7-1-4 奥出雲のたたら場1
奥出雲の山中に、たたら場がひっそりと佇んでいた。しめ縄のかけられた入り口をくぐると、外の冷たい空気とは対照的に、鉄と炭の独特な匂いが鼻をつく。かつては多くの人が行き交っていたのだろうが、今は薄暗く、鍛冶場の隅に積まれた木炭の山も、長い年月を経て静かに朽ちつつあった。
作業台の前に立つ一人の老人が、煤けた布で道具を拭きながらこちらを見た。白髪交じりの髪を無造作に束ね、目元には深い皺が刻まれている。その姿からは、長年にわたって鍛冶の仕事に携わってきた者だけが持つ、揺るがない経験が滲んでいた。
「なんだ、見学かい?」
低く静かな声だったが、鍛冶の火にも負けない芯の強さがあった。
「突然すみません。こちらで剣の修復をお願いしたいんです」
小桜は背負っていたバッグから、慎重に草薙の断片を取り出した。木の作業台にそっと置くと、老人はそれを手に取り、指先でなぞるように表面を確かめる。
「随分古いものだな……」
酸化した表面はところどころ崩れ、もはや剣の断片というより、朽ちた骨のような姿になっている。
「こちらでは玉鋼の製造から刀剣の制作まで行っていると聞いたのですが……」
「ああ。俺は村下。刀工は奥にいる。おい、千早!」
村下が工房の奥へ声を飛ばすと、裏手から一人の若い女性が姿を現した。黒い作務衣に身を包み、腰には小さな鉋を差している。凛とした目元が印象的な彼女は、手にした布で油に汚れた手を拭いながら、小桜たちへ視線を向けた。
「何?」
「この断片、剣に戻せるか?」
村下に促され、千早は小桜の持つ断片を手に取った。しばらく無言で観察していたが、やがて小さく息を吐く。
「……無理。このサイズじゃ、鉄を補っても包丁にするのが関の山だね」
「それでも構いません」
小桜はほとんど間を置かずに答えた。
隣にいた智絵里が目を見開き、小桜の腕を引いて工房の隅へ連れていく。
「ちょっと、小桜! そんなことしたら原型がなくなっちゃうんじゃないの?」
声を潜めているものの、その口調には明らかな焦りがあった。せっかく草薙の剣を復元するためにここまで来たのに、包丁になってしまえば本末転倒だ。
「問題ないわ」
小桜は落ち着いた声で答えた。
「草薙の剣って、現代の刀とは形が違うの。武器というより装飾品だったって言われているし、剣としての性能もほとんどなかったはず。他の鉄で覆ってしまっても、本質的には変わらないと思う」
「でも……」
智絵里はまだ納得しきれない様子だったが、小桜の表情に迷いがないのを見て、しぶしぶ頷いた。
「……まあ、小桜がそう言うなら」
二人が話している間、村下は腕を組んだまま、じっと小桜たちを見ていた。
「さて、剣を復元するにしてもな……」
やがて村下は工房を見渡し、寂しげに笑った。
「今の俺たちじゃ、まともな玉鋼を作るのも難しい」
「どういうことですか?」
「玉鋼を作るには、最低でも十五人は必要なんだよ。でも今、ウチにいるのは……五人くらいでね。後継者が不足している」
村下はぼやくように言った。
小桜は黙って工房を見渡した。
玉鋼が作れなければ、剣の復元も始められない。けれど、人数が足りないというのなら、必要なのは技術ではなく、人手だ。
「村下さん、玉鋼を作る具体的な工程を教えてもらえませんか?」
「ん? まあいいが……」
村下は少し意外そうな顔をしたものの、やがて説明を始めた。
「まず、木炭の投入と火力調整をする者が五人は必要だ。それから、砂鉄を採集して選別する者が三人、大型のふいごを踏む者が四人」
村下は指を折りながら人数を数えていく。
「最後に炉の底から鉧を取り出して、品質を確認する役割が二人。これだけの役割を分担して、ようやく成り立つ」
「それだと十四人じゃ?」
つい智絵里が口を挟む。
村下は笑った。
「あと一人は村下と呼ばれる総監督。つまり、この俺だよ」
「村下って名前じゃなかったんだ……」
智絵里が小さく呟く。
小桜はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。その表情から、何かを決めたことが見て取れた。
「それなら……私が玉鋼の選別以外の作業を手伝います」
村下は呆れたように笑った。
「ははは、冗談言うな。一人で全部やれるわけないだろう?」
「大丈夫です。体力には自信があります」
小桜は真っ直ぐ村下を見つめた。
「でも、もし私ができなかったら――」
一度だけ言葉を切る。
「そのときは、本格的に弟子入りして、一生手伝います」
智絵里は驚いて小桜を見た。
「ちょっ、小桜!? そんなの本気で言ってるの?」
「ええ。本気よ」
小桜の返事に迷いはなかった。
智絵里は慌てたように小桜を見つめ、それから村下へ視線を移した。やがて何かを思いついたように表情を変える。
「……わかった。じゃあ、もしそうなったら、私が世界中にこのたたら場のことを発信する。後継者がいないなら、見つければいいじゃない」
自信たっぷりに言い放つ。
智絵里はインフルエンサーとして活動している。自分の発信がどこまで人を動かせるのか、もちろん本人にも分からない。それでも、本気で宣伝すれば、ここに興味を持つ人が現れる可能性はある。
村下はしばらく二人の顔を見比べていたが、やがて苦笑しながら頭を掻いた。
「まったく、最近の若いもんは……」
呆れたような言葉とは裏腹に、その顔にはどこか楽しげなものが浮かんでいた。
「よし、そこまで言うなら試してみるか。ただし、一度始めたら、途中で投げ出すことは許さんぞ」
「もちろんです」
千早は工房の隅から、静かに小桜と村下のやりとりを眺めていた。その唇の端に、わずかな笑みが浮かぶ。無謀とも思えることを迷いなく口にする少女の姿に、どこか懐かしさを覚えたのかもしれない。
だが、その笑みはすぐに消えた。
炎の消えた工房の中で、彼女の眼差しはひときわ鋭く輝いていた。
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