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サイドストーリー:ひまわりの特等席)

1.クラスの神様と、私の定位置私は自分で言うのもなんだけど、クラスに一人はいる


「やたらと明るくて、ちょっと太めの、何にも取り柄がない女子」だ。


勉強はいつも赤点スレスレ(たまに下回る)、運動神経は壊滅的。


音楽の時間にリコーダーを吹けば、なぜか私だけ変な鳥の鳴き声みたいな音が出る。


体型もぽっちゃりしていて、お母さんからは「あんたは美味しそうに白ご飯を食べるのが唯一の才能ね」

なんて呆れられている。


でも、私は自分の人生が結構好きだ。毎日楽しいし、友達と食べるお菓子は美味しいし、失敗して泥だらけになっても「あはは、やっちゃった!」って笑っていれば、大体のことはなんとかなる。


そんな私の小学校生活の中で、一人だけ、どうしても「遠い世界の宇宙人」にしか見えない男の子がいた。


一ノいちのせ りつくん。彼の見た目は、本当に普通だ。


ちょっと冷めた雰囲気で、クラスの隅で静かに本を読んでいる、どこにでもいるような凡人っぽい少年。


目立つ髪型をしているわけでもないし、背が飛び抜けて高いわけでもない。


だけど、中身がとんでもない怪物だった。


一ノ瀬くんは、クラスの誰かが困っていると、すっと現れて助けてくれる。それも、先生みたいに威張るんじゃなくて、びっくりするほど丁寧で優しい。


何より凄いのは、彼が使う言葉だった。


教科書の難しい数式や、大人が使うような専門用語を、私みたいな居残り組でも一発で理解できるような「簡単な言葉」に置き換えて教えてくれるのだ。


「これはね、複雑にみえるけど、要するにリンゴを箱に詰める作業と同じだよ」

そう言って、一ノ瀬くんがノートに可愛い丸をいくつか描いてくれると、あんなに難解だった算数が、まるで絵本みたいにスルスルと頭に入ってくる。


体育の時間に私が走れずにゼーゼー言っている時も、彼は「走るっていうのは根性じゃないんだ。足じゃなくて、骨盤を前に出すゲームだよ。



ほら、こうやって動かすと勝手に進むでしょ?」って、実際に自分の体を動かして見せてくれた。


クラスのみんなは、そんな彼を「神様」みたいに崇めていた。だけど同時に、みんな一歩引いていた。


だって、一ノ瀬くんはいつだって完璧で、汗一つかかないし、誰に対しても同じように優しいけれど――その瞳の奥が、いつもどこか冷たくて、誰も寄せ付けない透明な壁に囲まれているみたいに見えたからだ。


「あいつは、見た目は普通だけど、中身は特別だからな」男子たちがそう言って遠巻きに見るたび、私はちょっとだけ胸がチクチクした。




2.ひまわりの笑顔と、神様のフリーズ



小学校の終わり際、私が二桁の掛け算で完全に置いてけぼりになった時、一ノ瀬くんが放課後の教室で勉強を教えてくれることになった。


「美波さん、この数字はお菓子の箱の数だと思って。十の位は大きな箱、一の位は小さなバラのチョコ。そうやって分ければ、頭がごちゃごちゃにならないよ」


一ノ瀬くんは、私の大好きなチョコレートに例えて、何度も何度も、根気強く教えてくれた。


見た目は相変わらず冷めた凡人っぽいのに、その教え方はどこまでも親切で、私の遅い歩幅にちゃんと合わせてくれた。


そして数日目の放課後。


ついに、私のノートに綺麗な正解の数字が並んだ。「できた……! できたよ、一ノ瀬くん!」嬉しくて、嬉しくて、私は部屋がひっくり返るくらい飛び上がって喜んだ。


きっと、その時の私は、ふっくらした顔を真っ赤にして、裏も表もない大爆笑をしていたと思う。


だって、昨日一の位ができるようになっただけでも、お父さんとお母さんが「美波、すごいじゃん!」って頭をぐしゃぐしゃにして褒めてくれたのだ。



今日のこれをみせたら、きっと今日の晩ご飯はハンバーグになる。


だけど、私が「すっごく褒めてもらったんだ!」って笑った瞬間。一ノ瀬くんが、見たこともないような顔をして、その場に愕然と立ち尽くした。


まるで、世界が滅亡する瞬間の数式でも見つけてしまったかのような、ものすごい衝撃を受けた顔。


それからの一ノ瀬くんは、なんだか少し様子がおかしかった。



ある日、彼がぽつりと私に聞いてきたことがある。



「美波さん。できないことができるようになるって、どういう気持ち?」私は不思議で仕方がなかった。



だって、何でもできる一ノ瀬くんが、そんな子供みたいな質問をするなんて。



「え? 嬉しいし、楽しいじゃん! ……っていうか一ノ瀬くん、今までできなかったこととかないの?」



私がそう言うと、一ノ瀬くんは言葉を失くして、ひどく寂しそうな、今にも消えてしまいそうな目で私を見つめた。



その時、私はなんとなく分かってしまった。ああ、この人は、何でも最初からできちゃうから。


誰かに「すごいね!」って、心の底から無条件に抱きしめられて、褒められたことがないんだ。


完璧すぎる檻の中で、彼は一人ぼっちで凍えている。




クラスのみんなが彼を「特別」だと崇めるたびに、彼の周りの溝は深くなって、誰も彼の本当の手を握ろうとしない。



私はその時、いつか彼を、その冷たい檻から引っ張り出してあげたいな、と思った。



3.テレビの中の怪物、駅前の再会



それから私たちは別々の高校に進んだ。



一ノ瀬くんが陸上を始めたと聞いた時は驚いたけれど、彼が夏のインターハイで『9.88秒』という、10代の世界最高記録を叩き出したニュースを見た時は、お母さんと一緒に居間でひっくり返るくらい叫んだ。



