59話「大人の仕事」
――13紀 2114年 冥結の月 17日
天界軍の駐留基地と化した喫茶店――「回顧録」の中央に佇むのは、峻厳な白い軍服に巨躯を包んだ最高司令官、御神楽サオリ。その視線の先では、険しい表情を浮かべる五人の将校たちがテーブル席を囲んでいた。
リナは、隣に並ぶレイ、ツクヨ、ショウの三人とともに、真っ直ぐな眼差しをサオリへと向ける。
「『竜の腹』への潜入を許可してください!」
リナが絞り出した決死の願い。それは、国際問題への発展を危惧し、天界軍ですら二の足を踏み続けているギャングたちの巣窟への殴り込みだった。
「リナ殿……少し疲れが溜まっているのではないか?」
しかし、サオリは眉間に皺を寄せ、重いため息とともにリナを見つめるだけだった。
彼女の前に控える将校たちも、信じられないと言わんばかりに露骨に首を横に振る。
「九条クルル捜索の次は、『竜の腹』への潜入だと……」
一度まぶたを落とし、サオリは独り言のような低い声を漏らす。
「まるで、ベスタみたいなことを……少々“バカ”の相手を任せすぎたか……なら、私の責任かもな――」
「――サオリ様、聞いてください! 『異形天魔』の正体にたどり着くには、アオイの掌の上から抜け出さないといけないんです! でも、“アクシデント”一つでは、彼の仕掛けた『罠』からは絶対に逃れられない!」
リナの悲痛な叫びが、店内の空気を激しく震わせる。
「彼が残した日記……そこに『真実』が記されているはずです。そして、それを解読できるのは、おそらく九条クルルしかいません。でも、そのクルルはいつ、どこに現れるか見当もつかない……」
サオリが口を開きかけるが、リナはその隙を与えることなく言葉を叩きつける。
「……私たちは、『天才〈キング〉』の想定を超える手札を揃えなきゃいけない……その一枚が、彼ですら制御しきれない『暴君〈ジョーカー〉』なんです!」
リナの訴えに、サオリは胸の奥から絞り出すようなため息をつき、眉間に刻まれた皺をなぞった。
「……リナ殿の考えは分かった。確かに、その通りだろう……いつかは、対処しなければならない問題だしな」
サオリはゆっくりと目をつぶり、わずかに顎を上げた――
「――だが! 三人の同行は認められん!」
最高司令官の射抜くような眼光が、三人の子供たちへと容赦なく向けられた。
「“あそこ”は法も秩序も届かない、暴力と欲望が渦巻く混沌だ! そのような死地へ“子供”を送ることなど、到底許可できるはずがない……これは、規律以前の問題だ!」
将校たちが、威圧的な沈黙をもってその言葉を強く肯定する。
サオリはリナを真っ向から見据え、一歩も引かぬ決意を込めて告げた。
「リナ殿、貴殿がどれほど彼らを信頼していようと、ひとりの“大人”として、この一点だけは断固として拒絶させてもらう――」
「――死地だなんて、そんなのわかってる!」
ツクヨの鋭い叫びが、サオリの声を真っ向から切り裂いた。
「確かに、私たちはアオ兄に守られっぱなしだった! でも、私たちだってずっと特訓してきた……アオ兄がいなくなって、ハルカがシズカを狙ってる時に、黙って指をくわえてろなんて……そんなの、死ぬより御免だ!」
覚悟を爆発させた少女の隣で、ショウが静かに、しかし燃え盛る闘志を瞳に宿して一歩前に出た。
「認めたくはないけど……ハルカは、僕たちの『姉』です。だから『弟』の僕たちが逃げることは出来ないんです」
彼の声は低く、落ち着いていた。だが同時に、その身体からは、微かに白い蒸気が揺らめき、周囲へ熱を伝えていた。
そして、ふたりの背中を見つめていたレイが、静かに口を開く。
「何を言われたって、この子たちは『竜の腹』へ行く。なら、あんたたちがすべきなのは、私たちが安全にハルカのもとへ行けるように『戦力』を貸すことだと思うけど」
レイの言葉は、「子供を守る義務」という理屈を逆手に取り、明確に“大人”たちを脅していた。
「サオリ様。ハルカの腕を切断したのはこの子たちです。彼らは、ただ庇護されるだけの存在じゃない。自ら戦う術を持った『戦力』なんです!」
将校たちに、隠しきれない驚愕と戦慄が走った。三人の子供たちから立ち昇る魔力は、歴戦の兵である彼らと比肩するか、あるいはそれを凌駕するほどの圧倒的な密度を誇っていた――
「――『戦力』になれるだと……!?」
しかし、次の瞬間、店内を満たしていた魔力は、一人の存在が放つ圧倒的な「重圧」に塗り替えられた。棚に並ぶ食器がガタガタと悲鳴を上げ、大地が恐怖に震える。
「今からお前たちが相手にしようとしているのは、“この私”ですら手を焼く場所だぞ……!」
地鳴りのように響くサオリの声。彼女が普段、厳重に抑え込んでいる規格外の魔力が、今や目に見える物理的な圧力となって店内を押し潰す。
嫌が応でも理解させられる。生物としての『格』が違いすぎるのだ、と。
将校たちは顔を蒼白にし、その場に倒れ伏しそうになるのを必死で耐えていた。
「お前たち如きが、『戦力』になれるわけがないだろう!」
その一喝は、震える膝を必死で支えていた“子供”たちの覚悟を真っ向から叩き潰した。
