7話「地下水路への潜入」
裏ギルド
公的機関への通達なしに結成されたギルド
冒険者、魔術師、職人、商人
同職の者により結成された組織はギルドと呼ばれる
だが、日陰で生きるなら自由にするがよい
盗賊、暗殺者、密猟人
好きに生きて罰を受けよ
スクルタスの地下全域へ網目のように広がる巨大水路。その入り口は、街中の至るところに散在する。
キョウカの裏ギルドから歩くこと数十分。辿り着いたのは、雑木林の奥深くに佇む「旧第四地区浄水場」。
かつて街の基盤を支えていたその施設は、今では伸び放題となった鬱蒼とした木々に囲まれた廃墟だった。
「……っ」
茂みの隙間から漏れるライトの白光に、反射的に身を隠す。
視線の先、建物の入り口を厳重に固めていたのは、スクルタスの治安維持を担う正規の「軍隊」であった。重厚な装備に身を包み、自動小銃を抱えた兵士たちが、鋭い眼光で周囲を警戒している。
「なぜ、こんなところを軍隊が……」
リナが潜めた声で漏らした疑問に、隣にしゃがみこんでいたキョウカが思い出したかのようにポンと拳を掌に打ち当てた。
「そうそう、言い忘れていたが……今ここは、軍の所有地だ。だから……」
キョウカは不敵な笑みを口元に浮かべ、あまりにも軽い調子で告げた。
「絶対捕まるなよ」
一瞬、思考が完全に停止した。
冷たい夜風が通り抜け、遠くで兵士たちの規則正しい軍靴の音が響く。
「えっ!? 何それ、聞いてないんですけど……」
思わず素の声が漏れる。
軍の管理下にある施設に不法侵入する。そんな国家反逆罪まっしぐらなことをするなど、まったく聞かされていない。
だが、キョウカはそんな動揺などどこ吹く風で、既に建物へと鋭い視線を向けていた。
「安心しな、見つからなきゃいいだけの話だ。それに、軍がここまで厳重に守ってるってことは、その奥に『本物』があるって証拠だろ?」
思わず、片手で己の額を押さえる。
とんでもない無法者に捕まってしまった。そう痛感するも、後悔したところでもう引き返せる段階ではない。
「軍隊の方は私が何とかするから、とりあえずお前は一人で行け」
「一人で行け、ですって……!?」
事も無げに言い放たれた耳を疑うような無茶な指示、すぐに飲み込めるわけがない。
相手は、銃を携えた戦いのプロたち。対するこちらは、正面からの戦闘など専門外のしがない鑑定士である。
指先を硬く握り締め、不信感を隠さずに視線を向けると、キョウカは薄い唇を不遜につり上げた。
「まあ、信用できないのも無理はないか……よし、あそこの兵士を見てろ」
キョウカの細くしなやかな指先が、門扉の脇に立つ一人の兵士を指し示す。
次の瞬間、その兵士が背後から殴られたかのように、くの字に折れて崩れ落ちる。
「……っ!?」
思わず息を呑む。
予兆は何一つなかった。物音も、魔力の揺らぎさえも……
周囲の兵士たちが異変に気づき、倒れた仲間のもとへと駆け寄る。彼らは慌てて銃口を周囲に向けるも、攻撃の軌跡はおろか、犯人の影さえ捉えられていないのは明白だった。
「詳しいことは言わないが、これが私の『能力』だ。だから安心して行け」
先ほどグラスを傾けていた時と変わらぬ優雅さを漂わせながら、キョウカは平然と言い切った。
射程、速度、そして不可視性。その力の一端を見ただけでも、彼女が裏ギルドを仕切るにふさわしい実力者であると思い知らされる。
「……分かったわ。あなたの実力は、疑う余地もなさそうね」
覚悟を決め、低く身構える。
キョウカが兵士たちの注意を引きつけている今が、潜入の絶好のチャンスだ。
「その代わり、あなたが捕まっても、私は容赦なく逃げるわよ」
「ふん、あんたに心配されるほどヤワじゃないさ。……ほら、行った行った」
リナは深く息を殺し、迅速に浄水場の中へと足を踏み出していった。
◆ ◇ ◇ ◇
直径10mを優に超える大空洞。かつてこの水路がスクルタスの基盤を支えていた時は、この全てが猛烈な流水に満たされていたはずだった。
しかし今はもう、湿り気のある巨大配管に、わずかな水たまりが澱んでいる程度である。
そんな過去の遺構であるはずの水路だが、天井に沿って光源型の魔術が規則的に設置され、明るさは確保されている。まるで誰かがまだ、この見捨てられた空間を必要としているかのように……
