46.黒炎の王子
「黒炎の王子……」
なんて禍々しい呼び名だろう。
でも、変だ。
お妃教育の一環として王家の古い系図も見せられたけど、かつての聖女に子どもがいたという記述を見た記憶がない。
「ジャスティン殿下。系図には、その王子の記載がありませんね?」
「その通りです。チカ様が真面目に授業をお受けになっている証拠ですね。すばらしい」
茶化すような笑顔をつくる殿下に、真顔を返す。
「お答えください、なぜなんです?」
「最初から記載されなかったのです。かの王子について残っている資料は何もありません。口伝のみ、まさに伝説の存在です」
「そんなの、余計におかしくないですか? 国を守ったのに……」
ひと呼吸おいて、ジャスティン殿下は答えた。
「王子が異形の持ち主だったからです。全身を鱗に覆われ、頭には悪魔のような角があり、敵と戦う際には瞳が燃えるような赤色に染まったといいます」
思わず息を呑んだ。
それって……まるで……
イオのこと、みたいじゃない……?
「心当たりがあるようですね、チカ様」
私の目を見て、ジャスティン殿下は言った。
やっぱり、この人は鋭い。
「お伝えしましょう、かの王子の伝説を。あなたは王家に加わるお方です」
ジャスティン殿下の狙いは何だろう。
訝りながらも、私は黙って耳を傾けることにした。
「いまから約三百年前のことです。邪竜が引き起こす天変地異に脅かされていたアスダールは、異世界から一人の女性を召喚し、生贄として邪竜に捧げました」
……その後、邪竜が人々の前に姿を現すことはなく、豊穣が続いた。
人々は驚き、言い交わしたという。
「邪竜が生贄を気に入り、花嫁にしたからだ」
「その身をもって邪竜を鎮めたのだ」
「まさに聖女様だ」
長きにわたる平穏の間に、アスダールは大国へと成長を遂げた。
驚くべき出来事が起こったのは、生贄を捧げてから百年後のこと。
「邪竜に捧げられた異世界の女性が、ふたたび王都に現れたのです」
「……森から還ってきたっていうことですか。自発的に?」
「そうです。彼女は自ら戻ってきた。年月が経っていたにも関わらず、まったく歳をとっていなかったといいます。もっとも、彼女以外に百年前に生きていた者はいませんから、証明など不可能ですがね。ここは話半分に聞いてください」
苦笑いのような表情をみせたあと、すぐに真顔にもどって、ジャスティン殿下は続けた。
「彼女の体には『御印』が現れていた。我々がミリアを聖女と誤認したのは、その情報が残っていたせいです」
殿下の指が自分の胸をさす。
五月女さんは、胸に転写したハートのシールを御印と偽って聖女の座についたのだった。
「生贄だった女性は、王都に戻ってすぐ、当時の国王の妃に迎えられています。国王は彼女との間に王子をもうけました。のちの黒炎の王子です」
だとしたら、黒炎の王子は聖女とアスダール国王の息子だ。
なのに、名前さえ残っていない……。
「森から戻った女性が王妃となった翌年、隣国との間に戦が勃発しました。王子は魔法の炎で敵軍を灰にし、我が国に勝利をもたらしたといいます。その強さは、まさに魔族の如しであったと」
「待ってください。そのとき王子は、まだ赤ちゃんのはずですよね?」
私の指摘に、ジャスティン殿下は苦笑いを見せた。
「おっしゃる通りです。辻褄が合いません。そもそも聖女は国王との婚姻から二年を待たずにこの世を去っています。私は、炎の王子は聖女が森から連れ帰った子供の可能性が高いと考えています」
躊躇うように下を向き、唾を飲み込んだあと、ジャスティン殿下は小声で言った。
「王子はおそらく、邪竜の子どもです。それなら王子が異形であることも、強大な魔力を持っていることも不思議ではありません」
「え……!?」
黒炎の王子は、邪竜の子?
アスダール王の血ではないってこと?
「じゃあ……じゃあ、どうして国王は王子の地位を与えたの? そんなのおかしくないですか?」
「私は、聖女が要求した可能性もあると考えています。異形の我が子に地位を与え、アスダール王国で生きる道をたてるために」
熱のこもった説明を続けていたジャスティン殿下は、そこで我に返ったように表情を緩めた。
「いまお話ししたことは、あくまで仮説に過ぎません。王族しか知らされない口伝ですから、研究者もいない。兄上――国王陛下は取り合ってもくれませんし」
彼の言葉を、私は呆然と聞いていた。
百年前の姿のままで生還した生贄の女性。
戦争の手伝いをさせられた異形の子ども。
『人が恐れる姿でいろ、って、母さんに言われたんだ』
そう呟いたイオの、冷めた顔を思い出す。
「王子の……黒炎の王子の名前は?」
ジャスティン殿下は首を横に振ってみせた。
「今となっては、それもわかりません。彼についての記録は何もない。救国の英雄という以上に皆、彼を恐れたのでしょう」
「だからって……!」
「戦のあと王子は死んだといいます。魔力を使い果たして燃え尽きたか、あるいは彼の力を恐れて暗殺されたかは不明ですが」
そんな。
そんな、ひどいこと。
頭が混乱する。
胸が苦しくなる。
イオが私に吐露した長い言葉が頭の中を駆けめぐる。
『嫌なことを、させられた』
『やっちゃいけねえことだった。昔の俺にはわからなかったけど』
『やりたくねえって言ったら、捨てられた。俺は道具だったんだ』
戦争の手伝いをさせられたと語ったイオ。
短期間だけアスダールの歴史に登場する「黒炎の王子」。
こんな偶然、あるわけない。
王子は――イオだ。
私はいま、彼の過去を聞かされているんだ。
「ジャスティン殿下……どうして今、この話を私に?」
尋ねると、ジャスティン殿下の眉間に皺が刻まれた。
「国王陛下は、黒炎の王子が時の国王と聖女の子供と信じています。そして今また、あなたに同じことを期待している」
「同じこと?」
ジャスティン殿下は頷き、言った。
「ええ。黒炎の王子の再来です」