「……君たちを『竜の腹』に行かせるつもりはない。傷つき、泥を啜り、命を削るのは、我々の役目だ。君たちはまだ、その順番ではない」
荒れ狂っていた魔力が、まるで幻であったかのように静まり返る。だが、その後に残されたのは、服従を強いる圧よりもさらに重い、逃げ場のない正論という名の静寂だった。
「危険なことは我々“大人”に任せて、君たちは今まで通り暮らしていればいい……それが、アオイくんが最も望んでいることではないのか?」
一分の隙もない最高司令官の言葉に、店内の空気は完全に冷え切っていた。
(……間違えていたのは、私だ)
リナは、隣で肩を小さく震わせる三人の子供たちへ視線を向けた。
彼らは、確かに強い。けれど、その「強さ」の尺度は、非力な自分自身でしかなかった。私より強いから――そんな短絡的な理由で、サオリやベスタといった世界の頂に立つ『怪物』たちと、この幼い子供たちを同列に並べて考えてしまった……
「……すいません、サオリ様」
リナの声は、先ほどまでの威勢を完全に失い、微かに掠れていた。「鑑定士」として、人や物の本質を見抜く仕事をしておきながら、最も近くにいた子供たちの「危うさ」を見誤っていた。
「……私の判断ミスでした。彼らを連れて行くという提案は、撤回します」
リナの謝罪に、サオリは一度小さく頷いた。そして、子供たちへ向けて厳格な視線を向ける。
その威圧的な眼光に、ツクヨはまだ溢れる感情を口にしようと奥歯を強く噛みしめていた。だが、レイとショウにそっと腕を引かれ、納得のいかない表情を残したまま店の外へ連れられていく。
カランとドアベルが鳴り、重厚な扉が閉まる。回顧録に残ったのは、リナと天界軍の首脳たち、そしていつも通り穏やかにカップを磨くマスターだけだった。
◆
「よし……では、大人の仕事を始めるとするか」
サオリは気分を切り替えるように、軍服の襟を正す。そして、意見を求めるように居並ぶ将校たちへ視線を投げかけた。
「『竜の腹』は、指定危険区域です。調査のための承認を得るだけでも、半年以上かかります」
「そもそも、あそこには多国籍の犯罪組織が深く根を張っています。下手につつけば、どのような連鎖反応が起こるか……」
「これまで、何度も申請を撥ねられているのが現状です」
将校たちの口から漏れ出る言葉は、一つひとつが正論であり、同時に絶望的なまでの停滞を突きつけていた。
部下たちの言葉を受け、サオリはしばし沈黙し、深く目を閉じる。
「……やはり、“正規”の軍は使えんか」
数秒の重苦しい静寂の後、サオリは絞り出すようにその一言を落とした。そして、腕時計に目を落とし、再び将校たちへ問いを投げかける。
「今日の正午に、『オーガスタス卿』が挨拶に来るはずだったな」
「はい……先ほど、『シギルム』を出発したと報告が入っております。予定通り、三時間後には到着するかと」
オーガスタス卿――まったく聞き覚えのない名ではあるが、天界軍の最高司令官がわざわざ“卿”と敬称をつけて呼ぶ存在だ。間違いなく、天界の重鎮であろう。
「分かった……それまでに、細部を詰めよう。“彼”の説得は私がする」
サオリは瞳の奥にどこか不敵な光を宿すと、傍らに控える将校の一人へと視線を向けた。
「そういえば……貴様の部隊に四人ほど、任務中の“喫煙”で謹慎を受けている奴らがいたよな?」
唐突な部下の不祥事への言及に、将校は一瞬、面食らったように言葉を詰まらせる。
「ええ、確かに……まさか、司令官! 彼らを使うつもりで……!?」
サオリの意図を察した将校は、狼狽を隠しきれない様子で言葉を紡いだ。
「ああ、謹慎中なら『正規の軍』にはならんだろう」
サオリは、わずかに口角を上げて言い放った。その言葉の真意を、リナは瞬時に悟る。
軍の看板を外された兵士たち。彼らが、万が一『竜の腹』で問題を起こしたとしても、天界軍の組織的な関与は完全に否定できる。すなわち、都合よく切り捨て可能な、ルールの外側で動かせる駒……
「その四人を、オーガスタス卿の到着に合わせてここに招集しろ」
サオリの冷徹な決断により、事態は「正義の行進」から、裏社会の流儀に則った「非公式の強襲」へと、その色を急速に塗り替えようとしていた。
「さて、三時間で潜入の具体的な手立てを考えるとしよう。まずは資料を……」
サオリの声が店内に響き渡り、作戦会議の開始が告げられる。
だが、そこに期待された軍隊の機敏さはなかった。テーブルを囲む将校たちは一斉に視線を泳がせ、まるで石像と化したかのように身をすくめて動こうとしない。
「……どうした? はやく資料を出せ」
「い、いえ……その、サオリ様……」
サオリの眉間に、険しい皺が刻み込まれ始める。重苦しい沈黙が店内を圧迫する中、将校の一人が冷や汗を流しながら、消え入りそうな声を絞り出す。
「今回の目標はあくまで『異形天魔』と伺っておりましたので……『竜の腹』に関する資料を携行しておりません――!」
「――このバカ者共がっ!!」
激昂した一喝が空気を震わせると同時に、サオリの掌が鋭く空を裂く。
――バチンッ! バチンッ! バチンッ……!
