4話「能力者至上主義」
『……我ら能力者は、神に選ばれ、特別な力を授かって産声を上げた。この事実に疑いの余地はない。
我らの肉体を見れば、その優位性は明らかだ。能力の性質が何であれ、我らは生まれながらにして、能力を持たぬ者たちよりも遥かに頑強な体を持っている。彼らとは生命としての“格”が違うのだ。
魔力の差も決定的だ。能力を持たぬ者が抱える、塵のような微々たる魔力とはわけが違う。我らの内には、世界を動かし、変革させるほどの強大な魔力が宿っている。
以上の事実が示す結論は、議論の余地なく自明である。我々能力者は、非能力者という劣等種を導き、支配するために存在する、次元を異にした“高位の存在”である。この血脈に刻まれた絶対的な序列を否定することは、世界の真理そのものを冒涜することに他ならない。』
――カール・マクシミリアン・ヴォルフ著『聖血の福音』第IV章「存在の階梯」より
◆ ◇ ◇
――13紀 2114年 澄光の月 16日
「回顧録」の店内には、使い込まれた調度品が放つ落ち着いた香りと、微かなコーヒーの匂いが満ちていた。
隅のテーブル席で、リナは手持ち無沙汰に古いブラウン管のテレビを眺めている。
約束の時間は近いが、まだ依頼人らしき客の姿は見えない。
画面の向こうでは、『天界』の最新トレンドを伝える賑やかな声が響いていた。
『――はい、というわけで今、私は天界の“ペルフェクティオ”で大流行中のスイーツ店に来ています!』
華やかな衣装に身を包んだレポーターが、満面の笑みでマイクに向かって声を弾ませていた。
『ここではなんと、地上の“メッシス”で収穫された果物がふんだんに使われたフルーツケーキが食べられるんです。天界の繊細な技術と、地上の力強い大地の恵みが合わさった絶品スイーツ、さっそくいただいてみたいと思います!』
映し出されたのは、煌びやかなテラス席と、見たこともないほど色鮮やかに彩られた一皿。
リナは指先で目の前のコーヒーカップを弄りながら、その画面をぼんやりと見つめていた。
「地上の果物、ね……」
天界で巻き起こる流行。
それは今の彼女にとっては、どこか遠い世界の出来事のように響いた。
――カラン。
入店を知らせる乾いた鐘の音が店内に響く。
リナがテレビから視線を外して入り口へ顔を向けると、重厚な木製のドアがゆっくりと開かれようとしているところだった。
逆光の中に現れたのは、一人の老人。仕立ての良い三つ揃いのスーツを纏い、手には艶やかに磨かれたステッキを携えている。白髪は整然となでつけられ、その立ち居振る舞いからは、長年積み重ねてきたであろう品格と深みが滲み出ていた。
老人は入り口で一度足を止めると、懐かしむような優しい眼差しで店内の様子をゆっくりと見渡す。そして、リナと目が合うと、そっと帽子に手をかけ、軽く会釈した。
「失礼。……ここが、失われた時を綴る場所だと聞いてきたのだが」
その洗練された物腰に、リナの背筋は自然と伸びた。席を立ち、鑑定士としての冷静さは保ちつつも、客の領域へ踏み込みすぎない絶妙な営業スマイルを口元に宿して彼を迎え入れる。
「ところで、お嬢さん。甘いものはお好きですかな?」
唐突に、メニューが差し出されるよりも早く投げかけられた問いに、一瞬だけ思考が停止した。
鑑定士として客を観察しようとしていた矢先に、逆にこちらの内面を覗かれたような感覚に陥り、わずかに肩が跳ねる。
「え、あ……は、はい。大好きです、けど……」
不意を突かれたリナの応答は、洗練された鑑定士のものではなく、少女のような素顔を覗かせていた。
そんな動揺を、老人は目元を温かいシワで細めながら満足そうに見つめる。
「それは良かった。……マスター、私のコーヒーと、それからショートケーキを二ついただけますかな。コーヒーは濃いめでお願いしたい」