地下水路の最深部――貯水槽。見通しの効く直線をただ進んだ突き当りに、目的の扉がある。
その扉の前には、地上の者たちと同様の装備の兵士が二人、見張りとして突っ立っていた。
「――俺たち、急にここに立たされたけど、なんかあったのか?」
その立ち居振る舞いからは、軍人特有の緊張感が欠落している。彼らは互いに顔を見合わせ、手持ち無沙汰そうに談笑を交わしていた。
「知らねぇのか? ついこの間、ここまで侵入したヤツがいたんだとよ」
「マジかよ、それで外の見張りも増えたのか」
「ああ、しかも誰もその姿を見れなかったらしいぜ」
姿を見せることなく、この最深部に辿り着いた侵入者。それは間違いなく、今まさに外で暴れているキョウカのことだろう。
「おいおい、それまじでヤバいだろ。俺たち立たせたくらいで、どうにかなるのかよ」
怯えを誤魔化すような兵士の声が、地下の静寂に虚しく響く。
「おい、ところで知ってるか? 俺たちにここの見張りをやらせてんのが誰か」
「軍を動かせる奴だろ……ってことは市長とかか」
「半分正解だな。噂じゃあ、この奥にはハリスの部下がうじゃうじゃいるんだとよ」
その名を聞いた瞬間、リナの瞳の奥に鋭い光が宿った。
ウィリアム・ハリス。能力者優遇政策を掲げ、新市長の座を狙う男。
その男が、軍を動かし、閉鎖されたはずの地下水路に自らの息がかかった戦力を配置している。
その事実だけで、この先に待ち受けている陰謀が、単なる「無法者の小競り合い」ではないことを物語っていた。
「おいおい、こんな大声で話して大丈夫な話かよ」
「こんなところまで誰も来れねぇだろ。ワッハハハハハ!」
――ピピッ! ピピッ!
兵士たちの軽薄な笑い声を掻き消すように、彼らの無線が鳴る。
「はい、こちら貯水槽前。どうぞ」
『こちら、旧第四地区浄水場巡回。不審者の制圧に苦戦、応援を求む』
「貯水槽前、了解。直ちに向かう」
短い通信の末、兵士はあまりにあっけなく無線のスイッチを切った。
「おい、ここの監視離れていいのかよ」
「あのなぁ、ここまで来れるような奴相手に、俺たち二人だけで勝てるわけないだろ。さっさと上で人数をかけて制圧しちまった方が確実だろうよ」
「それもそうか。じゃあ、さっさと終わらせて戻るか」
「ああ。まあ、俺たちが着くころには全部終わってるかもしれねぇな。今の通信、俺たち宛てじゃなく、“全部隊”向けだったからな」
不満を漏らしつつも楽観的な足取りで、兵士たちは地上へと続く通路の奥へと消えていった。
(大丈夫よね。キョウカ……)
リナの胸を、地上で立ち回っているであろう彼女の身を案じる思いがかすめるが、すぐに思考を切り替える。
「今、私がすべきは『封印』の鑑定。他のことは考えなくていいわ」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、リナは潜んでいた陰から抜け出し、兵士たちの立ち去った場所へ足を進めた。
巨大な水路にふさわしい圧倒的質量の開閉扉。材質は、キョウカの言う通りの鉄製。そして、その大きさからすれば遥か下方――ちょうどリナの視線ほどの高さで、ひとつの『術式』がかすかに青白く光っていた。
「これを視ればいいのよね……」
左手の革手袋を外しつつ、様子を探る。
この術式には、強力な魔力が秘められているわけでも、外部と連動しているような気配もない。あくまでも、目の前の微弱な魔術のみで完結しているように見える。
些かの疑問を抱きながらも、リナは露わになった指先を伸ばし、『封印』へとそっと触れた。
◇ ◆ ◇ ◇
脳裏に描かれたのは、誰かの記憶でも真実でもなかった。
流れ込んできたのは、文字と数字の列。そこには、一切の感情は含まれていなかった。
――自身は、「オブジェクトα」である。
――αは、以下の属性である。1. βに付与 2. Positionを(35.69……,139.70……,-22.36……)に固定
――「オブジェクトβ」は、以下の属性である。1. Iron_Door 2. (35.69……,139.70……,-22.36……)に存在
(なに……これ?)
