6話「『無法者』からの依頼」
鑑定士の鑑定結果
鑑定士リナが視た
己自身の追憶
幼き頃、師に連れられスクルタスへとやってきた彼女は
そのあとを継ぎ、特異点を集め、無力化する
歴史と記憶を視て、人々と街の平穏を守る
それが特殊な力をもって生まれた
己の使命なのだと信じて
――13紀 2114年 澄光の月 27日
回顧録の空気は、普段であれば使い込まれた調度品と珈琲の香りが溶け合う穏やかなものである。
しかし、今日ばかりはその見慣れた調和が完全に崩れ去っていた。
「今日は、随分と賑やかね……」
リナはカウンター席から小さく独り言をこぼし、店内の様子を観察する。
琥珀色の照明に照らされた店内は、ほぼ満席に近い。数少ない空席も、入り口の扉が開くたびに新たな客で埋まっていく。ヴィンテージのテーブルを挟んで人々がそれぞれの物語を語らい、カップやソーサーが触れ合う硬質な音が絶え間なく響いていた。
この隠れ家のような店が、ここまで活気と混雑に満ちることは珍しいが、そこには明確な理由があった。
少しだけ視線を上げ、古いブラウン管テレビへ目を向ける。
『……クリームソーダにプリンアラモード。それらをこういう趣のある喫茶店で食べるのが最高ですよね!』
画面の中では、華やかな衣装を纏ったキャスターが、熱を帯びた声で最新トレンドを報じていた。
今、天界のセレブリティたちの間では、歴史の重みを感じさせる「レトロな雰囲気」が空前のブームとなっているらしい。
そして、その流行は瞬く間に階層を下り、地上のスクルタスにも押し寄せていた。
本物のヴィンテージ品に囲まれ、時代から取り残されたような静謐さを保っていた「回顧録」は、図らずもその流行のど真ん中に放り込まれてしまったのだ。
客たちの手元にあるのは、長い年月を経て使い込まれた陶器のカップ。
しかし、彼らが求めているのは歴史の重みや珈琲の味わいではなく、その「古臭くてお洒落な空間」を享受している自分自身という記号のようだった。
リナは、手袋をはめた手でそっとカウンターをなぞる。
流行という移ろいやすい光が、歴史を重んじるこの店に無遠慮に差し込んでいる。その奇妙なミスマッチに、彼女は微かな居心地の悪さを感じていた。
一方でマスターはといえば、突然の忙しさに目を白黒させながらも、それでもどこか楽しそうに、そしていつもと変わらぬ丁寧な仕草で、一人ひとりの客へとカップを運んでいる。
「流行、か。……私たちが扱う過去とは、随分と性質が違うものね」
まるで異国の言語のような店内のざわめきに、小さなため息が出てしまう。
――カランッ!
激しい鐘の音が店内に響き渡る。
普通の客たちが鳴らす控えめな合図とは違う、明確な意志を宿した容赦のない響きだった。
入り口へと視線を向けたリナの瞳に、一人の女性の姿が映り込む。
流れるような鮮やかな金髪。身長は170cmほどだろうか。すらりとしたモデルのような長身を、夜の闇を切り取ったかのような黒いシックな装いに包んでいる。リナと同世代か、あるいは少し年上か――その若さでありながら、纏う空気は完成された威圧感を放っていた。
そして何より印象的だったのは、その眼光。赤みがかった睨みつけるような瞳は、冷ややかに店内の様子を射抜き、人々を射竦めていた。
彼女が一歩足を踏み入れた瞬間、流行に浮かれていた店内の喧騒が、潮が引くように止まった。客たちは言葉を失い、カップを持つ手を止め、突如現れた正体不明の圧倒的な「個」に息を呑む。
だが、その静寂は長くは続かない。彼女が迷いのない足取りで店の奥へと進み始めると、堰を切ったように再びざわめきが戻り始める。先ほどまでの軽薄な浮足立ったものとは違う、困惑と居心地の悪さが入り混じった落ち着かない響きではあったが……
指先が、手袋の中でこわばる。
有象無象たちが感じ取った威圧感だけではない。
彼女の入店と同時に、身体の奥底――あるいは魂の内側からの振動を感じる。
(……共鳴。間違いない。彼女、『能力者』ね)
赤い瞳に迷いはなかった。喧騒を視界の端にも留めず、カツ、カツと硬いヒールの音を響かせて、カウンターの隅へと一直線に向かってくる。
「あんたが『鑑定士』か?」
低く、だが驚くほど透き通った声。それは問いかけという形をとりながらも、事実を確認するだけの、逃げ場のない宣告のようだった。
「ええ、そうよ。……私に何か、鑑定してほしい物でもあるのかしら?」
リナは努めて「鑑定士」として冷静な声を保ち、短く応じた。
その問いかけに女性はすぐには答えず、店内を心底疎ましそうに見渡す。そして再び視線を戻すと、薄い唇をわずかに開いた。
