36.竜と人間
かすかに聞こえる鳥の囀りで、目が覚めた。
天井近くの窓から差し込む朝の光が、無残に割れて傾いたシャンデリアを照らしている。
硬い床の上で体を起こして、ハッとした。
お城の中はめちゃくちゃに壊れたままだけど、目の前の壁が消えていたのだ。
地下室へとつながる長い階段が、ふたたび出現している。
「……イオ」
呼びかけても返事はない。
イオの姿を求めて階段を降りていくと、妖精ちゃんたちが寝ぼけ眼で追いかけてきた。
光の妖精ピカリちゃんが足元を照らしてくれる。
『チカー』
『ダイジョブ……?』
「ありがと。大丈夫よ」
地下の一室に、イオはいた。
供物として持ち込まれるお酒を保存している場所だ。
石の床の上に長躯を横たえて、イオは目を閉じていた。
「イオ?」
おそるおそる呼んでみる。
うう、とかすかに唸って頭を抱え、イオは寝転がったまま片手で私を追いはらうような仕草をした。
アルコールの匂いがする。
イオの体のまわりには、空になったお酒の瓶が何本も転がっていた。
(これ、ぜんぶ飲んだの……)
彼は普段、お酒を飲まない。
この部屋に立ち入ることさえ、めったにないくらいなのに。
苦手なお酒を無理やり流し込んで、眠りについたんだ。
そうして自らの意識をなくすことで、お城が崩壊するのを防いだとしか思えなかった。
(もしかして……私を傷つけないように?)
私がお城にとどまると考えて、無茶をしたのかもしれない。
だとしたら、やっぱりイオは優しすぎるし、不器用すぎる。
これは酷い二日酔いになるに違いない。
竜人とはいえ、しばらく動けないはず。
いちど上階に行き、お水の入ったカラフェとグラス、それに毛布を持って戻った。
「イオ、お水持ってきたよ。飲める?」
聞こえているのかいないのか、イオは「うー」と喉を鳴らしただけ。
すぐに寝息が続いて、彼がまた眠りに入ったことを伝えてきた。
私の力では、イオの大きな体を動かすことはできない。
ぐったりした体に毛布を掛け、仕方なく上階に戻った。
(……ご飯、つくろう)
揺れによる被害が少なかった厨房で、妖精のメランちゃんに火を熾してもらい、軽めのスープを作った。
これなら二日酔いイオの体にも入りそう。
「仕上げに、これを入れて……と」
火からおろす直前に、オイル漬けにしておいた果実の皮を少し混ぜる。
中庭で採れた黄金の果実。柚子に似た香りがする。私が怪我をしたときにイオが食べさせてくれたものだ。
不思議なことに、この黄金の果実を口にしたら回復が早まった。
スープの隠し味に加えて、イオが目を覚ましたら飲ませてあげたい。
お手伝いを終えた妖精ちゃんたちは、厨房の隅に置いた籠の中で身を寄せ合い、再びうたた寝を始めていた。
「みんな、よっぽど疲れたのね」
頭を撫でてあげてから、静かな厨房で椅子に腰を下ろし、ため息をつく。
昨日から、いろいろなことがありすぎた。
思い知らされた。私はイオのことを、何も知らなかったんだと。
竜人は人間より、はるかに長い時を生きること。
その伴侶となる「番」もまた、人間本来の寿命をはずれた長寿の道を歩むこと。
そして、イオのお母さんが元は生贄として森に連れてこられた女性だったこと。
(もしかして、私と同じように異世界から――近代以降の地球のどこかから召喚された人だった?)
そう考えると、以前から不思議だと思っていたことに納得がいく。
イオのお城にある様々な品物には、この世界には不似合いなものが、たくさん混じっているのだ。
厨房の調理器具や化粧用の小物、下着や靴など様々なもの。
妙に便利なそれらは、イオのお母さんが異世界からやってきた人だったことの証明だったりするんじゃない?
花嫁として捧げられた生贄が竜人と結ばれ、イオが生まれた。
夫なきあと彼女は森を出て、人間社会で余生を過ごし、息子を捨てた。
そして、ひとり残されたイオのもとに、今度は私が――。
(イオ、私がお母さんと同じ道を辿ると思ってるのね。それで無理やり、私を元の世界に帰そうと……)
イオは、こう思っているのだ。
お母さんは後悔していた。竜の番になったことを、イオを産んだことさえも。
そして私も、いずれ同じ考えを持つようになると。
私の想いを、一度は受け入れてくれて。
あんなに嬉しそうに抱きしめてくれた、イオ。 だけど、母親にまつわる辛い過去が消えない傷となって彼の心を蝕んでいるのだ。
(でも……)
青い鱗のペンダントヘッドを見つめながら、考える。
以前、イオは私に語ってくれた。
『そういえば母さんも、父さんの鱗をアクセサリーにしてた』と。
それは愛情の表れ、なんじゃないのかな、
どんなに美しいアクセサリーになるとしても、好きでもない人の体の一部を身につけたいなんて思わない。少なくとも、私は。
『ふうん、好きじゃなきゃ?』
私に問いかけたイオの笑顔を思い出す。
……あのとき、気持ちを伝えればよかった。
傷つきたくなくて、逃げたのは私だ。
ずっとイオに甘えてた。
曖昧な関係のまま、穏やかで幸せな生活を続けたいと考えてしまってた。
もっと早く勇気をだしていたら、竜の番の掟について、イオが私に話すきっかけを作ることができたのに。
彼が抱え続けた孤独と、ひとりきりで過ごしてきた時間の重さに寄り添ってあげることもできたのに。
(ごめんね、イオ)
悲しくて、情けなくて、また勝手に涙が溢れてくる。
『どうせチカも俺を捨てる』
『いなくなるんだ、母さんみたいに』
『だったら今いなくなってくれよ、人間の世界に帰れ』
……イオは私を信じてくれなかった。
でも、それは私のせいだ。
彼との間には、まだ、見えない壁が立ちはだかっている。
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