56話「非能力者の天才」
競技スポーツ
人間の極限を追求する活動
転じて、大衆向けの娯楽にもなっている
その主役は人であるため
神から力を与えられたとされる
能力者が参加することは許されない
これは差別ではない、区別だ
「――おい! てめぇら、何の用だ!?」
騒がしくも穏やかな時が流れていた「サッカースタジアム」。それを一瞬で切り裂いたのは、怒気を孕んだ一声だった。
ピッチの上でボールを追っていたハルカが足を止め、道路へと鋭い視線を向けている。姉の声に弾かれたように、アオイもまた目を向ける。視線の先、アスファルトの上に佇んでいたのは、見知った顔ぶれだった。
「また、アオイに“用”か!?」
ハルカの喉から絞り出された声には、明確な憎悪が混じっていた。
かつて、公園のトイレでアオイを囲み、『れっとうしゅ』という言葉を投げつけた子供たち……
だが、今の彼らの表情は曇天のように沈み、視線は地を這うように下を向いていた。
「いや……ただ、涼しい場所があるって聞いたから……」
一人が気まずそうにポツリと呟く。その言葉が消え入るのと同時に、彼らは耐えかねたかのように、踵を返し始めた――
「――待って!」
自分たちに背を向けかけた影を、アオイの声が引き留めた。
「……一緒に『サッカー』しない? まだ、人数が足りないんだ」
アオイはゆっくりと歩み寄ると、彼らをピッチの上へと誘った。
差し出されたその提案に、子供たちは弾かれたように足を止め、顔を上げる。しかし、その瞳を覆う陰りはなおも晴れていない。
「でも……俺たち、『能力者』だから……」
浮かない表情で、能力者の子供たちは口を開いた。
「だから……何?」
絞り出されたような重苦しい声に、アオイは不思議そうに首を傾げた。
「ただ遊ぶのに、そんなの関係ないよ!」
アオイはまっすぐに彼らを見つめながら、手を伸ばした。
「――おい、お前……本気かよ!?」
激しい足音とともに駆け寄ってきたハルカが、噛みつくような声を上げる。その瞳には、「弟」を虐げた能力者たちに対する、剥き出しの敵意が燻っていた。
だが、アオイは揺らぐことなく、ただ彼らの返事を待ち続ける。
「いいの……“俺たち”が一緒に遊んで……?」
おずおずとしたその問いかけに、アオイは大きく頷く。
能力者の子供たちは、葛藤を共有するように無言のまま互いに視線を交わしたが、やがて決意を固めたように震える手を伸ばし、アオイの手の上に自分たちの手をそっと重ね合わせた。
「……今までずっと、酷いことしてきてごめん――」
「――うん、じゃあ早く行こっか! 時間ないし」
覚悟とともに紡ぎ出された謝罪の言葉をあっさりと遮り、アオイはピッチを指さした。
「サッカー経験者は? 誰が試合に出るの? っていうか、門限何時?」
すでに「天才」の頭の中は、最善のチームを組み立てるためのチーム分けでいっぱいだった。
そんな弟の様子に、ハルカは呆れたように肩をすくめ、首を振った。
◆ ◇
「うーん……一人足りないなぁ」
アオイはピッチの外でわたあめを配りながら、視線をゆったりと巡らせていた。
11人対11人で行う本格的なサッカーの試合……しかし、現在この場に集まっている参加者は21人。観客席に集まっている人々は、雑談に花を咲かせており、ピッチに降りて汗を流してくれそうな雰囲気ではない。
「アオイ! ラスト一人、まだ見つかんねぇのか?」
ピッチの中央から、ハルカの鋭い声が飛んできた。彼女が仁王立ちする周囲では、試合に胸を躍らせる子供たちが、思い思いにウォーミングアップを進めている。
「うん、いないね……しょうがないから、今日は1チーム10人で――」
「――なら、お前が出ろ」
アオイが申し訳なさそうに歩み寄ると、ハルカは取りつく島もなく淡々と告げた。
「い、いや、僕は運動とか苦手だし……システムが問題なく動いてるか見ないと――」
「――細けぇことはいんだよ! よし、人数は揃った。始めるぞ!」
ハルカは弟の反論を乱暴に遮ると、準備運動としてピッチ内を駆け出し始めてしまった。
アオイは、姉の暴政に諦めたようなため息をつく。そして、せめてもの抵抗として、自分のチームへ経験者が多く集まるよう手早く人員配置を調整した。
姉弟は別チームだ。想定できる各々の実力を考慮し、不自然にならないようチーム分けを行うと、どうしてもハルカとは敵同士になってしまう。
――ピィィィ!
