5話「蠢くモノ」
能力制御器
手軽に身につけられるアクセサリー
着用者の能力を封じる力を持つ
着けるも着けぬも自由である
だが、文明人であるなら
自制心を持つべきだろう
その力の由来は
かつて天から降り注いだ鎖であるという
スクルタス第五地区――学問と研究の地。そこには、大学や各企業の最先端研究施設が立ち並んでいる。
「聖血の福音」の紙片が保管されていた大学も、そこにあった。
第五地区へと向かっていたバスの車内は、突然の急ブレーキによってパニックに陥っていた。
リナは咄嗟に前の座席を掴んで身を支えると、すぐさま窓の外へ視線を走らせる。
視界の先に広がっていたのは、赤色灯を明滅させる警察車両。
だが、それだけではない。重厚な装甲を纏った軍の大型車両までもが、全車線を塞ぐように立ち塞がり、全身を重装備で固めた兵士たちが、殺気立った眼差しで銃口を周囲へ向けていた。
警察官の一人が、運転席の窓を激しく叩き、運転手に何かをまくしたてる。恐怖に顔を青ざめさせた運転手は、震える手で車内マイクのスイッチを入れた。
『お客様にご案内いたします。ただいまこの先で、正体不明の生物が出現しているとの情報が入りました。当局による安全確認が完了するまで、本車両はこの場に待機、あるいは迂回を――』
放送が言い切らぬうちに、遠くから空気を引き裂くような、金属的な機械音でありながら、おぞましい獣の咆哮を思わせる不穏な音が響いた。
「まさか、こんなことに巻き込まれるとは……」
老人が不安げに紙片を抱え直す傍らで、リナはすでに立ち上がっていた。
脳裏に、先ほど自分自身が語った「スペック差」という言葉が鋭利な刃物のように突き刺さる。
「危ない、お嬢さん! 出てはいけない!」
「待ちなさい、外は危険だ!」
老人と運転手の制止する声を背中で受けながら、迷うことなくドアをこじ開けるようにして外へ飛び出す。
路上は立ち往生し、身動きの取れなくなった車両の群れで完全に埋め尽くされていた。
リナはその隙間を見定めると、流れるような動きで車間を掻い潜っていく。
警察官と兵士たちが、制止しようと手を伸ばす。
しかし彼女は軽く肩を入れ替え、地面を蹴り、掴みかからんとする彼らを置き去りにしていった。
「チッ、また能力者か……!」
舌打ちとともに漏れ出た苦々しい声が、背後で響いた。
◆ ◇
検問のラインを越えた先には、数人の人影が見えた。
そして、一歩一歩と近づくにつれ、体の奥底――あるいは魂の内側から伝わる振動が強まっていく。
(……『共鳴』)
能力者のみに与えられた、互いの存在を察知する感覚。
集まっていたのは、リナと同様に好奇心や使命感に駆られた能力者たち。
そんな彼らが遠巻きに取り囲む中心。濡れたアスファルトの路上を這うようにして、のたうつ「ナニカ」がいた。
それは生物と呼ぶにはあまりに『異形』だった。軟体生物のような嫌なヌメリを帯びた皮膚が、這いずるたびに気味の悪い摩擦音を立てる。蠢く数本の触手には眸すらなく、ただ自らの粘液を擦り付けるようにゆっくりと進んでいた。
『ソレ』を取り囲む軍の部隊は、揃って引き締まった表情で銃口を向けていた。照準はすでに合わされ、指先一つで発砲できる――はずだった。
しかし、なぜか彼らが引き金を引くような気配はない。
「……またあんなのか。今月だけで3体は見たぞ」
リナのすぐ隣に立っていたスーツ姿の男が、吐き捨てるように呟いた。彼の首元には、能力制御器が鈍く光っていた。
(3体目……? そんなに顕れてるの!?)
