60.運命の番
イオが撃たれた。私を庇って……!
「イオ!」
駆け寄るあいだにも、居並ぶ大砲が私たちを狙う。
いつのまにかアスダール軍は多数の大砲を準備していたのだ。それがイオの体に命中した。私に気をとられていたせいだ。
「撃て!」
号令とともに、また大砲が火を吹いた。
倒れたままのイオが吠える。
砲弾も居並んだ大砲も、すべて火だるまになって空を舞った。
「ひっ」
「うわあっ……!!」
兵士たちが悲鳴をあげる。
駆け寄る私の目の前で、イオの体が収縮を始めた。
「イオ……!!」
転げるように傍らに駆け寄った。
イオは整った顔を苦痛でゆがめ、血液と土に塗れて横たわっていた。
かろうじて片方の翼が形を保っている以外は、もう人間の姿だ。
右足の腿から下が真っ赤に染まっている。赤黒い血が地面に吸い込まれていく。
「……チカ……怪我、してねえか」
呻くように言い、イオが私のほうへと片手を伸ばした。
目の奥に熱いものがこみあげてくる。
「私は大丈夫、イオが守ってくれたから。ありがとう」
唇の端を上げ、イオは右手で私の頬を軽く撫でた。
そして、また苦しげに喉を鳴らす。
「痛ってぇ……何なんだ、あの鉄のカタマリ」
そうか、イオは大砲を見たことがなかったんだ。
二百年ものあいだ人間との交戦を避けてきたイオには、ここまでの破壊力をもつ兵器の開発を知る由がなかった。
イオが激しく咳き込む。
血の混じった飛沫が地面に飛んだ。
「しっかりして、イオ!」
呼びかけに応えるように、イオが上体を起こす。それ以上は動けない様子だ。
「畜生、回復が追いつかねえ……」
喉を軋ませて呟く彼の視線が、ふと私から逸れた。
離れた場所に、アスダール軍の残存兵の姿が見えた。
あんな状況でも、イオは誰も焼き殺すことはしなかったのだ。
(人を傷つけないでって、私が言ったから……?)
逃げずに残った兵士たちの手には、まだ武器がある。
大砲は壊れて使いものにならなくなっても、人々の手には剣や弓が残っているのだ。
距離はある。でも、さらに襲おうと狙う殺気と憎しみの感情はビリビリと伝わってくる。
ここにいたら危険だ。私がイオを助けなくちゃ。
「イオ、逃げよう!」
伏したイオの胸の下に潜りこんだ。
傷ついた体を背負うようにして、立ち上がる。
いや、立ち上がろうとしたけど、すぐに膝をついてしまった。
イオの大きな体は重くて、簡単には持ち上がらない。
「お前の力じゃ無理だって」
「無理って言わないで。絶対いっしょに帰るんだから」
「いちいち無謀すぎるんだよ。ま、そういう女だよな、チカは」
ハハ、と乾いた声でイオが笑った。妙に落ち着いた様子だ。
「イオ、立って。お願いだから頑張って……っ」
「チカ」
遮るように名前を呼ばれた。
イオが片手を私の頭に載せ、自分の方を向かせる。
「悪いな、俺、結構ヤバいみたいだ。お前だけ逃げろ」
「嫌だよ、一緒じゃなきゃ!」
「あきらめな。このザマじゃ変化もできねえ」
苦笑いの口調で言うイオ。
でも、その顔からは、みるみる生気が失せていく。
あまりにも出血がひどい。
アスダール兵が迫るなか、深手を負った彼の体に残された力は、ごくわずかなのだ。
「じゃあ、私を置いてイオが逃げてよ。戦わなくていいから、なんとかして飛んで……」
「俺がお前を見殺しにすると思ってんの? 失礼にも程があるぞ。竜なめんなよ」
「でも!」
すがりつく私の体を、急にイオが強い力で抑えつけた。
間一髪、すぐ近くの地面に矢が突き刺さる。
アスダール兵の弓撃だ。
「やめてください、話を聞いて!」
叫んだ私の視界が黒く覆われる。
イオが片方だけになった翼を盾のように広げ、守ってくれたのだ。
「射よ! 殺せ! 聖女もバケモノも射殺してしまえ!」