老人は、カウンターの奥で静かに控えていたマスターへ注文を告げた。
リナが「二つ?」と不思議そうに首を傾げると、老人はステッキの先で、静かにテレビの画面を示す。
「先ほど、あちらのスイーツを随分と食い入るように眺めていらしたので。つい、お節介を焼きたくなりましてね」
己の無意識な眼差しを見抜かれていたことを知り、耳の付け根がじわじわと熱くなるのを感じた。
仕事の最中であるにもかかわらず、どれほど無防備な顔で画面を見つめていたのだろうか。
「あ……お恥ずかしいところをお見せしました」
恐縮しながら頭を下げるリナだったが、上品な茶目っ気を漂わせる老人の佇まいを前に、警戒の糸が少しずつ解けていくのを感じていた。
やがてマスターが運んできたのは、白磁の皿に映える真っ赤なイチゴのショートケーキ。
リナはフォークを手に、一口ごとに広がる甘さに内心で頬を緩ませた。
その隣で老人は、注文通りに淹れられた濃いめのコーヒーを、香りを慈しむようにゆっくりと口に運ぶ。
贅沢で穏やかな午後のひととき。
しかし、老人がカップをソーサーへと戻したとき、場の空気がわずかに引き締まった。
「……さて。お嬢さん。寄り道に付き合わせてしまいましたが、そろそろ本題に入らせていただきましょうか」
老人は足元に置いていた革製のカバンを引き寄せると、中から一つの包みを取り出した。それは古びた布によって幾重にも丁寧に包まれており、それを扱う老人の手つきは、まるで脆弱な宝物に触れるかのごとく慎重だった。
「今日ここへ来たのは、あるものを『鑑定』してほしいと思いましてね……」
テーブルの上に広げられた布の中から現れたのは、一枚の古びた紙片。
それは、どこかの重厚な書物から切り取られた、あるいは引き剥がされた「1ページ」のように見える。長き年月の経過によって、飴色に変色した紙の端々はボロボロに欠けていたが、そこに記された文字や紋様は、奇妙な生々しさを保ってそこに存在していた。
リナはフォークを置き、革手袋をはめた自分の左手に指をかける。
「これは……?」
リナの低く抑えた問いかけに対し、老人は深く刻まれた眉間の皺をさらに一層深くして、紙片の正面を彼女のほうへと向ける。
紙の表面に書かれた文字たちには、時代がかった、それでいて一筆一筆に隠しきれぬ傲慢な力強さが宿っていた。
リナはその恐ろしい文面を心の中でなぞっていく。
「格」「劣等種」「高位の存在」――。
指先は微かに震えていた。それは恐怖というよりも、文字の背後に潜む底知れない選民思想への忌避感であった。
「『聖血の福音』……」
かつて能力者による支配を正当化しようとした過激な思想家たちのバイブル。
リナの様子をじっと見守っていた老人は、重苦しく息を吐き、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「私の祖父は大学で、社会学の教授をしていましてな。主に能力者と社会の関わりについて研究していたそうです。……そして、これはどうやら祖父が、研究の過程でひっそりと持ち出したもののようなのです」
老人は一度視線を落とし、飲みかけの濃いコーヒーの水面を見つめる。それから意を決したように、真剣な眼差しをリナへと向け直した。
「もしもこれが『原本』であれば、とんでもないことです。祖父は歴史的書物を盗んだ罪人ということになるのですから」
老人の言葉に、店内の空気が一層重さを増した。
リナは左手の革手袋を外しつつ、真っ直ぐに老人の瞳を射抜く。
「鑑定を始める前に、一つ伺わせてください」
その声からは、先ほどまでの柔らかさは消え失せ、冷徹なまでの客観性を備えた、一人の鑑定士としての響きを帯びていた。
