7-1-15 神々の集い
神々の集う天上の宮殿──霞のような白い雲がたなびく広間に、八百万の神々が一堂に会していた。幾重にも重なる天井には古の文様が刻まれ、そこを満たす神代の光が、波のようにゆっくりと揺らめいている。列を成して並ぶ神々の姿は荘厳そのものだったが、今この場を満たしているのは、普段とは明らかに異なる緊張と不安だった。
議長席に座るのは、智恵の神オモイカネ。白く長い髭を湛えた顔は平素と変わらぬ冷静さを保っているが、その目の奥には、滅多に見せることのない鋭い光が宿っていた。
集まった神々のざわめきが静まるのを待ち、オモイカネは手にした杖を軽く突いた。
「皆の者、静粛に」
その声が広間に響くと、八百万の神々は一斉に口を閉ざした。張り詰めた沈黙が、広間を覆っていく。
「急ぎ集まってもらったのは他でもない。天照隊が壊滅した」
ざわっ、と場がどよめいた。
あの天照隊が?
そんなはずがない──声にはならない動揺が、神々の間を駆け抜ける。
「天照隊はアマテラス姫直轄の精鋭部隊だ。仮面の男が神代の遺物の力を吸収し、圧倒したとの報告が入っている」
「神代の遺物が……?」
誰かの驚愕の声が聞こえた。神々の間に漂う緊張がさらに色濃くなる。
その時、場を割って進み出たのはスサノオだった。長い黒髪を後ろへ流し、荒々しい気迫を隠そうともせず、オモイカネを見据える。
「姉上……アマテラスはどうした?」
「……自ら囚われの身となった」
オモイカネが答えると、スサノオの表情が険しく歪んだ。
「交渉のために、ということか?」
「その通りだ」
「どうせ人間を人質に脅されたんだろう!」
怒声が広間に響く。
スサノオは忌々しげに顔を歪め、拳を握りしめた。オモイカネはそれを咎めることもなく、ただ静かに頷いた。
「ふざけるな……!」
その隣で、武神タケミカヅチが不敵な笑みを浮かべた。
「ならば、神々の力を集めればすぐに倒せるだろう。さっさと不届き者を成敗するべきだ」
勇ましい言葉に、周囲からも賛同の声が上がる。
だが、オモイカネは首を横に振った。
「それは……姫が望むところではない」
静かな声だった。
それでも、その一言は広間のざわめきを押し留めるだけの重みを持っていた。
「姫はこれ以上、人間たちの被害が増えることを良しとしない」
「しかし──」
タケミカヅチが反論しかけたところで、オモイカネが続けた。
「仮面の男は『鹿鳴の鈴』を使っていた」
その言葉を聞いた瞬間、タケミカヅチの表情がわずかに強張った。
「……鹿鳴の鈴だと?」
「心当たりがあるようだな」
タケミカヅチは気まずそうに目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。
神々の間に、別の種類のざわめきが広がる。
その時、コノハナサクヤが冷ややかに口を開いた。
「人間同士に解決させれば良いでしょう。元々、人間の問題なのだから」
「それはあまりに酷い」
反論したのはヒノカグツチだった。炎を宿したような目で、コノハナサクヤを睨みつける。
「神々が放置して、事態が悪化したらどうするつもりだ?」
「放置? そもそも人間に期待しすぎているのが問題でしょう」
「期待しすぎ? その考えこそが──」
「やめよ!」
オモイカネの声が広間を打った。
再び、神々の声が途絶える。
互いの立場が異なることなど、今さら確かめるまでもない。それでも、このままでは議論が先へ進まないことを、オモイカネは誰よりも理解していた。
その時、壁にもたれて黙っていたヤマトタケルが、静かに口を開いた。
「人間に解決させるというのも、一案かもしれません」
「何?」
オモイカネが振り返る。
「適任に心当たりがある」
その言葉に、オモイカネはヤマトタケルをじっと見つめた。しばらくして、何かを察したようにゆっくりと頷く。
「それでは、使者を送ろう」
タケミカヅチが顔を上げた。
その表情には、自分がその役目を任されることを確信したような色が浮かんでいた。かつて国譲りを成し遂げた武神である自分こそ、この重大な交渉にふさわしい──そう考えたのだろう。
だが、オモイカネが告げた名は、彼の予想とはまるで違っていた。
「オオクニヌシに頼む」
「……は?」
場の空気が、一瞬だけ止まった。
会議の末席で小さく身を縮めていたオオクニヌシは、自分が呼ばれたことに気付くまでに数秒を要した。
「ぼ、僕……?」
神々の視線が一斉に彼へ集まる。
オオクニヌシは目を泳がせたまま、口をぱくぱくと動かした。
「異論はあるまい?」
オモイカネが淡々と尋ねる。
「あ、いや……」
「了承したようだな」
「えっ?」
オモイカネは、もう次の議題へ移るように杖を手に取っていた。どうやら、オオクニヌシのうろたえた声は了承の返事として処理されたらしい。
スサノオは腕を組み、冷たい視線をオオクニヌシへ向けていた。
だが、次の瞬間、その口の端がわずかに吊り上がった。
「……まあ、こいつならやれるだろう。俺の義理の息子だからな」
オオクニヌシが目を見開く。
スサノオは、にやりと笑った。
「失敗したら許さんがな」
「ふむ、それでは頼んだぞ。解散!」
オモイカネが杖を突くと、神々がざわめきながら立ち上がり、広間から次々と退出していく。
オオクニヌシは、その場に立ち尽くしていた。
自分が八百万の神々の命運を左右する重大な任務を任されたのだと気付いたのは、他の神々がほとんど姿を消した後だった。
「……どうして僕が……」
呟きは、誰にも届かなかった。
こうして、神々の運命を賭けた重大な任務は、本人の意思を確認されることさえないまま、場違いにも見える一柱の神へと託された。
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