左手の革手袋に手をかける。視覚的な情報だけではまったく足りない。あの触手が何なのか。その正体を読み取らなければならないという衝動が、自身を突き動かす。
まずは触れなければ……鑑定のために足を踏み出そうとした――
「やめとけ、嬢ちゃん。今、あの“パフォーマンス”の邪魔をしたら、あの男にどんだけ怒られるか分かったもんじゃないぞ」
しかしその瞬間、男の手がリナの肩を軽く叩いて制した。男は苦々しい顔のまま、顎で軍隊の包囲網の後方をしゃくってみせる。
そこには、戦場の最前線にはおよそ不釣り合いな狂騒があった。横づけされた数台の大型車。それらから降りてくる、大量のテレビカメラや集音マイクを持った記者たち。
そして、その報道陣の輪の中心で、完璧に整えられた笑みを浮かべる黄金色の髪の男。
「皆さん、ご覧ください! この素晴らしき街の平和を脅かす、正体不明の脅威……それに対し、この街を真に平和に導く者が誰なのかを!」
まるで劇の主演俳優のような足取りで、軍隊の包囲網を堂々と割って入ってくる一人の男。彼は未知の『異形』を前にしながら、恐れる素振りすら見せず、レンズの向こうに広がる群衆へ向け、力強く朗々と声を張り上げた。
「ウィリアム・ハリス……」
リナは冷ややかな視線を彼へと向けた。
彼は目の前の脅威すらも、自らの支持率を跳ね上げるための政治的宣伝材料<パフォーマンス>として利用しようとしている。
ハリスは、オーケストラの指揮棒を振るかのように、傲慢に片手を高く掲げる。カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、周囲の空気には一気に異様な熱が帯び始めた。
「――射撃開始!」
号令が響いたと同時に、無慈悲な銃声が鳴り響いた。軍隊が一斉に放った無数の弾丸が、吸い込まれるように異形の肉塊へと撃ち込まれていく。
「今の市長のように、安全な場所で報告を待つだけの輩はクソです! 市長だからこそ、すべては現場から始まらねばならない! 私にはこの街の痛みを、皆さんと共に分かち合う覚悟がある!」
降り注ぐ銃弾の嵐を背景に、ハリスはカメラに向かって叫んだ。その声は銃声に掻き消されることなく、むしろその暴力性は壮大な演出のひとつへと変貌していた。
弾丸を浴び続けた触手は、まともな抵抗すらできぬまま無残に弾け飛んでいく。
リナの瞳には、その生き物から急速に生命の輝きが失われていくのが見えた。
(今、消える……)
リナが『異形』の死を確信した――その瞬間。
「これがトドメだ! 怪物め、我が街から消え去るがいい!」
ハリスの掌に眩い光が収束し、一本の「剣」が形を成す。彼はそれを高く掲げると、力強く怪物へと投擲した。
光の尾を引きながら飛翔した剣は、『異形』の中心を貫く。直後、ソレはこと切れたように完全に動きを止めた。
勇敢なる指導者ウィリアム・ハリスが、自らの手で怪物を打ち倒し、街を救ってみせた――
群衆の目には、彼が英雄として焼き付けられたことだろう。銃撃のみで仕留められていたという事実に、気づくこともなく。
――ハリス! ハリス! ハリス!
地鳴りのような熱狂的なハリスコールが、周囲を取り囲む人々から沸き起こる。
その渦の中心で、ハリスは満足そうに口元を歪め、“英雄の笑み”を浮かべていた。
「皮肉な話だよな。能力者を優遇する奴が、非能力者向けに安っぽいパフォーマンスをして、“俺たち”にはそのタネがバレバレなんだから」
先ほどリナを制止したスーツ姿の男が、肩をすくめて吐き捨てた。
ハリスへ冷ややかな視線を向けていたのは、リナだけではなかった。周囲にいた他の能力者たちも、ハリスが放った「光の剣」が決定打などではなく、それどころか視覚的に派手に仕立て上げられた「着色された魔力の塊」に過ぎないことを見抜いていたのだった。
「でも別によくない? うちらはあいつが当選すれば恩恵を受けれるし。あの人たち……非能力者の人たちも、ああやってヒーローごっこを見て楽しめてるんだからさ。Win-Winじゃん」
すぐ近くにいた派手な髪色のギャル能力者が、端末機器の画面を操作しながら、気だるげに話した。
その二人の会話を耳にしたリナは、言いようのない胸のつかえを感じた。
能力者という力を盾に、真実を巧みに隠蔽して民衆の感情を煽るハリス。そして、自らの利権のために、その歪んだ構図を黙認する能力者たち。