「場所を変えないか、ここは人が多すぎる」
周囲の喧騒を切り裂くような冷徹な響き。それは提案ではなく、不必要な会話を打ち切る通告だった。
背後から、心配そうにこちらを伺うマスターの気配が伝わってくる。普段の回顧録であれば、奥の個室で依頼を引き受けることもある。
だが、今の天界の流行に毒され、どこに誰の耳があるかもわからないこの店は、この女性のような明らかな強者が持ち込む案件を扱うには、あまりに不向きな場所となっていた。
「……いいわ。確かに今、この店は静かに話を聞くには不向きなようね」
リナはゆっくりと腰を上げる。
「案内してくれるかしら。あなたが望む、『静かな場所』へ」
◆
迷いのない足取りで進む女性の背を追い、辿り着いたのはスクルタス第四地区――色彩豊かなネオンが夜の闇を塗り潰す雑多で混沌としたエリア。
そびえ立つ高層ビルの威圧感とはまた違う、人々の欲望が淀み蠢くような奇妙な熱気を持つ土地。
もっとも太陽の光に照らされる今の時間は、ネオンも夜の住人達も息を潜めているが……
女性が足を止めたのは、年季の入った雑居ビルの前だった。
そのビルの地下へと続く階段の入り口では、作業着を着た男たちが忙しなく荷物を運び入れている。引っ越し業者のようだった。
二人は、彼らが抱える箱や大型機材の間を縫うように階段を降りる。
「ここだ」
重厚な扉を開けた先。そこは、かつてバーであったことを窺わせる隠れ家的な空間。
まだ完全には片付いておらず、天井や壁からは剥き出しの配線が垂れ下がり、梱包資材や木箱が足元に散乱している。
女性はリナをカウンター席へ座るように促すと、そのまま迷いなくカウンターの内側へと入り、向かい合った。
「鑑定士、あんたソフトドリンクと酒、どっちがいい」
赤みがかった瞳が、リナの反応を試すように射抜く。
その場違いな問いかけに、一瞬だけ言葉が詰まる。この刺すような緊張感の中で、飲み物の嗜好を尋ねられるとは思ってもみなかった。
返答に躊躇っていると、女性はボトルのラベルを確認しながら、低く短く笑った。
「安心しな、ここは私の敷地だ。ギルドをやろうと思っててな」
その言葉に、改めて周囲を見渡す。
運び込まれる大量の荷物。頑丈そうな家具。そしてカウンター越しに立つ女性の堂々とした立ち居振る舞い。
ここは単なる隠れ家ではなく、これから新たな「血」が通い始める場所――強者たちが集う、ギルドの拠点となる地。
彼女の素性の一端が見えたものの、完全には警戒心を解けなかった。
「……なら、ソフトドリンクでお願いするわ。あいにく、仕事中に酔うほど呑気ではないから」
その言葉を聞き、女性は鼻を鳴らした。その後、流れるような手つきでグラスを並べ、濃いオレンジ色の液体を注ぎ入れる。
リナは差し出されたグラスを持ち上げ、そっと口につける。
(果汁100%……それもストレート。ラベルのデザイン的に、メッシス産ね)
柑橘の濃密な甘みと酸味を味わいながら、グラス越しに相手の様子を探る。
女性は、同じ液体を自分のグラスにも注いでいた。
「場所も変えた。飲み物も揃った……そろそろ、本題を聞かせてもらってもいいかしら。わざわざ回顧録まで私を迎えに来た理由を」
問いかけに対し、正面に立つ女性はグラスにわずかに口をつけた後、その鋭い視線をリナに固定した。
「私の名前は『天津キョウカ』。さっきも言ったが、ここでギルドを開こうと思っている」
名を明かした彼女――キョウカに、名乗ることへの迷いはまったくなかった。その堂々とした振る舞いは、一組織を支配し、統括する者に相応しい風格を湛えていた。
「あんたに頼みたいことがあるが、その前にひとつ確認させてほしい」
キョウカはカウンターに両肘をつき、わずかに身を乗り出した。
鋭い瞳が一層細められ、眼前の「鑑定士」が持つ覚悟を品定めするように見つめてくる。
「うちは見ての通り開業前だ。つまり、まだ行政の許可をとってない、いわゆる『裏ギルド』にあたる。まあ、とるつもりもないがな……」
さらりと言ってのけた『裏ギルド』という言葉。
冒険者であれ商人であれ、同業の者たちが集い、組織を結成する時は、公的機関への通達と許可、そして活動内容の報告が義務となる。
それをしないということは、自分たちは公にできないようなことを行う存在――「無法者」であると宣言しているようなもの。公的機関から敵視され、追及を受けようとも決して言い逃れできない立場へ自らを置くことと同義である。
「つまりあんたは、無法者からの依頼を受けることになる。それを許容できるか、できないかだ」
投げかけられた声には、甘えも妥協も一切なかった。