テレビの中の一ノ瀬くんは、相変わらず見た目は冷めた凡人風の高校生なのに、走ると文字通りの化け物だった。



ゴール前で横を振り向く圧倒的な余裕。



そして、マイクを向けられた彼が言い放った言葉。



『敗北を知りたい――。だから俺は、俺より速いやつに会いに行く』



「ぶっ、あはははは! 何それ! アニメのセリフじゃん!」私はテレビの前でお腹を抱えて大爆笑した。



世間は「傲慢だ」「いや天才の自信だ」って大騒ぎしていたけれど、私には分かった。


彼は相変わらず、高い高い数字の檻の中で、「誰か僕をここから出して」って叫んでいるんだ。



マスコミの狂騒はすごかった。テレビでは彼が昔描いて落選した絵まで引っ張り出してきて、偉いおじいちゃん画家が「空っぽのデータの抜け殻だ」なんて酷評していた。



それを見ている周囲の大人たちも、陸上部の仲間たちも、みんな彼の『9.88秒』という「記号」だけを見て、お祭りのように騒いでいる。



一ノ瀬くん本人の心なんて、誰も見ていない。


だから、週末の駅前で、独りでトボトボと歩いている一ノ瀬くんの姿を見つけた時、私は迷わず駆け寄った。


「久しぶりー、一ノ瀬くん! 相変わらず凄いね!」


振り返った彼は、世界を拒絶するような乾いた瞳をしていた。



でも、私を見るなり、少しだけ目を見開いた。



私はいつものように、ちょっと太めの体を揺らしてけらけらと笑ってみせた。



「『敗北を知りたい』って言葉、アニメ以外で初めて聞いたよ!大爆笑しちゃった!」


世界中が彼を神様にするなら、私だけは、あの放課後の教室でチョコレートの数を数えていた時の距離感で隣に立ってやる。


「でもね、一ノ瀬くん。世界新を出した君にないものを、私はもってるよ?」



一ノ瀬くんが、見た目は冷めた凡人のまま、中身の怪物をのぞかせて


「……何、それ」と眉をひそめる。


「教わること! あと、誰かに頭を低くしてお願いすること! それから、ごめんなさいって謝ること! あ、あとさ、『ありがとう』って言った回数も、絶対に私の方が多いぞ?」


不完全だからこそ、人は誰かと繋がれる。誰かに助けてもらって、笑い合える。


一ノ瀬くんは、生まれて初めてシステムエラーを起こしたロボットみたいに、口を半開きにして完全にフリーズしてしまった。


その抜けた顔が、あまりにもおかしくて、愛おしくて。「あはは!」私は大笑いしながら、彼の細い手首をぐいと引っ張った。



「ほら、難しい顔してないで、今から一緒に遊びに行こうよ!」



4.本当のエピローグ:



私の友達は最初、一ノ瀬くんにビビっていた。


でも、一ノ瀬くんが相変わらず見た目は普通っぽくて、陸上のことを聞かれても「ただの効率的な位置エネルギーの移動だよ」なんて真面目に、分かりやすく説明し始めるものだから、みんなすぐに笑い出した。



「あはは、何それ! 一ノ瀬くん、頭良すぎて逆に面白い!」



私の歌が音痴だった話や、クレープ屋の裏メニューの話。一ノ瀬くんが世界新記録を出したことなんて、そこでは「足が速いという、一つの個性」にすぎなかった。



彼は「優秀な記号」じゃなくて、ただの一人の男の子として、そこにいた。夜になり、駅前で二人きりになった街灯の下。私は彼の顔を覗き込んで、いつもの笑顔で言った。



「どうだった? 一ノ瀬くん。知らない世界、いーっぱい知れたんじゃない?」



一ノ瀬くんは、小さく「……あ」と声を漏らした。その時の彼の顔を、私はきっと一生忘れない。



彼の瞳を覆っていた透明な檻が、ガラスが割れるみたいに、静かに、美しく砕け散ったのだ。



「……うん。知らなかった」一ノ瀬くんは、少しだけ声を震わせながら、でもしっかりと私の目を見て言った。



「僕に、教えてほしい。……君たちの世界を」私は驚いて一瞬だけ目を見開いた。


だって、あの完璧な神様が、私に「教えて」って、頭を下げてくれたのだ。


彼が人生で初めて、他人に手を伸ばした瞬間だった。



嬉しくて、胸の奥がじんわりと熱くなって、私はこれまでで一番の笑顔を咲かせた。



「うん! いいよ、いっぱい教えてあげる。……じゃあ、まずは明日の放課後ね!」次の日、一ノ瀬くんがどんな顔をし私に会いに来るか、今から楽しみでしょうがない。



だって彼はもう、独りぼっちの神様なんかじゃないんだから。


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