7-2-17 伏魔殿
伊勢神宮襲撃がロキアンの仕業だと確信した杏子は、それ以来、連日のようにゼノン本社を訪れていた。
ビルの正面玄関から中へ入り、見慣れた受付カウンターへと向かう。今日こそは、何としても恵麻の居場所を聞き出してみせる。これまで何度足を運んでも、返ってくるのは曖昧な返答ばかりだった。
「インターンの恵麻を出して」
受付にいた女子社員は、困ったような笑みを浮かべて頭を下げた。
「申し訳ありません。東北支社に出張中です」
杏子の眉がぴくりと動いた。
「この前は関西出張だって言ってたじゃない。インターンがそんなに出張ばかりするわけないでしょ」
女子社員は返答に詰まり、視線を泳がせた。その背後から、のんびりとした男の声が割り込む。
「朝から騒がしいな」
振り返ると、片手でトランクを転がしながら、ロキアンがこちらへ歩いてくるところだった。彼は杏子と受付の女子社員を見比べ、まるで舞台役者のように肩をすくめてみせた。
「そんなに我が社の社員をいじめないでくれよ」
杏子はロキアンを睨みつけた。受付の社員を問い詰めたところで、これ以上の情報は得られそうにない。そもそも、彼女が本当に知りたいことを答えられる立場なのかも怪しかった。
「恵麻はどこ?」
ロキアンは受付の女子社員を指し示し、いかにも不思議そうに首を傾げた。
「東北出張だと、彼女から聞かなかったのか?」
「また危険なことをさせてるんじゃないでしょうね?」
苛立ちを隠そうともせず詰め寄る杏子に、ロキアンはわざとらしく両手を広げた。困り果てた相手をなだめるというより、面白い見世物でも眺めているような仕草だった。
「せっかく危険を顧みず単身で乗り込んできてくれたんだ。少し話を聞いてやろう。ついてくるといい」
そう言って、彼は受付横のエレベーターへと歩き出した。数歩進んだところで、ふと思い出したように振り返る。
「……最上階の会議室で、な」
ロキアンの視線が、杏子の持つバッグへと落ちた。
「ああ、手荷物は受付の彼女に預けてくれたまえ」
杏子の表情がわずかに硬くなった。バッグの中には、切り札である《獅子の剣》が収められている。ロキアンがそれを知らないはずはなかった。彼は最初から、剣を手放すことを条件にしているのだ。
ゆったりと笑みを浮かべたまま、ロキアンは続けた。
「物騒なものを持ち込まれては、『話し合い』にはならないからな。条件が飲めないなら、お引き取り願おうか」
杏子は歯を食いしばった。
ここで引き返せば、ロキアンの懐に飛び込む機会を失う。恵麻の居場所を突き止めるためにも、彼が何を企んでいるのかを探るためにも、ここは踏み込むしかなかった。
だが、獅子の剣を手放せば、手持ちの魔法だけで身を守らなければならない。ロキアンが話し合いに応じる保証などなく、会議室に入った途端に襲われる可能性さえある。もし本気で戦うことになれば、剣なしで勝ち目があるとは思えなかった。
ロキアンは杏子の迷いを見透かしたように、薄く笑った。
「どうした、来ないのか? 親友の情報が欲しくないのか?」
杏子は目を閉じ、静かに息を整えた。ここで剣を手放すことの危険は承知している。それでも、恵麻の身に何が起きているのかもわからないまま、いつまでも受付で押し問答を続けるわけにはいかなかった。
杏子はバッグを受付の女子社員に預けると、ロキアンを真っ直ぐ見据えた。
「……行くわ」
「それでいい。見上げた覚悟だ」
ロキアンは満足げに頷き、再びエレベーターへと向かった。杏子もその後に続く。彼の背中を見つめながら、杏子は自分が何を差し出したのかを改めて意識していた。
—-
会議室は広々としており、磨き上げられた長いテーブルが室内の中央を占めていた。その向こう側に腰を下ろしたロキアンは、まるで自分の邸宅にでもいるかのように悠々と足を組む。