試合の開始を告げるホイッスルが鳴った。
センターサークルで味方からボールを受けたハルカは、一瞬の躊躇もなくゴールへと一直線に踏み込んでくる。
ハルカの前に、アオイのチームの子が立ちはだかった。事前情報では、近所のクラブチーム内で最も実力があると評判である。
しかし、そんな強敵を前にハルカは不敵に笑い、白い歯を覗かせると、さらに勢いを増して突進していった。距離が急速に詰まっていく……3m……2m……1.5m――
――ボールがふわりと宙を浮き、立ち塞がる少年の頭上を美しく飛び越えた
かかとでボールを浮かせ、相手の背後へと落とす――レインボーフリック。
目の前の出来事を飲み込めずに相手が硬直する間に、ハルカは疾風のごとくその脇を抜き去り、ボールの着地点へと到達していた。
「まずい! 抜かれたぞ!」
「行け行け!」
ハルカの鮮やかな突破に呼応し、彼女のチームが一気になだれ込んでくる。
対するアオイのチームメンバーは慌ててハルカへと群がり寄るが、彼女の圧倒的な突破力の前に、次々と置き去りにされていく。
「アオイ!」
ゴールの前に立ち尽くすアオイに向け、猛進するハルカが弾けたような声を投げた。
退路はない。背後にはもう、最終ラインを守るゴールキーパーしか残されていないのだから。
アオイは腹を括り、姉の足元にあるボール目掛けて左足を伸ばす――
――視界が激しく揺れ動くと同時に、左肩から全身に凄まじい衝撃が突き抜ける
自身の左肩と、ハルカの右肩が激しく激突したのだ。衝撃で左足が宙に浮く。だが、まだチャンスはある。
両手をばたつかせてバランスをとりながら、右足を軸に再び左足をボールへと伸ばす。
しかし、脳内で完璧に捉えたはずのボールは、ハルカのほんの僅かなタッチによって、すでにそこには存在しなかった。
バランスを崩して無残に尻もちをついたアオイを、ハルカは何事もなかったかのように颯爽と抜き去り、ゴール正面へと到達する。そして左足で踏み込み、右足で鋭くボールを振り抜いた。
誰もがゴールのホイッスルを予感し、息を呑む。だが、その音は鳴り響かなかった。
「……チッ!」
苛立ちの混じった、ハルカの舌打ちが聞こえる。
アオイが倒れ込んだまま視線をゴールへと向けると、キーパーの少年がしっかりとボールを抱え込んでいた。フェイントを挟まない、至極直線的な軌道は、キーパーにとって容易にコースを予測できるものだったのだ。
「行くよ、アオイくん!」
キーパーが、起き上がりかけたアオイに向かってボールを投げ届ける。
「えっ……僕!?」
アオイは飛んでくる球を慌てて追いかけ、足元でピタリと止める。
(行くしかない……)
足先がしっかりとボールを蹴っているのを見下ろしながら、アオイはゆっくりと進む。
ちょうどピッチの中央付近に差し掛かったその時、大地で満たされていた視界に、二本の足が飛び込んできた。顔を上げると、そこには獰猛な笑みを浮かべたハルカの顔があった。
(ま、まずい……そうだ、パスだ)
アオイは周囲を見渡した後、近くにいたチームメンバーへとボールを蹴った――
――視界の端から端へ、目にも止まらぬ速さの何かが横切る
ハッとして蹴り出したボールの軌道を目で追ったが、そこにはもうその姿はなかった。
「……取られた!」
パスコースへ完璧に割り込んだ相手チームの子供は、勢いそのままにゴール目掛けて一直線に突き進んでいた。そして、右足を大きく振りかぶる。キーパーは即座に、身体の正面をその子に向け、シュートコースを消しにかかる。
足先とボールがぶつかり合った直後、球の行方が一瞬だけ消える。そして、ワンテンポ遅れて気づいた。
ボールは蹴り出されることなく、彼の足元を離れて横方向へと滑らかに転がっていた。その先で待っていたのは、他でもない――
――ピピィィィ!
ゴールを告げる高らかなホイッスルの音が鳴り響いた。それと同時に、ホログラムの花火が打ち上がり、観客席からは一斉に歓声が湧き起こる。
キックフェイントによるパスを受け取ったのは、高速でゴール前に走り込んでいたハルカだった。正面からの単純な軌道ならキーパーに防がれるが、味方のフェイントが混ざった至近距離からの豪速球は止めようがない。
ハルカはゆっくりと振り返ると、アオイへと向かって、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「さすが……ハルカ姉だ」
自分はおろか、サッカー少年たちすらも圧倒する姉の姿に、アオイは思わず感嘆の声を漏らした……
(……何が足りなかった?)
自分が取り得たはずの選択肢を冷徹に反芻する。
「フィジカルも、技術も段違いだ」
だが、どれほど思考を巡らせようとも、“今”の自分が選べるカードの中に、姉を超えられるものなどなにもなかった……
(……なら、“奴ら”に勝つには何が必要だった?)
