に渡ることなく、その顔へと押しつけられた。
「グッドナイト」
耳元で囁かれたロキアンの低い声を最後に、杏子の視界は一瞬にして暗転した──。
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