「もし、これが本物……つまり、ヴォルフ本人の手により書かれた原本の一部だったとして。あなたはこれをどうするおつもりですか?」
リナの問いに対し、老人は穏やかに、しかし深い憂いを含んだ表情で彼女を見つめ返した。
「それは、鑑定士としての職業倫理というやつですかな?」
「いいえ。……単なる私の、個人的な危惧です」
リナは、テーブルの上の紙片へと横目を滑らせた。
かつて非能力者を「劣等種」と断じ、能力者による支配を正義と謳った狂信的な思想。
その毒は変容しながらも、現代まで確実に受け継がれ、世界を“穢し”続けている。
もしこの紙片が、失われた『聖典』の復活の引き金として利用されれば、この世界の平穏は一瞬で瓦解する。
「この紙に宿る意思は、あまりに強い。ひょっとすれば、世界そのものの在り方を塗り替えてしまいかねない。……それを鑑定する以上、私はその行く末に責任を持たなければなりません」
リナの言葉が、静かに店内の空気に溶けていく。
老人はコーヒーの最後の一口を飲み干すと、カップを静かに置いた。そして背筋を正し、覚悟を定めた瞳で正面を見据えた。
「私は、これを大学に戻すべきだと考えています」
それは、揺るぎない信念の籠もった声だった。
「祖父がどんな思いでこれを持ち去ったのか、今となってはわかりません。ですが、歴史的資料というものは、一部の人間が独占するのではなく、広く公に、皆に開かれているべきだと思うのです」
彼は自嘲気味に口角を上げ、手元の空のコーヒーカップを凝視した。
「私も祖父も非能力者です。私たちにとって、この書に記されていることは、都合がよくないことでしょう。実際、あなた方能力者と、私たち非能力者の間には、異能を抜きにしても明確なスペックの差がある……それは紛れもない事実です」
老人は言葉を区切り、深く息を吸い込むと、強い光を宿したような眼差しでリナを見つめた。
「それでも……より良い社会を築くためには! こうした負の歴史も含めた資料も、誰もが等しく調べられる状態に置かれていなければならないのです! 隠匿や独占こそが、新たな差別や歪みを生む。私はそう思うのです」
老人の言葉には、非能力者としての誇りと、文明と歴史を愛する者の高潔さが宿っていた。
「……分かりました。その覚悟、しかと受け取りました」
リナは短く答えると、迷いなく露わになった左手を古びた紙片へと伸ばした。
「『鑑定』を開始します」
リナの指先が、飴色の紙面に触れる。
直後、彼女の瞳に映っていた店内の穏やかな景色は一変し、セピア色の過去へと沈んでいった。
◇ ◆ ◇
――13紀 1541年 灼陽の月 6日
うす暗い部屋。空気は重く淀み、鼻を突くような古い紙とインクの匂いが漂っている。
部屋を照らしているのは、魔法による煌びやかな光源ではない。机の端で、頼りなく揺らめく数本のろうそくの火。その微かな明かりが、壁に長い影を落としている。
しんと静まり返った闇の中で、唯一、紙を擦る硬いペン先の音だけが、執拗に響く。
そこに、一人の男がいた。
猫背気味に机にかじりつき、何かに取り憑かれたような手つきで羽ペンを走らせる。その瞳には、理想と狂信が入り混じった異様な熱が宿っていた。
「……そうだ。これこそが、世界の真理。神が定めた、絶対的な階梯なのだ……」
男が呟くたびに、ろうそくの火が大きく揺れる。
リナはその男の背中越しに、狂気が紙面に定着していく瞬間を肌で感じていた。
文字の一つ一つに込められた、非能力者への底冷えするような蔑視と、己の血脈に対する傲慢なまでの自負。
それは学問的な考察とは到底言えなかった。ただ己の内側に煮え滾る選民思想を、言葉という形に変えて吐き出しているだけ。
そしてそれは、彼の意に共感した者たちにより、数百年の時を経てもなお、世界を侵食しようとする、呪いのような熱となったのだ。
