56.しあわせなゆめ
見慣れたお城の厨房に、私は立っている。
目の前の鍋で煮える野菜のスープ。たちのぼる温かな湯気。
ハーブやスパイスの瓶の横では、妖精ちゃんたちがコロコロと笑いながら遊んでる。
入り口のほうで足音がした。
振り向くと、寝起きで髪を乱したままのイオが、入ってくるところだった。
「チカ……こんなところにいたのか。やっと見つけた」
壁によりかかるようにして、イオが言う。
迷子の子どもが保護者を見つけたときみたいな風情に、思わず苦笑してしまった。
「ずっといたよ、私。どこへも行かない」
「そっか。あー、頭いてえ……」
ぼやきながら椅子に腰をおろすイオ。
「大丈夫? ほら、お水飲んで」
グラスを手に取ると、待ってましたとばかりにスイちゃんが飛んでくる。
小さな手がクリスタルの縁に触れると、グラスの中に澄んだ水が湧きあがった。
イオのもとに運ぶと、彼は喉を鳴らして水を飲み、テーブルに突っ伏す。
「ふだんお酒なんか飲まないくせに無茶するんだもの。二日酔いにもなるわ」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「私のせい?」
「んー……悪いの俺か」
「悪くないよ、イオは」
「じゃ、やっぱりチカのせいだ」
顔だけをあげてイオが笑う。
安堵したように、嬉しそうに。
紫色の瞳が厨房の奥へと向けられた。それから瞼を閉じ、湯気の匂いを嗅ぐ。
「美味そう」
「野菜のスープよ。食べられる?」
「うん」
「よかった! すぐ準備するね」
鍋の方へと向かった私を、イオの声が追いかけてきた。優しく後ろ髪を引くように。
「なあ、チカ」
なに? と振り向いたとき。
椅子は空っぽだった。
厨房には、私ひとり。妖精ちゃんたちの姿もない。
「……聖女様。聖女チカ様」
高いトーンの声が聞こえて、ベッドの上で目を開ける。
私は薄手のドレス一枚で、固いベッドの上に横たわっていた。
鉄格子が嵌った扉には外から鍵がかけられ、松明の火が殺風景な部屋をぼんやりと照らしている。
(夢……みてたんだ、私……)
牢獄での日々の方が夢なら、どんなにか良かったけど。
残念ながら、こっちの景色が現実だ。
逃亡を図って連れ戻されて以来、私は、この地下牢に閉じ込められたままだった。
たぶん、今日で十日め?
そろそろ時間の感覚がなくなってきてるから、間違っているかもしれないけれど。
「お気をたしかに、聖女チカ様」
可愛らしい少女の声が、また私を呼んだ。
重たい体で寝返りを打ち、牢の入り口のほうを見る。
鉄格子の向こうに、細身の女性のシルエットがたたずんでいた。
侍女のアニヤだ。
「チカ様、お食事をお持ちしました」
牢番がガチャガチャと金属音を鳴らし、鉄格子の錠前の一つを外す。
扉の一部、地面に近い部分だけが開き、身をかがめたアニヤが食べ物の載ったトレーを差し入れてきた。
ここに閉じ込められてから、食事は一日一度だけ。
メニューは毎日同じ。固いパンと、ほとんど具の入ってないスープ。お水も少ししか貰えない。
「う、ん……ありがとう、アニヤ」
返事をしたものの、すぐに立ち上がることができなかった。
お腹が空きすぎて、体に力が入らないのだ。
おばあちゃんよろしく、ゆっくり体を起こす私をみて、アニヤは涙を浮かべた。
「おいたわしい……こんなに弱ってしまわれて」
「ごめんね、アニヤ。こんな牢獄で仕事させて」
「とんでもございません。そんなことおっしゃらずに」
私が逃亡の末に捕まったせいで、この前まで仮にも「王妃付きの侍女」だったアニヤは、今や罪人のお世話係に格下げされてしまっていた。ラミヤも同じだ。
二人とも恨みごとひとつ言わず、交代で私に食事を運んできてくれる。
「チカ様、頑張って召し上がってください。お食事を摂らなくては体力が持ちません。それに、外ではみんなが」
「無駄口を叩くな。用が済んだらさっさと出て行け」
震える声で訴えるアニヤを、牢番が面倒くさそうにつまみ出す。
床に置かれたトレーに向かって、這うように近づいた。
パンを手に取り、口に押し込む。
体力が落ちているせいなのか、いつもよりさらに固く感じた。
食事の量は日に日に減っている。
最初こそ医者が来て手当ても受けたけど、ここ三日ばかりは放置。
最低限の食べ物だけを与えられ、地下牢に転がされている。空腹と不快指数が最高値に達していた。
地下牢にいる私には、外の様子が全然わからない。
ロニーの行方もわからないまま。だけど、それはそのまま彼が無事である証拠と思ってよさそうだ。
水の妖精スイちゃんは、ロニーと一緒にいるだろうか。
私の手でイオの森に帰してあげられなかったことが、本当に悔しい。
(……国王は私を、どうするつもりなんだろう)
私はまだ、あきらめてない。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
森に帰って、イオに真実を伝えなきゃ。
でも、逃げる方法が思いつかない。しかも、これだけ体力を奪われてしまっては……。
カップに残っていた水を飲み干し、ベッドに戻って少し眠った。
またイオの夢を見た。
目が覚めたのは何時間後のことだったか。
(……なんか、寒い?)
地下牢の空気が、やけに冷たい。
毛布を体に巻き付けても、流れ込んでくる冷気で体が震える。
吐く息が白く曇った。
カイロがほしい。ダウンジャケットも欲しいくらい。ていうか、このままじゃ凍えて死んじゃいそう。
(これ、ちょっと変じゃない?)
ベッドの上で縮こまっていると、石の床を踏む複数の足音が近づいてきた。
あわただしく鉄格子の向こうに立ったのは、数人の騎士を従えた国王ラスティンだった。
会うのは殴る蹴るの暴行を受けた、あの日以来だ。
国王の斜め後ろには、王弟ジャスティン殿下の姿もある。
誰もが何やらひどく怯えた様子で、こちらを見ていた。
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