そこには、あの老人のような高潔な理念は微塵も存在していなかった。
「この街に蔓延る不透明な脅威を払拭できるのは、選ばれし力を持つ我々だけです!」
大量のカメラに向けて、ハリスはさらに堂々と声を張り上げた。
リナは、老人のカバンの中にある『聖血の福音』の断片を思い出し、その存在の危うさを改めて噛み締めた。
もしあの紙片が、今まさに民衆の心を掴みつつあるこの男の手に渡ることがあれば――
「……帰りましょう」
リナはぽつりと呟くと、騒乱の渦から逃れるように背を向けた。
◇ ◆
――13紀 2114年 澄光の月 20日
回顧録の店内に漂う使い込まれた調度品と珈琲の香りは、いつも通りの穏やかな時間を静かに紡ぎ出している。
しかし、ブラウン管のテレビから響く威勢のいい声が、その空気に冷や水を浴びせていた。
リナは珍しくカウンター席に腰を下ろすと、上機嫌に足を揺らしていた。
あの後、老人はリナと共に無事に大学へ到着し、『聖血の福音』の紙片をしかるべき研究機関へと引き渡した。
それがこの世界にとって真に正解であったのかは分からないが、老人は救われたような表情を浮かべていた。
そして今日、彼女の手元には、その「正当な対価」が届いた。
「ふふん……ねえ、マスター」
手袋をはめた指で、カウンターの上の報酬目録の紙面をトントンと叩く。
老人の家系は相当な資産家だったのか、あるいは歴史の真実を守ったことへの感謝の表れか。提示された金額は、リナ独自の基準で換算すれば――
「今回の報酬、計算したらこの店のショートケーキ約1000個分でした。鑑定士としての私の市場価値、また上がっちゃったかもしれませんね」
リナは少しだけ胸を張り、得意満面な笑みをマスターに向けた。
「というわけで、マスター! 今日は景気よく、一番いいケーキをお願いします!」
「景気よく、ケーキ……ですね」
一瞬、少し早い冬が来たのかと思ったが、気のせいだろう。
『ハリス氏、先日の怪物討伐、実に見事でした! 市民の間では、あなたを次期市長に推す声が一段と高まっています!』
「英雄劇」を演じたハリスは、さっそく世論を味方につけていた。
画面の中の記者が興奮気味にマイクを向けると、ハリスは謙遜するように片手を振り、カメラ目線で爽やかな笑みを浮かべる。
『いえ! 私は一人の能力者として、この街を守るために当たり前のことをしたまでです。力を持つ者が持たざる者を守る……それこそが自然の摂理なのですから』
カメラ越しに響くその力強い言葉の端々には、『聖血の福音』と同質の傲慢な選民思想が透けて見えた。
『ではハリス氏、現在スクルタスで急増している行方不明事件についてはどのようにお考えですか?』
記者の問いに、ハリスは一転して表情を険しくし、悲痛な面持ちで頷いた。
『当然、これはゆゆしき事態です。罪なき市民がこれほど姿を消しているというのに、今の市政はあまりに後手に回っている! 彼らは現場の痛みを知らないのです』
彼は一度言葉を切り、演説のクライマックスのように力強く拳を握りしめた。
『私が市長に就任した暁には、この事件への警察、および軍の動員数を現在の10倍にします! 徹底した管理体制と事件の早期解決……それこそが、皆さんが安心して眠れる夜を取り戻す唯一の手段なのです!』
画面越しでも伝わるその圧倒的な熱量。
リナは思わず眉をひそめた。
歴史の闇に葬られるはずだった選民思想の原典と、現在進行形でその思想を正義の顔をして体現しようとする男。そして、街で増え続ける行方不明者。
それらの点と点が、見えない大きな渦となってこの街を飲み込もうとしている。
そんな奇妙な胸騒ぎがリナを襲った。
「お待たせしました。1000分の一個目の、ショートケーキです」
マスターが静かに差し出した白磁の皿。淡い色のスポンジと真っ白な生クリーム。そして、それらすべてが、主役である深紅のイチゴを際立たせる。
街に潜む『忘苦天魔』。突如として顕れた『異形』。そしてハリスの不気味な笑み。
しかしリナは首を大きく横に振ると、今だけは目の前にある甘い報酬のことで頭をいっぱいにすると決めたのだった。
品格ある老人の鑑定結果
鑑定士リナが視た
依頼人の追憶
彼の祖父が大学から持ち去った原本
だが彼はそれを大学に戻すべきだという
「隠匿や独占こそが、差別や歪みを生む」
リナはその瞳に、非能力者の高潔な覚悟を見た




