7-1-11 杏子は拙速を尊ぶ
「だから、今が好機なのよ」
杏子が力強く言い切ると、カフェの奥の席に座っていた聖奈、愛蓮、菫の三人は、互いに顔を見合わせた。
ここは彼女たちの溜まり場となっているカフェ「アークロッジ」。奥の席には仕切りが設けられており、他の客には会話が届きにくい。午後の柔らかな陽光がカーテン越しに差し込み、店内には微かなコーヒーの香りが漂っていた。
「別に、小桜がまだ動かないと決めつけているわけじゃ……」
菫が言いかけると、杏子はすかさず言葉を遮った。
「小桜が行動を起こす前に決着をつけるの。時間を与えれば与えるほど、あの子は予想外のことを仕掛けてくる」
「それは……確かに」
菫は納得したように頷いた。
「ノクターナルにも先を越される可能性が高くなる」
「その通り」
杏子は我が意を得たりと、自信に満ちた笑みを浮かべた。
だが、その表情の奥にわずかな焦りが滲んでいることを、聖奈は見逃さなかった。
「慌てすぎじゃないかしら?」
聖奈が静かに口を開く。
杏子は眉をひそめた。
「何よ、聖奈。あんた、足を引っ張るつもり?」
「そういう意味じゃないわ。ただ、状況を正確に把握しておきたいだけよ」
聖奈が冷静な視線を向けると、杏子は不満そうに顔を背けた。
「愛蓮、報告をお願い」
聖奈に促され、愛蓮は手元のタブレットを操作しながら口を開いた。
「現在、伊勢神宮に常駐しているのは、神職と事務系の人間が大半みたいです。防犯と防災を担当する部署も確認済みです。でも、これはあくまで公になっている情報だけで……」
「ってことは、裏がある可能性が高いってことね」
聖奈が目を細める。
「京都・愛宕神社の時と同じなら、単なる神職や職員じゃなく、戦闘訓練を受けた連中がいる可能性があるわ」
愛蓮は、白石昂弥たちのことを言っているのだと察し、頷いた。
「それでも問題ない」
杏子は自信たっぷりに言い切った。
「……どうして、そんなに自信があるの?」
菫が不思議そうに尋ねる。
杏子は口元に笑みを浮かべた。
「今の私たちの戦力なら、多少の戦闘部隊がいても十分に対処できるからよ」
三人は顔を見合わせた。
杏子の自信が、何を根拠にしているのか。その裏付けまでは、誰にも測りかねていた。
「ふん。お前の考えは読めたぞ」
そのとき、獅子の剣が重々しい声を上げた。
「派手な騒ぎを起こしてノクターナル、そしてその裏にいるロキアンと……お前の友人を誘き出すつもりだな?」
杏子は黙ったまま、わずかに舌打ちした。
「……悪くない推測ね」
「リスクが高すぎる。相手はロキアンだけではない。ノクターナルの覚醒者たちが、全力で介入してくる可能性があるぞ」
「それでも、兵は拙速を尊ぶって言うでしょ?」
「それは――」
「それは『戦を長引かせるのは良くない』という文脈の一部であって、孫子の本には拙速が良いとは書かれていないぞ」
突然、第三者の声が割り込んだ。
「……また、あんた?」
杏子が声の主を振り返る。
悠然と歩み寄ってきたのは、昂弥だった。
「このあいだはすまなかったな」
昂弥は慣れた様子で隣のテーブルに腰を下ろすと、律儀にメニューを手に取った。
「アイスコーヒーを」
店員にさらりと注文してから、再び杏子たちへ視線を向ける。
「何しに来たの?」
聖奈が冷ややかに尋ねた。
「また金の無心じゃない?」
菫が皮肉めいた笑みを浮かべると、昂弥は肩をすくめた。
「今日は忠告をしに来たんだ」
その一言で、場の空気がわずかに張り詰めた。
「忠告……ですか?」
愛蓮が訝しげに眉をひそめる。
「お前ら……まさか、朔の鏡が手に入らなかったからって、今度こそ八咫の鏡に手を出すつもりじゃないだろうな?」
昂弥はそう言って、一同を見渡した。
杏子は笑みを浮かべたまま黙っている。聖奈も表情を崩さず昂弥を見つめ返していたが、愛蓮と菫は目を見開き、言葉を失っていた。
「……やはりな」
昂弥が低く呟く。
「何か問題でも?」
杏子が目を細める。
「今のお前たちを思い止まらせるためには、話すしかないようだな」
昂弥は小さく息を吐いた。
そして、声のトーンを落とす。
「これは一部の神職だけが知る極秘情報だが……」
その瞬間、カフェの喧騒が遠のいた。
外の通りを歩く人々の足音も、行き交う車の音も、まるで別の世界の出来事になったかのように感じられる。
テーブルの上では、カップから立ち上るコーヒーの湯気だけが、静かに揺れていた。
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