それは予想していたような、魔術的な『封印』ではなかった。どこまでも構造的で、根源的な何か――言うなれば、『定義』だ。
情報を照らし合わせていく。
αとはβと接着した、位置を固定された何か。
βは、αと同位置にある鉄製の扉。
(……ということは、αとは今まさに鑑定を行っている術式そのものか)
αは座標を固定されている。そして、紐づけられた術式αが固定されているから、扉もまた固定され、動かない……
(扉には一切、手を出していない。だから、大量の魔力も必要ないわけか……)
あくまで設計者が自由に定義しているのは、自分自身で組み上げた術式のみ。だからそれ単体で完結する。ゆえに魔力も最低量で済む。
(じゃあ、これをどうやって破るかよね)
リナはヒントを探すべく、立ち昇る他の記述へと意識を滑らせた。
――αは、以下の魔力波長を識別する。 [Pattern 1]
――αは、もしPositionの固定が有効な時に魔力を識別した場合、Positionの固定を無効化する。
――αは、もしPositionの固定を無効な時に魔力を識別した場合、Positionの固定を有効化する
(あったわね。“鍵”の役目が)
この扉の先に荷物を搬入しているならば、必ず誰かは中に入れなければならない。すなわちこの術式は、許可された特定の者のみを通し、それ以外の者を排除する「鍵」でなければならなかった。
魔力波長が位置固定のオンオフのトリガー。あらかじめ設定された波長に合致した時のみ、扉の開閉を自由に行えるようになる。
リナは、「Pattern 1」と名付けられた図へと意識を移した。そこに描き出されていたのは、規則的にループを繰り返す波形のグラフだった。
(パターンが一つしかないということは……特定個人しか入れない? いや、それは不便すぎる。同じ魔力波長を持つ『キー』を共有している方が可能性は高いか)
この術式を突破する道筋が、うっすらと見えてきた。
一つ目は、「キー」を持つ者が扉の固定を解除した瞬間に、突入する方法。
二つ目は、術式を操作できる「キー」を手に入れること。
三つ目は、この魔力波長を完全に再現して、「キー」を作ってしまうこと。
一つ目と二つ目は戦闘を避けられないが、三つ目を行うための準備も今はない。
(今は深追いすべきじゃないか。キョウカのところに戻りましょう)
どの選択肢をとるにしても、単独行動では不可能な話だった。
だがキョウカと合流すれば、一つ目と二つ目も選択肢に入る。あるいは彼女なら、三つ目の方法を行う術や知恵も知っているかもしれない。
リナは術式から手を離し、現実へと意識を戻していく――
――Designed by 九条クルル
リナの意識が、文字と数字のみで構成された無機質な世界から遠のいていく中、記述の最後に書かれた設計者の名だけが妙にはっきりと目に入った。
◇ ◇ ◆ ◇
「……な、何これ」
地上へと戻ってきたリナは、目にした光景に思わずその場に立ち尽くした。
そこには、「山」が築かれていた。もっとも、積み上げられているのは「土」ではなく、「兵士」だったが……
先ほどまで入り口を固めていたはずの彼らは、誰一人として立っていない。皆、出血の痕もなく、何かに強く叩き伏せられたかのように、折り重なるように意識を失っていた。
その山の麓で、キョウカは手元の携帯端末の画面を睨みながら佇んでいた。
「やりすぎたか……」
ぽつりと漏らした独り言に、リナは戦慄を覚えた。
彼女自身にはかすり傷一つなく、それでいて兵士の側にも死者を出すことなく、軍隊を単身で制圧してしまったのだ。
「……『何とかする』とは言っていたけれど、まさかここまでとは思わなかったわ……」
もはや引くレベルである。彼女一人がその気になるだけで、スクルタスの街なんて簡単に滅ぼされてしまうのではないか……
「それで、収穫はどうだ。あの『封印』を突破する方法は見つかったか?」
キョウカは服についた埃を素っ気なく振り払いながら、鋭い赤眼をこちらに向けて問う。