「さて、何から話そうか?」
杏子はロキアンから目を離さないよう警戒しながら、向かいの椅子に腰を下ろした。獅子の剣は手元にない。いつもなら意識することもない距離が、今は妙に遠く感じられた。
「……恵麻はどこ?」
ロキアンは鼻で笑い、テーブルを指先で軽く叩いた。
「まあまあ、そんなに急ぐな。まずはもう少し、会話を楽しもうじゃないか」
「伊勢神宮を襲ったのは、やっぱりあんたね」
杏子は話を逸らそうとするロキアンを無視して、問いを重ねた。ロキアンは少しも動じることなく、余裕たっぷりに頷いた。
「その通り。なかなか楽しかったよ。古の神域に土足で踏み込むのは、スリリングな体験だった」
杏子の拳に力がこもる。
「目的は何?」
「もちろん、アマテラスさ。あの神を誘拐し、徹底的に痛めつけてやった」
あまりにも軽い口調だった。まるで珍しい品を手に入れた話でもするかのような物言いに、杏子の表情が険しくなる。
「神殺しの実験の一環として、彼女には特製の電気椅子に座っていただいた」
杏子は息を呑んだ。ロキアンは彼女の反応を確かめるように一瞬だけ言葉を切り、それから楽しげに話を続けた。
「神は人間とは違う。単純に電流を流せば死ぬわけではない。だから、どれだけの電圧と電流を加えれば、どんな反応をするのか──実験する価値があると思わないか?」
杏子の指先が震えた。
「……興味ないわ」
その声が届いていないはずはなかった。それでもロキアンは、構わず話を続けた。
「最初は微弱な電流から試したんだ。筋肉がぴくりと収縮し、呼吸が乱れる。神経を焼くような刺激が体を巡り、額には汗がにじむ。だが、さすがは太陽神、すぐには折れなかったよ」
杏子は唇を噛んだ。ロキアンはその様子を目にすると、いっそう愉快そうに口元を緩めた。
「それから電圧を上げてみた。皮膚の下で血管が浮かび上がり、指先が痙攣し始める。声も少しずつ震えてくる。強がっていても、体は正直なものだ」
ロキアンは次第に早口になり、手振りを交えながら、まるで目の前でその光景を再現するかのように話を続けた。
「最も興味深かったのは、一定以上の電流を流すと光を放つことだ。人間ならば焼け焦げるか、神経が完全に破壊されるところだが……彼女の場合は違った。まるで体内に光を蓄えるように輝き始めたんだ。まさに『太陽』だと思わないか?」
杏子は胃が捻じれるような感覚に襲われた。
「もういい……」
ロキアンは身を乗り出し、声を弾ませながら、いよいよ話に熱を込めた。
「もちろん、さらに出力を上げると……なかなか面白い反応が見られた。筋肉が硬直し、意識が混濁する。目は焦点を失い、身体は震え、ついには悲鳴が──」
「やめて!」
杏子は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「……反吐が出る」
ロキアンはすっと口を閉じ、先ほどまでの高揚を微塵も残さない顔で、杏子を見上げた。
「おっと、これは失礼。今の君は、もう『闇の女王』ではなかったな」
杏子は軽蔑を隠そうともせず、ロキアンを睨みつけた。
「自慢話を聞かせたいだけなら、帰らせてもらうわ」
杏子は踵を返し、会議室の出口へ向かう。恵麻の情報を得られないのなら、ここに留まる理由はない。
「おやおや、せっかくのショーを見逃すのか?」
背後から投げかけられた声に、杏子の足がわずかに鈍る。だが、彼女は振り返らなかった。
「もうすぐ、ここに八咫の鏡が届くんだがな」
杏子の足が、ぴたりと止まった。
ロキアンは満足げに笑みを深めた。杏子が何に反応したのか、彼にはわかっている。彼女の背中を眺めながら、その反応をじっくりと味わうように、黙って次の言葉を待っていた。
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