意識の底から這い上がるように、ゆっくりと指先を紙面から離す。
肌に触れていた狂熱が引き、喫茶店の静かな空気が戻ってくる。
しかし、耳にはまだ、あの男が振るっていた羽ペンの残響がこびりついているようだった。
「……本物、です」
低く、どこか湿り気を帯びた声とともに、リナは震える手をごまかすように脱ぎ捨てた革手袋を再び手に取る。
「間違いありません。あの時代の空気、そして執筆者の……ヴォルフ本人のどす黒いほどの自尊心が刻まれています。これは紛れもなく『聖血の福音』の原本の断片です」
そう言いながら、リナはテーブルの上の紙片を、まるで毒蛇でも見るかのような冷ややかな目で見つめた。
鑑定を通じて流れ込んできたのは、能力を持たぬ者を「劣等種」と断じ、自らを「高位の存在」と疑わない歪みきった選民思想。
それは、リナが大切に思っているこの店の穏やかな時間も、隣に座る老人の高潔な精神も、すべてを否定し踏みにじる理屈だった。
「……反吐が出ます」
思わず漏れ出た言葉は、自分でも驚くほど鋭い拒絶が宿っていた。
リナは手袋をはめ直し、きつく握りしめる。
「やはり……本物でしたか……」
老人は報告を聞き、深く、重いため息をついた。その表情には、予感が的中したことへの落胆と、それ以上に強い決意が混ざり合っているようだった。
「鑑定士さん、最後にもう一つ、我儘な頼みを聞いてもらえませんかな」
老人はゆっくりと椅子から立ち上がると、リナの目を真っ直ぐに見据えた。
「今からこれを大学に持っていき、元々保管されていたところへ返そうと思います。……ですが、この紙に宿る熱は、私一人の手に負えるものではないようだ。道中、もし私が良からぬ考えに囚われそうになったなら、止めていただきたい」
老人は自嘲気味に微笑みながら続けた。
「……分かりました。その書が正しく歴史に刻まれるまで、見届けさせていただきます」
リナがそう告げると、老人は安堵したように深く頭を下げた。
二人は、まだ食べ終えたばかりのケーキの甘い香りが残る店を後にし、夕暮れに染まり始めたスクルタスの街へと踏み出した。
◇ ◇ ◆
エンジンの低音が重く響く中、二人は大学へと向かうバスの最後尾に並んで座る。
リナの視線は、吊り革に掴まっている一人の青年に向いていた。彼の手首には、能力者の力を封じるブレスレット型の「制御器」が鈍く光る。
「能力者と非能力者。確かに、肉体や魔力のスペックには差があるのかもしれません。でも、それだけで『格』まで決まるわけじゃない。力を持った者が、力を持たぬ者たちを統治できる才を持っているとは限りません。身体の強さや能力というのは、人の持つ『性質』のほんの一部に過ぎないはずなんです。……私たちは、互いの欠けた部分を埋め合うために、異なる特性を持っているのだと、私は思いたいのです」
真っ直ぐな信念を宿した声が、走行音の交じる車内に深く染み込んでいく。
老人はリナの言葉を、深く慈しむような沈黙で受け止めていた。まるで、長い人生の迷宮を彷徨った末に、探し求めていた扉の鍵を手渡されたかのような晴れやかな表情だった。
「ありがとう、鑑定士さん。おかげで、やっと長い迷路から抜け出せたような気がします――」
老人が安堵の笑みを浮かべ、感謝を告げかけようとした――その瞬間だった。
――キィィィ!!!
車内を切り裂いたのは、鼓膜を刺すような摩擦音。
「おっと……!」
「きゃっ……!」
次の瞬間、車体が激しく揺れた。吊り革が一斉に振り回され、あちこちから悲鳴が上がる。
鑑定士たちが幾世代にわたり守ってきた、スクルタスの平穏はもう長くはない。
――否。
スクルタスを覆っていた、偽りの平穏。そのメッキは今、剥がれ落ちようとしていた。




