49.「泣かないで」
――また、場面が変わった。
美しいドレスに身を包んだユズハさんが、宮殿のバルコニーに立っている。
眼下を埋める大群衆。
みな高揚した様子で、口々に叫んでいる。
「聖女様、万歳!」
「勝利は我らに!」
「王国に栄光あれ!!」
豪奢なマントを纏った金髪の男性が、ユズハさんの隣に立っている。
満足そうに笑みを浮かべて、彼は言った。
「聖女よ。いや、我が妃よ。此度の戦も大勝利だ。そなたと、そなたの息子に感謝する」
「国王陛下、お願いです。息子の力を戦に利用するのは、もうやめてください。あの子は嫌がっています」
ユズハさんの冷たい声に、国王と呼ばれた男は酷薄な笑みを浮かべた。
「固いことを言うな。そなたには妃の座を、息子には王子の地位を与えてやったではないか」
「私たちが望んだことではありません……!」
「とはいえ、そなたの息子は異形の化け物だ。人の中では生きられぬであろう? 宮殿の奥に隠しておいてやらねば哀れというもの。それが出来るのは余の他におらぬ」
ユズハさんが、キッと国王を睨みつける。
民衆に背を向け、階段を降りる彼女の行く手で、大きな扉が開いた。
あふれる光。ざわめきと音楽が溢れだす。
そこは、たくさんの人々が集う煌びやかなホールだった。
天井に連なるいくつものシャンデリア。
楽団が奏でる音楽に合わせ、着飾った男女が踊っている。舞踏会の最中のようだ。
おしゃべりに興じている貴婦人たちの声も聞こえてくる。
「ねえ、件の王子様のお姿を見たことある?」
「私、見たわ! 大きな瞳が闇の中で紫色にギラギラ光るの。気味が悪いったら」
「足にも腕に鱗があるのよ! おお怖い、呪われた子だわ」
囁き交わす顔には、一様に嫌悪の表情が浮かんでいる。
「あの王子様は、国王陛下の御子ではないわよね?」
「しっ、それは言ってはダメ」
「きっと聖女様が邪竜と番って生んだ子でしょ」
「戦が終わったら毒でも飲ませるでしょう。聖女様はお体の具合がよくないと聞くし、王子様も一緒に死んでもらうのが良いわ」
なんて酷いことを言う人たちなんだろう。
聞いているだけで腑が煮えくりかえりそう。
「最低よ、あなたたち!」
怒鳴ったけれど、誰ひとり私を見もしない。
聞こえていないんだ。悔しいなあ、もう!
ユズハさんは両手で耳を塞ぎ、入り口と反対側の扉から外へ出る。
石の螺旋階段の下の暗がりに、小さな人影が待ち構えていた。
子どもの姿の、イオだ。
(イオ……なんて格好なの)
煤で黒く汚れた顔。焼け焦げた衣服。
炎と煙の臭いを纏い、あちこちに怪我をしている。
「かあさま……」
イオの声が震えている。
暗い瞳で見上げる息子を、ユズハさんは抱きしめた。
ねぎらいの言葉もない代わりに、イオの体の傷が癒えていく。
目を閉じて、イオが小さく乞うた。
「誉めて、かあさま」
ユズハさんが、弾かれたようにイオから離れた。
まなじりを吊り上げ、息子の手を引き、強引に螺旋階段を上りはじめる。
「かあさま、怒ったの? ねえ、どこにいくの」
イオが心細そうに問いかけるけど、ユズハさんは無言のままだ。
階段を上りきった先は、また、あのバルコニーだった。
今は誰もいない。
頭上には降るような星空と、大きな月。
何か言いかけた息子を、ユズハさんは細い体で抱え上げた。
バルコニーの手摺に立たせ、低い声で言う。
「イオ、これ以上ここにいてはだめ。出て行きなさい。そして人が恐れる姿でいなさい。ひとりでいるのよ、絶対に」
手摺の上で震えながら、イオは首を横に振った。
「いやだ……ひとりはいやだ。かあさまといっしょがいい」
「我儘を言わないで。さあ、早く行きなさい。ここから飛ぶの、今すぐ!」
「やめて、かあさま! こわいよ、ぼくまだ飛べな……!」
抵抗むなしく、イオの体が手摺の外側へと投げ出される。
(落ちる!)
と思ったとき。
イオの背中に一対の黒い翼が出現した。
小さな体が重力に逆らって宙へと舞い上がる。
(飛んだ……イオが……)
ホッとして涙が出そうになった。
イオの影は少しのあいだ、ためらうようにバルコニーの上に滞空していた。
やがて、月の見える方角へと飛び去っていく。
「ごめんなさい……ごめんね、イオ」
ひとりきりになったユズハさんが呟いた。
膝から頽れるように、石の床に倒れこむ。
「もう、守ってあげられないの。あなたがひとりにならないように願っていたのに。だめだった。こんなことになるなら、森を出なければよかった……」
それは、まるで懺悔だった。
もう届かないとわかっているのに、紡がれる言葉。
ユズハさんの青ざめた頬を、涙が伝う。
「生きて……生きるのよ、イオ」
「……ユズハ、さん」
答えが返らないことはわかってる。
泣き続ける肩に手を置こうとしたところで、彼女の輪郭が揺らいだ。
掴むことができない泡のように、その姿は儚く消えてしまう。
バルコニーさえも消えた。
そして――私はひとり、暗い森に立っていた。
枯木ばかりの寂しい景色。
冷たい風が吹いている。
白い霧が重たく流れている。ほかに動くものはない。
ここは、私が知ってる場所だ。
だから、もう迷わない。
枯木を踏んで、ただひたすらに歩く。
やがて霧の向こうに、聳え立つ城の影が現れた。
私が近づくと、巨大な城門はひとりでに開く。
静まり返る城。
たくさんのものが溢れているのに、誰もいない城。
シャンデリアにドレス、羽かざりのついた靴、シルクのガウン。
アクセサリーにオルゴール、天蓋つきのベッド、天鵞絨のカーテン、クリスタルの食器……。
……わかったよ、イオ。
立ち枯れの森の寂しいお城に、こんなにも綺麗なものが溢れている理由が。
イオは、お母さんを想っていたんだよね。
もう二度と会えないってわかっていても、綺麗なものばかりを集めたお城を作り上げて、祈るように。
過去に縋って、虚勢を張って、心の奥で泣きながら。
持ち主のいない宝箱箱のような空間の真ん中で、小さな影が膝を抱えて蹲っている。
イオだった。
小さな肩が震え、しゃくりあげる息が聞こえる。
抱きしめてあげたい。
でも、話しかけても、きっと私の声は彼に届かない。視線さえも合わないだろう。
それでも。
いま、彼の名前を呼ばずにはいられなかった。
「イオ。泣かないで」
イオの肩が、ぴくりと動いた。
そして、ゆっくりこちらを見上げる。
紫色の瞳が驚いたように、でも、はっきりと私を見つめた。
「……だれ」
小さな唇が、かすかに動く。
「私が見えるの?」
声にこたえるように、少年のイオがこちらへと手を伸ばす。
「イオ!」
駆け寄って、指先が触れようとした瞬間。
青い閃光が眩しく弾け、イオと私を呑みこんだ。




