19.ただいま
「…………チカ。チカ!」
名前を呼ばれて、目を開ける。
私はベッドに仰向けに寝ていて。
すぐ近くに、私を見下ろすイオの顔があった。
「イ、オ……?」
掠れた自分の声が、ここが現実だと教えてくれる。
視界に入る天井も部屋も、見慣れたお城の風景だ。
(そうか……私、夢を見てたんだ)
夢の中で、高校生の頃に戻って。
ご飯をつくって、それから……。
(あれ? どんな夢だったっけ)
急速に夢の記憶が消えてく。
代わりに冴えていく視界に、現実の光景が映る。
(イオ……泣いてる?)
ベッドのすぐそばで、イオが跪いている。
充血した目。頬が濡れている。
「なかない、で」
呂律のまわらない舌で、声をかけた。
イオが驚いたように目を見張る。
「な……泣いてねえよ!」
否定の言葉を吐いたあと、整った顔をくしゃくしゃに歪めて、イオはベッドの上の私の手に自分の額をつけた。
「えー……ないてる……よね……」
「だから何だよ。二百年ぶりに会った気分なんだよ」
二百年て、大袈裟な。
『チカー!』
『ヨカッター』
「チカ、生キカエッタァァァ」
『心配シタンダヨ〜!』
ベッドの縁に鈴なり状態で並んだ妖精ちゃんたちも、全員号泣してる。
「みん、な」
喋るたび、喉の奥が引きつれるように痛んだ。
「チカ、口あけろ」
イオは手にしたガラス瓶の中身をスプーンで掬い、私の口の中へと注ぎ入れる。
甘酸っぱい液体が喉へと滑りこむと、ひりつく痛みがスッとやわらいだ。
「これ……なに……?」
「回復効果のある果実の絞り汁だ。頑張って飲め」
ひと口、ふた口。
イオが果汁を飲ませてくれるたび、嘘のように呼吸が楽になっていき、少しずつ頭がはっきりしてきた。
そうだ。
私、森で人間の少年に出会ったんだった。
彼が投げた石が額に当たって、流血して、それを見たイオが怒って――
「あ! あの子……ロニーはっ!?」
「おい、急に動くなって」
跳ね起きようとして止められる。
「い、痛たた……」
「無理すんな。火傷が酷すぎるんだ」
体じゅうが痛い。
試しに少し片腕を上げてみると、ぐるぐる巻きの白い包帯が目に入った。
相当な怪我だ。生きててよかったレベル。イオが放った炎で焼かれちゃったんだね、私。
「お前、七日も眠ったままだったんだ。他人のことより自分の心配しろよ、お人好しめ」
「ねえ、イオ……あの人間の男の子は、どこ?」
おそるおそる尋ねる。
怯えながら答えを待つ私に、イオは憮然と答えた。
「ガキなら泣きながら逃げていったぞ。盗んだ実も、しっかり持っていきやがった」
「見逃して、くれたの?」
「それがチカの望みだったんだろ? あんな人間のために体張りやがって」
「よかった……イオ、ありがとう!」
イオが息をのむのがわかった。
「……イオ?」
眉間の皺を隠すようにイオが下を向く。
「礼なんか言うな。お前を酷い目に遭わせたのは俺だ」
「でも、嬉しいの。ロニーを傷つけないでいてくれて。イオが本当は優しいこと、あの子はわかってくれたはずだよ」
「ばっ……かじゃねえの。俺の話はいいんだよ」
絞り出すように言ったあと、彼は、また顔を歪めて大粒の涙を零した。
「俺……チカを死なせるところだった。俺のせいで……!」
膝の上で拳を握り、肩を震わせて泣いている。
痛みをこらえ、包帯に包まれた手を伸ばした。
露出している指先だけで、濡れたイオの頬に、そっと触れてみる。
「泣かないで。あなたは悪くない。私を守ろうとしてくれたんだね」
「……チカ……ごめん。本当に、ごめん。きらいにならないでくれ。頼むから……いなくならないでくれ……」
消え入りそうな声でイオが呟く。
今日の彼は素直だ。まるで小さな子どもみたい。
ほんとに心細かったんだな。
「嫌いになんて、ならない。いなくならないよ。私は」
イオの大きな手が、わたしの手を包んだ。
それから目を閉じ、震える声で囁く。
「もういちど……俺の名前、呼んでくれないか」
「うん。……イオ」
名前を呼ばれたイオが、ベッドの端に顔を埋める。
乱れた髪を撫でながら、もう一度、呼んでみた。
「イオ。ただいま」
「……なんで、ただいまって言った?」
顔を上げて、イオが尋ねる。
「あ……どうしてかな。自分でも、わからない」
「夢でも見たのか。どんな夢?」
「覚えてない……けど」
「けど?」
もう遠い、朧な夢の破片。
霧の中に浮かんだ影。
「なんだか、夢の中でイオに会った気がする……」
「そっか」
それ以上は追及せずに、イオが涙を拭う。
そして微笑みながら私の手を握り、言った。
「おかえり、チカ」




