7-1-17 オオクニヌシと小桜
オオクニヌシは、向かい合った少女の顔を見つめながら、ふと自分が名乗っていなかったことに気がついた。
「そういえば、僕は──」
名前を告げようと口を開いた、その瞬間だった。少女がすっと顔を上げ、先に口を開いた。
「オオクニヌシノカミ様ですよね?」
オオクニヌシは目を見開いた。
「君、なぜ僕の名を?」
「なぜって、見れば分かりますよ」
少女は微笑んだ。
「私は小桜といいます。神様がいらっしゃるなんて、これはもう一大事です」
「小桜……」
その名を口にすると、どこか風情のある名前だと思った。春を思わせる響きがよく似合っている。
「ふむ……君、なかなか見込みがあるな」
オオクニヌシは顎をさすりながら、改めて目の前の少女を見つめた。年齢は十代半ばほどだろう。利発そうな瞳に落ち着いた佇まい、それに神を前にしても物怖じしないところがある。並の人間とは、少し違うように思えた。
「さて、本題に入るか」
オオクニヌシは膝を崩し、少し肩の力を抜いた。
「実はな、伊勢神宮が不届き者に荒らされた。仮面をつけた男が現れて、神宮衛士隊を壊滅させたそうだ。アマテラスも囚われた」
「……そんなことが?」
小桜が驚きに目を見開く。
(詳しいことはよく分からんが……まあ、大筋は合っているだろう)
会議で聞いた内容も、細かなところまで覚えているわけではない。だが、重要なのは事実そのものだ。
「それで、私は何をすれば?」
「君にアマテラスを助けてほしい」
「そんな大役……どうして私に?」
小桜が怪訝そうに眉を寄せた。
「それは……神々の会議で決まったことだ。僕も下っ端だからな、詳しいことは分からん」
「下っ端、ですか……」
小桜は考え込むように視線を落とした。
オオクニヌシは少女の沈黙を見届けると、これで自分の役目は終わったとばかりに立ち上がった。
「では、用件は伝えた。あとは君に任せる」
「お待ちください」
小桜の声に、足が止まる。
「何だ?」
振り返ると、小桜は真剣な目で彼を見つめていた。
「あなた様にも、お力添えを賜りたく……。オオクニヌシノカミ様が一緒にいてくださったら、きっと道が開けます」
「いや、僕はただの使者で──」
「違います」
小桜は首を振った。
「オオクニヌシノカミ様は偉大な神です。私はそれを信じています」
澄んだ瞳にまっすぐ見つめられ、オオクニヌシは思わず言葉を失った。
「だから、下っ端などと卑下しないでください。あなた様が誇りを取り戻す手伝いを、私にさせてください」
その瞳には、一切の疑念がなかった。
「……僕を信じる、か」
オオクニヌシはゆっくりと目を閉じた。しばらくして、口元がわずかに緩む。
「ならば仕方ないな。そこまで言うなら、付き合ってやろうか」
その声には照れくささが滲んでいたが、先ほどまでの頼りなげな調子とは少し違っていた。
「決まりですね」
小桜は満足そうに微笑むと、スマホを取り出した。
「それじゃ、仲間を集めます」
—-
しばらくすると、小桜の三人の友人たちが集まった。いずれも同年代の少女で、智絵里、紫音、麗蘭と名乗った。
「紹介するわ。こちらがオオクニヌシノカミ様」
小桜が得意げに言うと、三人は一斉にオオクニヌシへ視線を向けた。
「その格好、どう見ても……ただのおじさんだよね。冴えないフリーターって感じ?」
麗蘭が疑わしげに目を細めると、智絵里が慌てて口を挟んだ。
「し、失礼だよ!」
オオクニヌシは自分の服装を見下ろした。
無難なグレーのパーカーにデニム姿だった。
「おかしいか?」
オオクニヌシが戸惑ったように尋ねると、小桜はさも当然のことのように答えた。
「そんな格好で現れる神様なんて、オオクニヌシノカミ様くらいですよ」
「……なるほど」
オオクニヌシはパーカーの袖を引っ張りながら、眉をひそめる。
「現代に馴染もうとしたつもりだったのだが、逆に目立っていたのか」
「……正直、神の雰囲気は感じないかな」
紫音が小声で言った。
「君、神に会ったことがあるのか?」
オオクニヌシがすかさず問い返すと、紫音は「あ、えっと……いや……」と口ごもった。
「確かに、普通は見た目じゃ分からないかもしれないけど、今から証明してみせるよ」
小桜が立ち上がった。
神棚から静かに取り出したのは、一振りの小太刀だった。
「オオクニヌシノカミ様、これが何か分かりますか?」
オオクニヌシは、それを見た瞬間に立ち上がった。
「……信じがたいことだが……」
差し出された小太刀を両手で受け取り、刀身を慎重に確かめる。短くなった姿形だけを見れば、かつて知る草薙の剣とは大きく異なっている。それでも、刃に宿る気配を感じ取った瞬間、疑いは消えた。
「これは草薙の剣だ」
「草薙の剣? どう見ても日本刀じゃん」
麗蘭が冷ややかに言う。
「いや、間違いない。これは草薙の剣。断片化していたものを、新たに鍛え直したのか……」
「はい。今の名は獣薙の剣といいます」
オオクニヌシは柄をそっとなぞった。
「拵に宿っている神気にも覚えがある。我が義父、スサノオによるものだな」
「本当に?」
紫音が息をのむ。
「やっぱり、あなた様はオオクニヌシノカミでした」
小桜が誇らしげに微笑む。
オオクニヌシは、少し驚いたように彼女を見つめた。神を見抜く目、迷いなく自分を信じる言葉、そして今こうして目の前にある神の刀。神々がこの少女を選んだ理由が、少しだけ分かったような気がした。
「……君、なかなか面白いな」
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