45.王弟ジャスティン
ビクッとして振り向いた先に、若い男性の姿があった。
「ジャスティン……殿下」
呼びかける声が掠れる。
書架の間に立っていたのは、ラスティン国王の弟、ジャスティンだった。
兄のラスティンに似た、端正な容姿。
けれど横暴な兄王と比較して、ジャスティン殿下は物腰の柔らかい青年だった。
国王に拉致されたとき、私の必死の訴えに耳を傾けようとしてくれた唯一の人だ(結局、聞いてもらえなかったけど)。
思い返せば召喚初日、私を邪竜の花嫁にと言った国王に向かって、それはあんまりだと苦言を呈した人でもある(結局、却下されたけど)。
そんなこんなで、彼についてのイメージは「アスダール王国の中では比較的まともな人」。
でも今、ジャスティン殿下は、いつになく固い表情でこちらを凝視している。
緊張を悟られないよう、わざと笑顔をつくって私は言った。
「ご機嫌よう、ジャスティン殿下。殿下も資料室にご用事ですか?」
「チカ様が資料室に籠っていると侍女たちが話しておりました。さて、チカ様はどんなことに興味がおありなのでしょう。部屋の外にいた従者の少年……ロニーでしたね、彼は何も知らないと言っていましたが」
「ええと……歴史の講義でわからないところがあってー、自習をしようと思いましてー」
へらへらと笑ってみせたけど、背中に冷汗が浮かぶ。
正直なところ、ここで誰かと鉢合わせするとは思っていなかった。
国王ラスティンは資料室には何年も訪れていないと聞いていた。単純に、過去や歴史に興味がなさそうだ。
だけど、ジャスティン殿下がいた。
彼は王族。当然、資料室への入室資格がある。
「なるほど。教育係から、チカ様は真剣に講義に臨まれると聞いています。更に深く学ぼうとしてくださるのはありがたいことです」
「あー、まあ、はい」
曖昧に頷く。
褒めているようで、何やらピリピリした空気を感じるのは気のせい?
ジャスティン殿下、どうしてわざわざ私と二人になるように資料室にやってきたんだろう。
(まさか、逃亡計画を練っていることがバレたわけじゃないよね……!? )
そんな私の懸念は、まったく別の角度から打ち消された。
「過去に聖女召喚について、お調べになられているのですね。さしずめ真の聖女についての記述を探しておられるのかな。召喚の儀式や御印について」
私の手にある資料に視線を落としながら、ジャスティン殿下は言った。
(するどい。するどすぎる!)
前から思ってたけど、この人は勘が良くて、いろいろなことを考えている。短絡的な性格の兄ラスティンとは大違いだ。
「図星のようだ。あなたは我々を信用していませんからね。何も考えていないふりをして、二度と使い捨てにされない方法を見出そうとしている」
固まるわたしを見て、ふっと口元に笑みを浮かべ、彼は続けた。
「聖女の記録を調べても無駄ですよ。残っていないのです。真の功績についての資料は、すべて廃棄されてしまったのですから」
「破棄……?」
落胆が襲ってくる。
真の聖女と呼ばれた人について知ることは、この異世界召喚と生贄花嫁システムの矛盾を解くことにつながると思っていたからだ。
「なぜ、わざわざそんなことを?」
「国家の支配力に関わる問題だからです。我々王族の間にのみ、口伝で伝えられています。私も多少なりと聞き及んでいますよ。長い時間の中で歪められているとしても」
意味深なことを言いながら、ジャスティン殿下は長机に並べられた椅子のひとつに腰をおろした。
私にも座るよう、丁寧な手振りで促す。
そして、静かに問いかけてきた。
「お聞きになりたいですか、チカ様」
これこそが狙いだったのだと、ようやく私は悟った。
まだ理由までは見えないけれど、聖女召喚システムの真相について、彼は私に伝えようとしている。
一瞬迷って、私は頷いた。
殿下は、私を利用するつもりなのかもしれない。
ただ、私としても情報はひとつでも多く欲しい。
心なしか満足げに唇の端を上げて、ジャスティン殿下は話しはじめた。
「過去に『真の聖女』と呼ばれた女性は、ただひとりです。もう二百年以上も前に、このアスダールの王妃となった女性でした。彼女とチカ様には共通点があります。それゆえ兄上はチカ様を聖女と信じて疑わず、あなたを絶対に手放さないのです」
「その、共通点って……?」
部屋には私たち以外に誰もいないのに、知らず知らず小声になって尋ねる。
机の上で両手の指を組んで少しだけ身を乗り出して、やはり小声でジャスティンは言った。
「生贄として邪竜に捧げられたのにも関わらず、生存していたという点です」
「生存……って。竜に捧げられた生贄は死んでないんです」
「前にも、そうおっしゃいましたね。では、なぜチカ様以外、一人も森から帰ってこないのです?」
冷静な口調でジャスティン殿下が言い返す。
彼らはイオが人の姿で暮らしていることも知らない。信じない。
そもそも生贄が元の世界に帰ったかどうかなんて、どうでもいいんだ。
重要なのは「生贄として森に送り込まれたあと、王都に戻った女性が存在する」という事実だけ。
その女性がアスダールに大きな利益をもたらし、王都から遠く離れた森に邪竜を封印したと、彼らは固く信じているのだ。
「竜の森から戻った生贄には特別な力が宿る。その力は神聖にして強大、戦においても王国の要になる」
「戦……戦争ってことですか?」
「その通り」
頷いて、ジャスティンは続けた。
「聖女の祈りは豊穣をもたらすのみにとどまりません。アスダールが他国に攻め入られたとき、聖女が祈りで魔法の炎を巻き起こし、敵軍を焼き払った。教育係からお聞きになりましたね」
「はい」
そんなことできません、と思った最たる事項だ。
敵の軍隊を壊滅させるなんて、私には到底無理だもの。
ひと呼吸おいて、ジャスティンは言った。
「炎の魔力を操り、アスダールを守ったのは、実は聖女ではなく、彼女が生んだ王子だったといいます。幼くして亡くなったようですが、我々王家の人間は彼を『黒炎の王子』と呼んでいます」
「こくえんの、おうじ……?」
思わず反芻する。
それは、王子を呼ぶにはあまりにも禍々しい名に聞こえた。




