7-1-3 小桜とスサノオ
島根県の奥地にある須佐神社。スサノオノミコトの御霊が祀られていることで知られる神社だ。
鳥居をくぐり、静寂に包まれた参道を進む。小桜と智絵里は学院で学んだ神職の作法に従い、手水を済ませてから、丁寧に神前へ頭を垂れた。
境内を歩いていると、ひんやりとした風が吹き抜けた。午後の陽が差していたはずなのに、その瞬間だけ周囲が薄暗くなったように感じられる。
そのとき、智絵里が足を止めた。
「……あんな人、いた?」
小桜も振り返る。
大きな神木の根元に、男が腰を下ろしていた。
さっきまで誰もいなかったような気がする。けれど、いつからそこにいたのかと考えると、小桜にも確かな記憶がなかった。まるで最初からそこにいたかのように、男は木の幹にもたれ、境内の風景に溶け込んでいる。
髭も髪も伸ばし放題の初老の男だった。身につけているものはくたびれ、裸足の足は土にまみれている。参拝客というより、いつからか神木の根元に住み着いた浮浪者にでも見えた。
だが、小桜はその姿から目を離せなかった。
男の周囲だけ、空気の流れがわずかに違う。
魔力とも違う。けれど、人間のものとも思えない気配がある。
「……神職の人、かな」
男はぼんやりと空を眺めていたが、二人に気づくと、ニヤリと笑った。
「お前さんたち、随分と礼儀作法ができてるな」
その声に呼応するように、木々の葉がざわめいた。
智絵里は警戒して、わずかに距離を取る。
「ちょ、小桜……変なおじさんがいるよ……」
小桜は動けなかった。
男の視線が、射抜くように突き刺さる。ただの参拝客として見ていないことは明らかだった。こちらの魔力を見ているのか、それとも別の何かを見ているのか、小桜には判断できない。
まるで魂の在り方まで見抜かれているような──。
「……臭えな。黄泉の匂いがするぞ」
小桜の背筋を、冷たいものが走った。
その言葉の意味を、彼女は瞬時に理解した。この男は、自分が黄泉に触れた転生者であることを、見抜いている。
彼女は迷わず膝をつき、慎重に頭を下げた。
「お会いできて光栄です、スサノオノミコト様」
智絵里は目を見開き、信じられないというように首を振った。
スサノオは満足そうに鼻を鳴らした。
「ほぅ、お前さんはわかるか」
小桜はすぐに本題を切り出した。
「お願いがあって参りました。草薙の剣を修復していただきたいのです」
そう言って差し出した断片は、もはや、それがかつて剣であったことを見た目から判断するのも難しいほどだった。
スサノオはそれを手に取ることもなく、しばらく眺めてから顔を顰めた。
「あぁ、こりゃ酷いな……」
その一言に、小桜の胸が締めつけられる。
やはり、こんな状態ではどうしようもないのか。
それでも、何もしなければ前には進めない。ここまで来たのだから、せめて何か手掛かりだけでも得たい。
「藁にも縋る思いなのです……」
隣で智絵里が小桜の横顔をちらりと見た。普段ならもっと自信に満ちている彼女が、今はどこか不安げに見える。
スサノオはそんな小桜を眺めると、肩をすくめた。
「やれやれ、俺が刀鍛冶に見えるか?」
「そう……ですよね」
小桜の声から、わずかに力が抜けた。
そんな彼女を見て、スサノオは何かしてやりたいと思ったのか、少しばかり声を和らげた。
「その代わりといっては何だが、一つ教えてやろう。……この前、ここにある女が来た。物騒な剣を携えた奴だ」
小桜の背筋が凍った。
島根の一件で杏子を問いただした時、彼女は何かを隠しているような素振りを見せていた。あのときから気になっていたことが、今になって一本の線で繋がる。
「ひょっとして……杏子ですか? 私の姉なんです」
「そいつの名前までは知らんが、上等な鞘を持っていたぞ」
「鞘……?」
「ああ。そいつが持っていた剣は、鞘から力を供給されていた。富士山の女神、コノハナサクヤに賜ったものらしい」
小桜は息をのんだ。
コノハナサクヤは火の神であり、富士山とも深い関わりを持つ神だ。その神が与えた鞘なら、尋常ならざる力を秘めていても不思議ではない。
「……ここまで来た甲斐がありました」
小桜は深く礼をした。
それから智絵里とともに境内を後にする二人の背中を、スサノオは神木にもたれたまま見送っていた。
「姉妹で、ああも違うものか……」
その呟きは、風に紛れて消えた。
二人は神社を離れ、参道を歩きながら話し合っていた。
「結局、獅子の剣は鞘の魔力があったから、あんなに安定して使えてたんだろうね」
智絵里が腕を組んで唸る。
小桜はふと、地下迷宮での杏子の姿を思い出した。彼女が獅子の剣を構える直前、その剣はまるでバッグの中から突然現れたように見えた。
「……あのバッグの中に、鞘があったんだと思う」
「あー、確かに。剣がむき出しで入ってたら危ないもんね」
智絵里も納得したように頷いた。
「じゃあ、次はコノハナサクヤに会いに行く感じ?」
「うーん……それもアリだけど、鞘をもらったところで、剣の断片がそのままじゃ復元は難しいと思う」
「え? でも、剣を包むのに鞘が必要なんじゃないの?」
「必要なのは、神の力が込められた“器”であって、形状はたぶん何でもいいはず」
小桜は、須佐神社での会話を思い返していた。
『やれやれ、俺が刀鍛冶に見えるか?』
あのときは、ただ断られたのだと思っていた。けれど、なぜかその言葉が引っかかる。
「……スサノオノミコトは、“自分は鍛冶屋じゃない”って言ったけど……」
小桜はそこで言葉を止めた。
刀を修復できない、と言ったわけではない。
「裏を返せば、鍛冶屋なら修復できると認識してるってことだよね?」
「鍛冶屋……?」
智絵里は少し困惑したように首を傾げた。
「でも現代の鍛冶屋さんが、神器の修復なんてできるの?」
「わからない。でも、少なくともスサノオノミコトはそう思ってる。だったら、その可能性に賭けてみる価値はあるかも」
智絵里は小桜の顔を覗き込み、ふっと笑った。
「……元気出てきたね」
小桜は手の中の草薙の剣の断片を握りしめた。
確かな方法が見つかったわけではない。それでも、行き場を失っていた思考の先に、ようやく新たな道筋が見え始めていた。
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