割れんばかりの歓声と、術式が奏でる賑やかな楽器の音。その喧騒は、少年自身にすら隠していた……奥歯をすり減らすような、痛烈な歯ぎしりの音を。
◇ ◆
――13紀 2109年 夏火の月 25日
孤児院の狭いリビング。「家族」とともに晩ご飯を食べていると、テレビのスピーカーから華やかな効果音が響いた。その音を合図に、一斉に全員の視線が画面に注がれる。
「スタジアム」が完成してから、ちょうど一週間後。どこから噂を聞きつけたのか、テレビ局の取材陣がやって来たのだ。そして、その取材の様子が夕方の報道番組として全世界に流されるのが、今日だった。
『本日は、スクルタスの第一地区に来ております! なんとここには、ただの空き地を立派なスタジアムに変えてしまった、“天才”がいるんです! しかもその天才は、たったの6歳の“非能力者”の少年なんですよ!』
画面の中のキャスターは、これ見よがしに身振り手振りを交え、大げさな口調でまくしたてる。
『……それでは早速、話を聞いてみましょう! アオイくーん!』
『……は、はい!』
画面の中に、緊張した自身の姿が映し出された。
「アハハ、アオ兄ガチガチ」
からかうような声と爆笑が、リビングから湧き上がる。
『……それでは早速聞いてみましょう! どうして、こんなにすごいスタジアムを作ったのかな?』
『えっと……ハルカ姉が、サッカーをしたがってたから……』
お腹の前で両拳をギュッと握りしめながら、少年は小さな声で答えた。
『そうなんです。同じ施設で育つ“能力者”の少女のために、なんと“非能力者”のアオイくんはこんなすごい場所を作っちゃったんです!』
キャスターやアオイの背景に映るスタジアムは、かつての空き地からは想像もつかないほどの歓声と熱気に包まれていた。集まっているのは、同年代の小学生だけでなく、さらに幼い子供とその親たち、あるいは中学生や高校生、果ては近所に住む年寄りまで……アオイの作った「楽園」は、もはやただボールを蹴るだけの場所に留まらず、世代を超えた人々が集う憩いの場と化していた。
『まさかわしも、こんな大層なものができるとは思いもしませんでした』
マイクを向けられていたのは、土地の所有者である老人だった。その身なりは普段とは違い、一張羅の背広を纏っている。
『……それじゃあ、アオイくん。次は一体、どんなすごいものを作るのかな?』
キャスターが瞳をキラキラと輝かせ、期待に満ちた笑顔でアオイへマイクを突き出した。
『……いや、別に』
画面の中のアオイは、淡々と短くそれだけを返した。
そして画面は、テレビ局のスタジオへと転換する。
『いやぁ、素晴らしいですね。今後も彼には、我々を驚かせるような物を作っていってほしいものです』
スタジオの中央に鎮座する初老のコメンテーターが、画面の「天才」へと賞賛の眼差しを向けた。
再び画面は切り替わり、「楽園」の穏やかな日常を切り取った映像が流される。その中には、子供たちが汗を流してサッカーに興じる姿もあった。
ハルカが味方からのパスを受け取り、ゴール目掛けて猛進する。その前に、悠然とした足取りでアオイは立ち塞がる。
ハルカは弟を抜き去るべく、ボールを宙へと軽く浮かせる。だがアオイは、まるで姉の動きを完璧に予測していたかのように、予め半歩だけ後ろへ下がり、ボールの着地点へと先回りしていた。そして、右足一本でバランスを保ちながら、宙に浮いた左足の甲でボールを優しく受け止める。
直後、ボールを奪い返そうとハルカが身体をぶつけてくるが、アオイは片足立ちの態勢のまま、その衝撃に微動だにせず耐えてみせた。そして、走ってきた味方へ正確なパスを送り、ハルカの猛攻を防ぎ切る。
「アオ兄、カッコイイ!」
「ハルカ姉、惜しかったね」
画面の中の「兄姉」による攻防を目にした「弟妹」たちが、口々に歓声を上げた。
「私も、あの時は本当にびっくりした。急に強くなるんだから……」
ハルカはどこか感慨深い眼差しをアオイへと送りながら、呟くように告げた。その言葉に、アオイは静かに微笑み返す。
追いつきたい誰かがいるなら、“努力”を重ねて追いつけばいい。そこに、非能力者も能力者もないはずだ……
だが、“非能力者”の「天才」の存在は、確実に世界へと知れ渡った。
複雑な術式を自在に制御する知能。“能力者”と対等以上に渡り合う肉体。その才を、大人たちが見逃すはずがない。
穢れきった欲望の手は、ひっそりと無垢なる少年に伸び始めていた。
テルモメータ
風属性の初級魔法
気温や物体の温度を測る
風以上に、火と氷の魔力を制御する必要がある
冷蔵庫や冷暖房器具の他、精密機器の放熱を
検知するために、魔法陣として組み込まれる




