7-2-1 ゼノビアの秘宝
フリージャーナリストの片瀬俊吾は、倉庫の隅に身を潜め、息を殺していた。
盗掘団から密輸組織へ、そして運び屋へ。パルミラ遺跡で盗掘団の動きを掴んで以来、片瀬は手がかりを追い、根気強く尾行を続けてきた。その果てに、ようやく辿り着いたのが、この取引現場だった。
やがて倉庫の入口から、一人の西洋人が姿を現した。一見すればビジネスマン風の男だが、その顔には余裕を湛えた薄い笑みが浮かんでいる。周囲を見渡す仕草にも警戒より先に相手を値踏みするような冷たさがあり、ただの商談相手とは思えなかった。
その隣には、秘書らしき東洋人の女が静かに控えていた。長い黒髪を後ろでまとめ、整った顔立ちにはほとんど表情がない。視線だけを動かして周囲の様子を確認しながら、必要とあれば即座に動けるよう身構えているようだった。
スーツの男は手にしていた古びた木箱を床へ静かに置くと、少し苛立ちを滲ませた声で言った。
「ようやく“ただの箱”から“価値のある箱”に昇格するわけだ。前回は開かない箱に大金を払わされる羽目になったが……今回はちゃんと“中身”に値段をつけられるんだろうな?」
運び屋のリーダーが顎をしゃくる。
それを合図に、部下の一人が手のひらほどの金属製の鍵を差し出した。
「鍵はここにある」
男が鍵を受け取り、箱の側面にある鍵穴へ差し込む。
その瞬間、箱全体に複雑な紋様が浮かび上がった。
長い眠りから目覚めたかのように、紋様は淡い金色の光を帯び、ゆっくりと脈動し始める。続いて、低い振動音が倉庫の床を震わせた。
鍵穴から蒼白い火花が弾ける。
目には見えない何かが断ち切られたような感覚が空気を震わせ、箱を覆っていた紋様が光の粒となって消えていく。
やがて、箱の蓋が静かに開いた。
その中に収められていたのは、手のひらに乗る程度の小さな砂時計だった。
片瀬は目を凝らした。
装飾品として見れば決して華美ではない。ただ、古びた外見とは裏腹に、そこには何かが宿っているような、妙に強い存在感があった。
スーツの男は砂時計を覗き込み、満足げに微笑んだ。
「間違いない。これはパルミラの女帝ゼノビアが隠した秘宝……『ベールの砂時計』だ」
その言葉を聞いた瞬間、運び屋たちの目の色が変わった。
「随分と価値がありそうな代物じゃねえか」
リーダーがニヤリと笑う。
「取引はここで終わりだ。お宝はいただくぜ」
彼が銃を抜く。
それを合図に、仲間たちも一斉に武器を構えた。
「やれやれ、やっぱりな」
スーツの男は小さくため息をついた。
「だが、お前たちはどうせ、これの使い方を知らないんだろう?」
そう言って、男は砂時計をひっくり返した。
その瞬間、静寂が訪れた。
周囲の音が消えた。風の流れさえ止まっている。
ほんの数秒だったのか、それとも、もっと長かったのか。
片瀬には分からなかった。
気がつくと、砂時計の砂はすべて下へ落ちていた。
目の前の光景に、片瀬は思考を凍りつかせた。
銃を構えていた男たちは、一人残らず床に崩れ落ちている。撃つどころか、反応することさえできなかったかのように、誰も身動きしていない。
何が起こった?
片瀬は確かに見ていた。あの男は、砂時計をひっくり返しただけだ。
それなのに、目の前ではあり得ないことが起きている。
理解できない現実に、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
スーツの男は何事もなかったかのように砂時計をポケットへしまうと、秘書の女を伴って倉庫を後にした。
片瀬は戦慄を押し殺しながら、すぐに行動を開始した。
(あの男は何者だ?)
その答えを探るため、片瀬は再び尾行を続けた。
男は慎重に周囲を警戒する様子さえ見せず、車に乗り込んだ。まるで、誰かに追跡される可能性など最初から考えていないかのように、悠々と車を走らせていく。
片瀬は一定の距離を保ちながら、その行き先を追った。
やがて車が停まった場所を見て、片瀬は小さく息を呑んだ。
(やはり、ここか)
ゼノンサイエンス本社。
表向きは最先端技術を開発する企業だが、その裏では数々の闇取引に関わっているという噂が絶えない。
だが、問題はここからだった。
本社ビルは鉄壁ともいえる警備体制を敷いている。正面から潜り込むのは無謀だし、無理に侵入すれば、これまで追ってきたものをすべて失うことになる。
片瀬はビルを見上げ、舌打ちした。
「……いったん引き上げるか」
そのまま近くのカフェへ入り、片瀬はスマホを取り出した。
今は周辺から洗うしかない。
ゼノンサイエンスと関わったフリーランス、外部企業、関係者。公開されている情報を一つずつ洗い直していく。
しばらく検索を続けていると、片瀬の指が止まった。
そこに表示されていたのは、この事件とは一見して無縁に思える肩書だった。
女子高生インフルエンサー。
過去にゼノンサイエンスのプロモーション案件を受けたことがあるらしい。起用そのものは、所属事務所を通した一般的な企業案件だったが、片瀬は参加者の一覧を見て眉をひそめた。
「……未成年者が一人いるな」
それ自体は珍しくない。若い世代へのイメージアップを狙った企画なら、本人の発信力を利用することもあるだろう。
だが、片瀬のジャーナリストとしての嗅覚が、微かに働いた。
(怪しい……社員の家族じゃないのか……?)
もちろん、それだけで何かあるとは言えない。だが、取材を続けていると、こうした小さな違和感が思わぬ手がかりになることがある。
片瀬は画面に表示された名前を見つめた。
「智絵里……か」
スマホを握りしめ、片瀬は次の取材対象を決めた。
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