7-2-14 ロキアンの秘策
八咫の鏡引き上げ計画が中断された翌日。アマテラスとオモイカネは、再び原子炉建屋に降り立った。しかし、眼下に広がる光景は、昨日とは一変していた。
「な……なんじゃ、これは……」
思わずアマテラスが声を漏らす。原子炉周辺では大勢の作業員が行き交い、各所で重機や搬送装置が稼働していた。前日までの混乱が嘘のように、回収作業は整然と進められている。
ロキアンの指示を受けたノクターナルは、大量の資金を投入し、わずか一晩で作業人員を十倍にまで増やしていた。動員されたのは、数を揃えるためだけの人員ではない。専門技術を持つエンジニアや特殊作業に精通した技師たちが集められ、それぞれの役割を的確にこなしながら、精密なオペレーションを迅速に進めていた。
「いくらわらわが邪魔をしようと、これではまるで追いつかん……!」
アマテラスは歯噛みした。昨日の悪戯で多少の遅延を生じさせることはできたものの、その遅れはすでに完全に取り戻されている。回収作業は着実に進み、いよいよ最終段階を迎えようとしていた。
そして──。
「これより、八咫の鏡回収作戦を開始します」
恵麻の冷静な声が、作業区域に響いた。
「アエクティウム──無限に伸びなさい」
魔導AIが起動すると同時に、原子炉建屋の地下へと続く無人搬送装置が稼働を始めた。《天秤の鎖》を滑車と連結させ、重量物を高速で運搬するために構築されたシステムである。搬送ルートは専門家によって事前に設計され、各所の位置や角度も数ミリ単位の精度で調整されていた。
「チェーン・コンベア、全システム正常。フック滑車、準備完了」
コンベアが低い唸りを上げ、魔導エネルギーを受けて駆動する。燃料デブリのある地下深部へ美玲を送り込むための準備が整った。
「カールスティール──反射バリア、展開」
月奈の魔導AIが作動し、《巨蟹の腕輪》が美玲の全身を透明な膜が包み込んだ。光やエネルギーを反射する性質を持つ魔法の障壁であり、月奈は連日の訓練を通じて、その力を放射線の一部にも作用させられるようになっていた。
だが、危険がなくなったわけではない。
「言っておくけど、このバリアも万能じゃないわよ」
月奈は真剣な表情で美玲に向き直った。
「ある程度は放射線を反射できるけど、完璧に防げるわけじゃないの。炉心に近づけば近づくほど、バリアの崩壊速度は加速するし……長時間の作業は、いくら耐性があってもヤバいわ」
「つまり、時間との勝負ってことね」
「そういうこと。無茶しないで、すぐに戻ってきなさいよ」
月奈の声には、任務の危険性を理解したうえで、それでも送り出すしかない者の切実さが滲んでいた。
「大丈夫かな……」
小夜が不安げに呟くと、恵麻が静かに応じた。
「問題ありません。彼女には主人の秘策を授けてあります」
美玲は滑車のフックに腕を通し、身体を吊り下げるように固定した。足場のない地下深部へ向かう以上、移動中に体勢を崩すわけにはいかない。固定具の状態を確かめ、彼女は一度だけ仲間たちを振り返った。
「よし、行くよ!!」
気合を入れた声とともに、天秤の鎖と滑車が噛み合い、コンベアが急加速した。
美玲の身体が前方へと一気に引き出される。滑車は、まるでジップラインを滑り降りるかのような勢いでトンネルの奥へと駆けていった。視界の両側をコンクリートの壁が凄まじい速さで流れ、風圧が肌を叩く。耳元では、鎖が滑車を走る硬質な音が絶え間なく響いていた。
高速移動の衝撃に耐えながら、美玲は慎重に身体の軸を保った。やがて激しい加速が収まり、滑車の動きが滑らかになった頃、耳元の特殊無線からカウントダウンが流れ始めた。
「10……9……」
速度が徐々に落ちていく。冷えた金属が軋む音が、トンネルの壁に反響していた。
「8……7……」