リナはグラスに残っていた甘く酸っぱい不透明な液体を飲み干すと、キョウカの視線を正面から受け止める。
鑑定士の仕事は、物の価値を視ることだ。依頼人が善人であろうと悪人であろうと、物に、そしてそこに刻まれた記憶に違いはない。
「面白い冗談ね。……私がいつ、清廉潔白な依頼人だけを相手にしていると思ったのかしら」
リナの唇の端に、微かな笑みが浮かぶ。
「私は鑑定士。必要なのは依頼人の素性ではなく、鑑定すべき対象に宿る『真実』だけよ。例えあなたが無法者だとしても、私が依頼を断る理由にはならないわ」
その迷いのない回答に、キョウカは満足げに薄い唇の端を吊り上げた。
「……いい面構えだ。あんたのような『プロ』は嫌いじゃない」
グラスを手に取ったキョウカは、そこに残されていた濃密な液体を一気に飲み干した。
「少しだけ『天界とのパイプ』があってな。そこから仕入れた情報――もとい、依頼だ」
キョウカの口から出た「天界とのパイプ」という言葉に、リナの思考が僅かに跳ねた。
裏ギルドの結成を企てる無法者でありながら、その一方で世界の最上層とも繋がっている。この天津キョウカという女性の底知れなさが、その一言に凝縮されていた。
「この街で起こっている異変、あんたも気づいているだろう。まあテレビでも散々、行方不明者のことが報じられてるしな」
行方不明者の急増。連日のように情報提供を呼びかける報道がなされ、しまいには特集番組まで組まれている。
この街で何も起こっていないと考える方が不自然だった。
「特に今、『上』が一番警戒してるのが『触手』のようなナニカだ。行方不明者との直接の関係は不明だが、放置できる存在じゃない」
『異形』の生物。思い起こされたのは、依頼人の老人と共に大学へ向かう途中での出来事。
軍の一斉射撃……と設定上はハリスの光の剣で討伐された肉塊。
あの時、側にいた能力者は、今月だけで三体は目撃していると漏らしていた。
「今、この街が何に巻き込まれてるのかはわからない。それぞれの異変に関係があるのか、別個の事象がただ同時多発的に絡まっているだけなのか……今回の依頼も、何と繋がっているのかまったく見当がつかない」
キョウカは深く息を吐くと、本題へと切り込んだ。
「スクルタスの地下に、巨大な水路があるのは知ってるか?」
地下水路。まだ、水を管理する魔術インフラが確立される前の遺構。地下水や川から直接水を引き入れ、各水道へと送っていた時代の名残。
ここ100年は使用されておらず、だからといって街の基盤の底に張り巡らされた巨大な空洞を破壊することもできないため、ただ放置されているだけの廃道だ。
「近頃、そこに何度も荷物が搬入されている。ちょうど、うちみたいにな」
キョウカは皮肉めいた笑みを浮かべ、自分の店へ荷物を運ぶ業者たちへと視線を向けた。
街の誰しもが存在を知りながら、あえて見ないようにしてきた空白地。人目を盗み、陰謀を育む――まさしく「無法者」たちが潜むにはうってつけの場所だった。
「スクルタスで何かを企んでいる奴がいるのは間違いない。それに、天界に動かれるのも面倒だ。そこで直接、地下水路に行ってみたんだが……」
一度言葉を区切り、キョウカは不機嫌そうに喉を鳴らした。
「『封印<ロック>』が掛かっていてな。肝心の秘密へは辿り着けなかった」
「……封印?」
「ああ。大量の荷物を運んでおきながら、水路の途中には何も残されていなかった。私が把握した物資だけでも、かなりの体積になるはずだ。そんな物をまとめて隠せるとしたら、最奥の『貯水槽』しかない。そう踏んで奥へ進んだんだが、その前に鉄製の開閉門があってな。その扉に封印が掛けられていた」
キョウカはカウンターを指先で弾き、リナを真っ直ぐに見据えた。
「だからあんたの出番だ、鑑定士。その『封印』を読み解いて、こじ開けるのを手伝って欲しい。地下で蠢いている奴を、引きずり出すためにな」
キョウカからの依頼に、リナは手袋を力強く締めた。
地下水路へひっそりと運び込まれる物資。それが人々の失踪や、『異形』の触手。そして『忘苦天魔』に繋がるのかはわからない。
だがそこには間違いなく、スクルタスの平穏を飲み込もうとする深い闇が横たわっている。
「……いいわ。その封印、私が『鑑定』してみせる」
開かずの扉の向こう側に、一体何が眠っているのか。
鑑定士として、スクルタスの平穏を守るために見定めなければならない。
オレンジジュース
メッシスで採れた柑橘を
そのまま搾って得た果汁
強い酸味と甘み
そして先が見えない濃密さ
人の生きる道も同じであろう