怒鳴っている声が聞こえる。ラスティン国王だ。
曇天を覆って、また数多の矢が飛んできた。
「きゃ……」
残った片翼をバサリと跳ね上げ、イオが吠えた。 紫色の瞳が真紅に変わり、竜巻のような突風が巻き起こる。
「うわあっ!!」
ラスティン国王や兵士たちが、風圧で飛ばされ転がった。
紅い瞳のイオが苦しそうな表情で倒れ伏した。
それでもなお、片方の翼で私を庇っている。
「イオ!」
跳ね起きてイオの体を支える。
端正な顔を苦痛に歪めて、イオが言った。
「早く行け、チカ」
「そんな……!」
「安心しろ、誰も殺さねえ。ビビらせるだけだ。だからお前は、負い目なんか感じないで生きていけよ」
もう会えない前提で話してる。
イオは、自分の命を犠牲にしようとしてるんだ。
非力な私を生かすために、人を傷つけないでほしいという私の願いを叶えるために。
残る命を使い尽くそうとしている。
やっぱり彼は不器用だ。そして、あまりにも優しい。
「ごめんなさい……私のせいで……」
風を切る音がして、ふたたび矢の雨が降り注いだ。
イオが翼で守ってくれる。
苦しそうだ。今の彼の姿なら、とてつもない痛みを感じているはずだ。
「それは俺の台詞だ。こんなことになるなら、あの時やっぱりトーキョーに帰してやればよかった」
「そんなこと言わないで」
「チカ、ありがとうな。お前に会えて、よかった」
イオの手が、ぐい、と私の肩を押す。優しく、でも決然と。
イオの願い、それは私が生きること。
私は応えるべきだ。それくらいしかできることがないから。
イオは命と引き換えに、必ず私を守ってくれるだろう。わかってる。
……だけど、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
「聞いて、イオ」
突き放そうとする手を強く握りしめ、私は言った。
「私、この世界に残ってよかった。
イオの瞳に、驚愕の色が広がる。
「……お前、まさか」
「私、イオの番になる。だから、いなくならないよ」
「なに言ってやがる、お前まで死ぬ気かよ!」
かすれた声で叫ぶイオに、頷いてみせた。
「竜の番って、片方が死んだら、もう一人も長くは生きられないんでしょう? それでもいいって、私もう言ったよね」
「ふざけんなよ。こっちは命懸けでかっこつけようとしてんのに」
乱暴な言葉と裏腹に、深紅だった双眸が穏やかに澄んでいく。
こんなに柔らかい表情を見たのは初めてかもしれない、と思った。
彼を守れなかった悔しさ、死の恐怖、そして愛しさがないまぜになった感情のまま、重ねた手に頬を寄せる。
「許してね、イオ。離れたくないの」
イオの端正な顔が歪んだ。
笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
「やっぱりバカだな、お前」
イオの片手が、自らの額の血を拭う。
彼の掌の上で、その血が輝きはじめた。
きらきらと渦を巻き、大きな一輪の赤い花に変わる。
イオの目を見て、すぐにわかった。
彼に残された力をすべて注ぎこんで、この花を咲かせてくれたのだと。
長い指が、一輪だけの赤い花を私の髪に優しく挿した。
まるで、花嫁の髪飾りみたいに。
「イオ……」
彼の顔が近づいた。
唇が重なり、強く抱きしめられる。
耳もとで、優しい囁きが聞こえた。
「お前だったんだ。俺の、運命の番」
ふわり。
風が巻き起こった。イオと二人で暮らした森に吹いていたのと同じ、懐かしい香りを纏って。
渦巻く風は私とイオを包み込み、たちまち大きな流れになった。
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