「ええ。解除には特定の魔力波長を持つ『キー』が必要ね。それを持っている人物を探すか、自前で作るしかないわね。それから、あの術式の設計者の名前は、『九条クルル』という人物よ」
「九条クルル……聞いたことはあるな……だが、対策が分かったなら話は早い。奴らの援軍が来る前に、さっさとズラかるぞ」
キョウカは倒れ伏す兵士たちを振り返ることもせず、闇の向こうへと歩き出した。
リナはその後ろ姿を追いながら、手袋の中で固く拳を握り締めた。
◇ ◇ ◇ ◆
「つまり、その『キー』を作れば、扉の先に行けるってことだな」
深夜の雑居ビルの地下、裏ギルド“予定地”。
引っ越し作業をしていた者たちは、当然帰り、静寂となった空間にキョウカの声が広がる。
リナは小さく首を縦に振った。
「そうか、助かった。それじゃあ、これが今回の報酬だ」
キョウカは無造作に胸元から一枚の紙片を取り出すと、迷いのない筆致で数字を書き込み、リナの前へと差し出した。
「……え?」
差し出された小切手を見て、思考が完全に停止した。
そこに並んでいたのは、高級車を十台買い並べたとしてもまだお釣りがくる、目を疑うような数字だった。
「ちょっと……『0』の数間違えてるんじゃないの、これ!?」
戸惑いを隠せず、小切手とキョウカの顔を交互に見つめる。
鑑定士の「裏」の報酬相場と比べても、これはあまりに桁が違いすぎる。
「間違いじゃないさ。軍を相手に情報を引き抜いたんだ、相応の対価だろ。それに……」
キョウカは苦々しげに吐き捨てると、下唇を強く噛み締めた。その端正な横顔に、かすかな陰りが差す。
「面倒なことに巻き込んでしまったかもしれない。ハリスのこともそうだが……何より、な……」
言い淀むキョウカの言葉に、胸の奥がざらつくのを感じた。
なるほど、この法外な金額は単なる労働への対価ではないということか。己の意図せぬところで、後戻りできない何かに自分を巻き込んでしまったことへの、謝罪の意味もあるわけだ。
「……随分と高くついたわね、私の好奇心も」
小さく息を吐き、腹を括る。差し出された小切手を受け取り、コートのポケットへとしまう。その重みは、これから始まるであろう波乱の予感で満ちていた。
「……ねぇ、キョウカ。準備ができたら、私も地下水路の探索に同行させて。手伝わせて欲しいの」
それは、単なる依頼の延長ではない。スクルタスの市長という光と、ハリスという男の影。そして街で蠢く異変。
鑑定士として、この目で真実を確かめなければならなかった。
「好奇心か、あるいは正義感か。何がお前を突き動かしてるかは知らないが……」
だが、キョウカの反応は意外なものだった。不敵な笑みは消え、その端正な顔立ちに複雑な表情を滲ませた。
「それはできない……というか、私もこの件に関われるのはここまでなんだ」
「……どういうこと? 貯水槽に行くんじゃなかったの?」
リナの問いに対し、キョウカは苦虫を噛み潰したかのような険しい顔を向けた。
「間に合わなかったんだ。内々だが、ついさっき連絡が来た。『天界』の軍が、スクルタスに派兵されることが決まったそうだ。つまり……この先は、奴らの仕事だ」
「天界が、派兵!?」
「ああ、ハリスか誰かはわからないが、知らないうちにこの街はタブーに触れたのかもな……やつらが直接動くってことは、そういうことだろ」
キョウカの赤みがかった瞳が、まっすぐにリナを射抜く。それは、これ以上踏み込むなという警告であり、同時に彼女自身の無力感の裏返しでもあった。
リナはコートの上から、ポケットの中の小切手をそっと撫でた。
キョウカが「退く」と判断するほどの事態。それでも、心の中に灯った鑑定士としての執念は、消えそうになかった。
「……アイツが来るぞ。バカ騒がしい『英雄様』がな」
天井の剥き出しの配線を見上げながら、キョウカは遠い誰かの姿を思い描くように、吐き出すような声で呟いた。
WA4カービン
W.エーペックス社製の騎銃
反動が少なく、軽量で携行しやすい
また、拡張性も非常に高い
その取り回しの良さから
多くの地上部隊が用いている




