7-2-10 美玲のモヤモヤ1
美玲は煌びやかな店内で、派手に金を使っていた。ボトルを次々に開け、高級シャンパンを惜しげもなく振る舞う。店のスタッフは一様に笑顔を向け、ホストたちは競うように彼女の機嫌を取った。
けれど、美玲は楽しくなかった。
かつては、この場所が心地よかった。現実のしがらみを忘れ、華やかな幻想に浸れる空間だった。金さえあれば王様のように扱われ、自分が特別な存在になったような気分になれる。それだけで十分だったはずなのに、今はその感覚がどこか遠い。
(いずれ、こうなるって分かっていたはずなのに……)
グラスの縁を指先でなぞりながら、美玲はぼんやりと考えた。これまで危険な仕事をいくつもこなし、その報酬として大金を手にしてきた。リスクがあることも承知していたし、それを受け入れたからこそ、今までやってこられたつもりだった。
(でも、やっぱり……)
胸の奥に澱のようなものが溜まっていく。美玲はそれを押し流すように、手にしたシャンパングラスを一気に煽った。
そんな様子を見て、一人のホストがそっと近づいてきた。
「……美玲ちゃん、何かあった?」
彼女の「推し」である涼真だった。派手すぎないスーツに身を包み、落ち着いた雰囲気を纏った男で、店ではクールなキャラクターを通しているが、長く付き合っている客には自然と気を配るところがあった。
「久しぶりに来たと思ったら、今日はやけに羽振りがいいね。でも……楽しそうには見えない」
優しく問いかけられ、美玲は無言でグラスを置いた。それから、ほんの少しだけ笑う。
「別に、何もないよ。ただ、今まで金のために汚い仕事をしてきたけど……ついにしっぺ返しをくらったってだけ」
自嘲するように言うと、涼真は少し考え込むように視線を落とした。それから、美玲を励ますでもなく、諭すでもなく、静かに言葉を紡ぐ。
「……俺たちの仕事だって、世間からは下に見られがちだけどさ」
「え?」
「それでも、俺は夢を売ってるつもりでやってるんだよ」
涼真はそう言って、少しだけ笑った。
「誰かの支えになってるって思えるから、続けられる。仕事がどう見られるかじゃなくて、自分がどう向き合うか……俺はそれが大事なんじゃないかって思うんだ」
美玲は、ぼんやりとその言葉を噛み締めた。
(そんなものなのか……)
自分の仕事と、ホストの仕事。どちらも金を稼ぐための手段には違いない。けれど、涼真はそこに別の意味を見出しているらしい。それが本心なのか、客に聞かせるための言葉なのか、美玲には分からなかった。
ただ、少なくとも彼は、その言葉を信じて仕事をしている。
その時だった。
店内に、突然、女の悲鳴が響き渡った。
「やめてぇぇぇ!!!」
美玲が振り返ると、入口近くで女がガソリンの入ったポリタンクをひっくり返していた。鼻を刺す刺激臭が瞬く間に広がり、その手にはライターが握られている。
その女と、一人のホストが激しく言い争っていた。
「……こんなに貢いだのに……! 私の全部をあげたのに!!」
「は? 全部って、何の話? あんなのはただの『仕事』だよ」
「嘘……そんなはずない……!」
「いやいや、何勝手に勘違いしてんの? お前みたいな客、いくらでもいるんだわ」
「じゃあ、私のこと……ずっと騙してたっていうの!?」
「騙すも何も、お前が勝手に舞い上がっただけだろ? 俺、お前に本気なんて言ったことあったっけ?」
「ねぇ……うそ……だよね?」
女の手が震えた。
そして、ライターに火が灯る。
「……みんな、逃げ――」
誰かが叫ぶのと同時に、轟音が店内を揺らした。撒き散らされたガソリンに一気に火が回り、炎が爆発的に広がる。
美玲は反射的に身を屈めた。衝撃でテーブルや椅子が揺さぶられ、熱風が吹き荒れる。視界の端では、ホストやスタッフが火の粉を浴び、悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
そのとき、美玲は自分の身体に覆い被さる何かを感じた。
「……え?」
ゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、涼真だった。
彼は美玲を庇うようにして、その身体を覆っていた。けれど、その背中には炎がまともに回っていた。スーツは焼け焦げ、露出した皮膚には赤黒い火傷が広がっている。
「涼真……?」
涼真は苦しげに息を吐いた。それでも、美玲の顔を見て、かすかに笑う。
「……美玲ちゃんが無事で、よかった」
それだけを言うと、彼の身体から力が抜けた。
「ふ……ふざけんな!!!」
美玲の叫びが、店内に渦巻く悲鳴に混じった。
「何格好つけてんのよ……! お前だって、結局は金のためにやってたんだろ!? なのに……なんで……」
震える手で涼真の肩を揺さぶる。けれど、もう返事はなかった。
美玲は唇を噛み締めた。
彼の仕事も、金を稼ぐためのものだったはずだ。なのに最期の瞬間、涼真は自分の命よりも客を守ることを選んだ。
それが、本当に「仕事」なのか。
金のためなら、ここまでする必要なんてなかったはずだ。
──誰かの支えになっていると信じているから、続けられる。
先ほど聞いた言葉が、美玲の胸の中によみがえる。
彼は、最期までその言葉を裏切らなかった。
「……意味わかんない」
燃え盛る炎の中で、美玲の価値観が揺らいでいく。
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