乾いた打撃音が、立て続けに響き渡った。将校たちの頬を、容赦のない強烈なビンタが襲ったのだ。精鋭であるはずの男たちが、その一撃にたじろぎ、言葉を失う。
「もし目標が『竜の腹』に潜伏していたら、どうするつもりだったのだ! 指をくわえて見逃す気か!」
「「「申し訳ありません!」」」
将校たちは直立不動の姿勢をとり、喉が裂けんばかりの声で謝罪を繰り返した。
あらゆる可能性を想定し、万全の準備を整えて臨む――それが、戦地に赴く者の最低限の嗜みだ。
怠慢を見せた部下たちの失態を、どう挽回すのか。リナはまっすぐな眼差しをサオリへと向け、問いを投げかける。
「……それで、サオリ様はどんな資料をお持ちなんですか――」
「――さて……誰も詳細を知らぬとなると、作戦の立てようがないな。……実に困ったことだ」
しかし、サオリはリナの目を見ることなく、すっと窓の外の景色へと視線を逃がした。
「……あの、サオリさん?」
「リナ殿。時間は限られている。資料がないのなら、ないなりにベストを尽くすしかない……そうだろう?」
先ほどまで魅せていた、子供たちを戦場から遠ざけようとする凛々しい優しさと、軍規のギリギリを攻める不敵なカリスマ性は、一体どこへ吹き飛んでしまったのだろうか。
たった一瞬の間に、胸中での最高司令官に対する評価……「サオリ株」は、天井知らずの急騰から一気に暴落していた――
「――父さん! 待って、まだ万全じゃないんだから!」
「――悠長なこと言ってられるか! リナさんが『竜の腹』に行くんだろ!」
店の外から、言い争う声と慌ただしい足音が響いた。それと同時に、身体の奥底――あるいは魂の内側から響いてくるような振動が伝わってくる。
(『共鳴』……? 能力者は一人……)
リナと同様に異変を察知したサオリや将校たちが、一斉に店の入り口へ鋭い視線を向ける。
――カランッ!
蹴破られるような勢いで扉が開け放たれた。差し込む逆光の中に、二つの人影がくっきりと浮かび上がる。
片方は、ここ三日間、毎日、顔を合わせてきたスクルタス孤児院の職員、斎藤ヒカル。今朝も『竜の腹』へ潜入することを伝えるために言葉を交わしたばかりだった。
そしてもう一人。共鳴を引き起こしている能力者……否、能力者に変異してしまった男。ヒカルの父――斉藤ハジメ。
「リナさん! ひょっとしたら、俺が役に立てるかもしれねぇ!」
店に足を踏み入れるなり、ハジメは荒い息を吐きながら、興奮冷めやらぬ声で強く叫んだ。その腕には、年月の経過を感じさせる古びた大きな金属缶ががっしりと抱えられている。
「『竜の腹』については、多少は詳しい。10年前の話にはなるが……俺たちはあそこに突入したことがある!」
その一言が放たれた瞬間、店内の空気が引き締まった。
ハジメは抱えていた缶を、将校たちが囲むテーブルの中央へドンッと重い音を立てて叩きつける。
「これは、その時の記録だ。10年前のもんだから、そのまま使えるとは思えねぇが……だが、あの地獄を実際に這いずり回った人間の生の記録だ。きっと、参考になると思う……」
まさに今、喉から手が出るほど欲していた資料。将校の一人が、震える手を缶の中の資料へと伸ばす――
「――ただその前に、ひとつ条件がある」




