7-1-21 囚われの姫神1
伊勢神宮から北東へ約七十キロ。車で一時間半ほどの距離にある鈴鹿市は、古くから工業都市として知られ、自動車関連の研究施設も数多く集まっている。その一角に建つゼノンサイエンス社の拠点に、アマテラスは囚われていた。
施設の内部は、無機質な金属とコンクリートに囲まれていた。かつては風洞実験でも行われていたのか、広いフロアには奇妙な形状の器具や計測装置の残骸が散乱している。その中央には禍々しい赤黒い光を放つ魔法陣が描かれ、その上にアマテラスが横たわっていた。
彼女は肩で息をし、細い指先をかすかに震わせている。透き通るようだった肌は血の気を失い、長い黒髪が床に広がっていた。かつて人間を圧倒した神としての威厳も今は見る影がなく、胸元に輝いていた神紋も、わずかな光を残すばかりだった。
その神力を吸い上げているのは、彼女の顔に取り付けられた毒蛇の仮面だった。漆黒の金属には蛇が絡みつくような造形が施され、刻まれた符印がゆっくりと赤く脈動している。そのたびにアマテラスの体から神の力が抜き取られ、仮面の奥へと吸い込まれていった。
「ずいぶんと静かになったな。そろそろ外してやろう」
声をかけたのはロキアンだった。
彼は芝居がかった仕草でアマテラスの顔に手を伸ばすと、まるで劇の幕を開けるように、ゆっくりと仮面を引き剥がした。
「ほう……顔色が優れないな?」
ロキアンは仮面を手にしたまま、愉快そうにアマテラスを見下ろした。
「貴様のような神に名乗る必要もないと思ったが、礼儀として教えてやろう。我が名はロキアン・フェルナンデス」
「……」
「ただの人間だが、貴様を屈服させるには十分だろう? ほら、覚えておくがいい。歴史に刻まれる名かもしれんぞ?」
芝居役者のような笑みを浮かべ、ロキアンは仮面を一度胸元に掲げた。それから、ゆっくりと自分の顔へ当てる。
仮面が完全に馴染むと、その口元に薄い笑みが浮かんだ。
「これでようやく、対等に話ができる」
長身痩躯のロキアンは黒いローブを纏い、肩まで伸びた銀髪を背に流している。仮面から覗く瞳には、冷たく歪んだ光が宿っていた。
アマテラスは力なく目を伏せ、かすれた声を絞り出した。
「……水……を……」
ロキアンは顎を軽く上げると、隣に立つ黒いゴシック衣装の女──恵麻へ目配せした。
恵麻は、ベールの付いたフードを深く被ったまま無言で頷き、傍らのテーブルに置かれていたグラスに水を注いだ。
「どうぞ」
恵麻はアマテラスを抱き起こし、グラスを唇に当てる。アマテラスはわずかに顔を引きつらせたが、逆らう力もなく、静かに水を口に含んだ。乾いた喉が潤うにつれて、その瞳にほんの少しだけ意識が戻ってくる。
そのとき、アマテラスの視線が窓の外へ向いた。
フェンスの上に、一羽のハトが止まっている。こちらの様子を窺うように、小さな首を傾げていた。
「……」
アマテラスは表情を変えず、ゆっくりと目を逸らした。下手に反応すれば、ロキアンに気づかれるかもしれない。
「安心しろ」
ロキアンはその視線を見逃さなかった。
「ここは山の中だ。周囲に建物はないし、人の出入りもない。……邪魔が入ることもない」
そう言って指を鳴らすと、魔法陣の縁がじわりと赤く光った。重い魔力が立ち上がり、アマテラスの体を締め付けるように包み込む。
「……ここは、まともな椅子すら無いのか……」
アマテラスが、かすかに笑った。
「ああ。特別席があったことを忘れていたな」
ロキアンも肩をすくめ、口元に薄笑いを浮かべる。
彼が合図を送ると、恵麻が奥から椅子を押してきた。それは椅子というより、古びた拷問器具を思わせる代物だった。金属製の肘掛けと足元には、手首や足首を固定するための枷が取り付けられている。
それを見た瞬間、アマテラスの細い瞳孔がわずかに揺れた。
「さあ、座ってくれ。これからが本番だ」
ロキアンは愉快そうに言った。
恵麻がアマテラスの腕を掴み、椅子へ無理やり座らせる。抵抗する力も残っていない彼女は、そのまま背もたれに身を預けた。
直後、枷が自動的に作動し、手首と足首をしっかりと固定する。
「雷魔法を直接体に流し込めば、もっと話しやすくなるだろう?」
ロキアンが指を一本立てる。
椅子の下に繋がれた太いケーブルが、低い音を響かせながら動き始めた。
「もっとも……その前に少しだけ、力を抜いてもらおうか」
アマテラスは顔を伏せ、目を閉じた。
その瞼の裏に、先ほど窓の外で見たハトの姿が浮かぶ。
(気づいて……誰か……)
「では、始めようか」
ロキアンの指先に青白い雷光が灯った。
電極へ接続されたケーブルが、きぃん、と高い音を立てる。恵麻の瞳にも無機質な光が宿った。
そして、一筋の雷光がロキアンの指先から走る。
「──っ!」
アマテラスの体が大きく跳ねた。
「どうした? まだこれからだぞ?」
ロキアンの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
そのときだった。
窓の外で、一羽のハトが翼を広げた。
高く、鋭く鳴きながら、ハトは南の空へ飛び去っていく。
ロキアンはそれを見て、眉をわずかにひそめた。
「……つまらない邪魔はやめてほしいものだ」
その声を聞きながら、アマテラスの唇に、ほんのかすかな笑みが浮かんでいた。
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