壁面には焼け焦げた痕跡が点在し、足元をかすめるように瓦礫の影が流れていく。遠くから重機の稼働音が微かに聞こえていたが、進むにつれて、その音も次第に薄れていった。
「6……5……」
暗闇の向こうに、ぼんやりと光るマーカーが見え始める。目的地はもうすぐそこだった。
「4……」
無線にノイズが混じり始めた。
「3……ガ……ッ……」
音声が歪み、数字の輪郭が崩れる。
「2……ザ……ッ……」
もはや、何を告げているのか判然としない。
「い……」
最後の数字は雑音に飲み込まれた。
滑車が停止し、美玲は最深部へと到達した。彼女はすばやく着地すると、身体を支えていたフックを外した。
足元には、崩壊した核燃料デブリが広がっていた。複雑に折り重なった瓦礫と燃料の残骸が行く手を塞ぎ、その奥に八咫の鏡が眠っている。
美玲はポケットから、小さな魔法遺物を取り出した。任務に出る直前、恵麻から密かに渡されたものだ。
美玲は彼女との会話を思い返す──。
暗いシェルターの一角で、恵麻が静かに取り出したのは、掌に収まるほどの小さな砂時計だった。外見は控えめながら、ガラスの内側には細かな紋様が刻まれ、その中で不思議な輝きを帯びた砂がゆっくりと流れ落ちていた。
「これは?」
美玲が尋ねると、恵麻はいつもと変わらぬ冷静な口調で答えた。
「ベールの砂時計です。燃料デブリを掘削すれば、飛散したデブリから大量の放射線を浴びることになります。これを使えば、周囲の時間を三分間止めることが可能です」
「時間を……止める?」
美玲は努めて冷静に聞き返したつもりだったが、自分でも驚くほど声が上ずっていた。
「冗談でしょ? そんなの、あり得るわけが……」
目の前の恵麻は、冗談を言っている様子など微塵もなかった。魔導AIや魔法の存在を知っている美玲でさえ、時間そのものを止めるという話には、すぐに理解が追いつかなかった。
「ただし、すでに放射された放射線まで消えるわけではありません。停止前に放たれた放射線がバリアに弾かれるまで、三十秒お待ちください」
美玲は砂時計を光にかざした。ガラスの表面には細かな文字が刻まれていたが、見慣れない紋様の意味までは読み取れない。
「その後で、急いでデブリを掘り進めて、八咫の鏡の付近に到達したら、周囲一メートルを切り出せばいいってわけね?」
「ええ」
恵麻は端末を操作し、燃料デブリの分布をスクリーンに表示した。八咫の鏡は崩落した構造物と燃料デブリに埋もれている。位置を見誤れば掘削に余計な時間を取られるため、事前の調査結果を頼りに、慎重に進路を選ぶ必要があった。
「時間が動き出せば、飛散したデブリから放射線を浴びることになります。反射バリアの限界を超える可能性が高いため、作業の結果如何にかかわらず、時間が切れたら即座に撤収してください」
(わかってるって……)
美玲は現実に意識を戻し、ベールの砂時計を握りしめた。
三分で足りるかは、実際に作業を始めてみなければわからない。反射バリアの状態を確かめる余裕はない。ここから先は、自分の判断と手際にすべてが懸かっている。
彼女は覚悟を決め、砂時計を逆さにした。
次の瞬間、世界が凍りついた。
舞い上がっていた塵が宙に浮かんだまま静止し、崩れ落ちようとしていた瓦礫も、地面に触れる直前の姿勢で動きを止めている。音は途絶え、空間そのものが一枚の絵画へと変わったかのようだった。
「嘘……でしょ?」
美玲は恐る恐る手を振った。自分の身体は動く。しかし、それ以外のすべては、まるで世界から切り離されたかのように静止していた。
美玲は心の中で三十秒を数えた。それから《双児の双剣》を顕現させ、燃料デブリへと向き直った。
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