14.千の花
ハッとしたような表情になったあと、イオがこちらを振り向いた。
「チカ、褒美をやる!」
「え、またご褒美? 何の?」
「俺の名前の意味を教えてくれた褒美だ! 欲しいものを言ってみろ、新しいドレスでも、宝石でも!」
「いいです。足りないものもないし……」
「なんだよ、張り合いねえなあ」
イオが落胆したように肩を落とす。
でも、すぐに私へと向き直った。何かを思いついた表情だ。
「チカ。お前の名前には、どんな意味がある?」
「意味? え、ええと、千花だから……千の花、っていう意味、かな」
気恥ずかしくなりながら、私は答えた。
実は子供のころから、自分の名前がコンプレックスだった。あまり名乗りたくないなと思っていたくらいだ。
実の母がつけてくれた名前らしいけど、どうにも自分には似合わない気がして。
――だって、綺麗すぎるから。
イオの顔に、いたずらっぽい表情が浮かんだ。
バサッと音がして、一瞬で彼の背中に大きな翼が出現する。
「来い、チカ!」
「はっ、はい? きゃあ!!」
いきなりイオが両腕で私を抱きかかえ、空へと舞い上がった。
「高い! 怖い! きゃあああああ!!」
「暴れるなって、落とさねえから安心しろよ」
恐怖でしがみつく私を力強く抱き、一気にお城の上まで上昇したあと、屋根の上に着地する。
屋根の上に降ろされても、私は怖くてイオの腕に縋りついたままだった
「あ……あんまり驚かせないで……!」
「驚くのは、これからだ」
彼は片目を細めて腕の中の私を見下ろした。
中庭を背にする格好で立っている私たち。
目の前には、見渡すかぎりの立ち枯れの森が広がっている。
「見てろよ」
イオは片腕で私を支えつつ、もう片方の手を前へと突き出した。
その瞬間。
視界に入る色彩が、一気に変わった。
地面で緑色が弾ける。
草が芽吹き、枯れ枝を覆っていく。まるで若草の絨毯みたいに。
それだけじゃない。
白骨のような枯木に、みるみる生気が戻り、瞬く間に緑の葉を茂らせていく。
木々の枝先に、大地を覆う草の上に、次々と花が開いていく。
色鮮やかな絵の具を散らすように、宝石を撒くように――
『キレイー!!』
『ドラゴン、ヤッタネー!』
『ヤレバ、デキルネー!』
追いついてきた妖精ちゃんたちが、空中で抱き合ってはしゃいでる。
「あ……あなたが花を咲かせたの? こんなことができるの!? こんな……こんな、すごいこと」
声が震えた。
こんなの、奇跡としか思えない。
「おう、簡単だ。俺は竜で、ここは俺の森だからな!」
イオが胸を張る。
「どうして……こんなに、たくさん……」
「どうしても何も、チカって名前は千の花っていう意味なんだろ? なら、お前は花の中にいるべきだ。千じゃきかねえ数だけど、まあ気にすんな」
ふわり。
風に吹かれて、甘い花の香りが舞い上がる。
久々に目にするみずみずしい緑、そして色とりどりの花びら。
さっきまで巨大な骸のようだった立ち枯れの森に生気がやどり、空気までが色づいていく。
「綺麗……こんな綺麗な景色、はじめて見た……」
眼下に広がる花の海を見下ろして、思わず呟く。
「そっか。よかった」
隣に立つイオが、少年のような笑顔で私を見て。
どきん。
大きく心臓が跳ねた。
(このひと、私を喜ばせようとしてくれたんだ)
東京での、あわただしい生活。
誰にも名前を呼んでもらえない日々のなかで、単なる記号に成り果てていた私の名前。
本当の自分まで消えていくような気がしてた。いつも息苦しくて、居場所がないと感じてた。
だけど目の前にいる彼は、いちめんの花の中で呼んでくれる。私の名前を。
「千の花、か。お前にぴったりの名前だな、チカ」
「……ありがとう、イオ」
泣きそうになりながら言葉を絞りだす。
嬉しかった。
属性や役割じゃなくて、名前を呼びあえること。
もしかしたら、イオも同じだったのかな、と思った。
立ち枯れの森で、たったひとりで過ごしながら、誰かに名前を呼ばれることを、強く強く欲していたのかもしれない、と。




