52話「孤児院の禁域」
「……関係あるかは、分からないけど」
重苦しい沈黙を破るように、レイの淡々とした声がリビングに響いた。
「ゴーレムの出入りの数と、孤児院内の数が合わないことがある」
魔力奔流の発生地点で、排除された侵入者の遺体を格納する土塊。子供たちの生活を支える魔導人形。
自分が知る限り、ゴーレムたちはその二つの役割を与えられ、いずれもこの孤児院を目的地としていた。
「ゴーレムの顔は子供たちが描いてるから、個体差がある……それで、建物内にいるはずの個体を探しても、見つからないことがよくあった」
粘土を捏ねくり回したような、落書きのような顔。それは、本当に子供たちが無邪気に描いた表情だった。
そして、そこに生じた「差」こそが、レイの観察眼が“違和感”を捉える端緒となったのだ。
「……そういえば、たまにアオイ兄さんが見つからないことがあったよね?」
ショウは声を上げると、ツクヨへ同意を求めるように視線を送った。その言葉に、ツクヨも思い出したかのように何度も頷いた。
「夜中にリビングに行ったら、誰もいないことがあったんだ。普段なら、アオイ兄さんがいるはずなのに……」
「ハルカ……じゃなくて、“アオイの部屋”にもいなかったの?」
リナの問いかけに、ツクヨとショウは揃って首を縦に振った。
「そういうことが何度かあって、ツクヨと話してたんだけど……朝にはいつも通りリビングにいたから、そんなに気にしなくていいかって……」
アオイが「家族」たちに内緒で姿を消していたのは、今回が初めてではないらしい。
彼は誰にも明かすことなく、ずっと前から何かを企ててきていた……そしてその歪みは、他でもない「家族」の中に、違和感として刻み込まれていた。
「夜中といえばさ……」
胸の奥にため込んだ空気を吐き出すように、ツクヨが重い口を開いた。
「……たまに、シズカの部屋のドアが開けられてた気がする」
猫耳を小刻みに動かしながら、ツクヨは言葉を継ぐ。
「でも、シズカが夜に一人で出歩くなんてあり得ない! だって、一人でトイレに行くのだって怖がるんだよ……」
ツクヨの視線が、ソファで弱々しい寝息を立てているシズカの幼い顔へと注がれた。
(……ゴーレムの消失、アオイの失踪、シズカの部屋の物音――)
散り散りの情報が、グルグルと巡り続ける。
――この孤児院のどこかに、ゴーレムの巨体が隠れられるような、誰も知らない空間がある……
――アオイはずっと前から、秘密裏に姿を消していた……
――シズカの部屋を出入りする、何者かの存在……
『――どこって? ずっとお部屋にいたよ』
『――アオ兄と一緒に帰って……部屋で遊んでたら……』
(アオイと一緒……シズカの部屋……秘密の空間……)
脳内で五つの「欠片」たちが、天才の残した「謎」の輪郭をおぼろげに描き出した。
「……シズカの部屋には、彼女とアオイしか知らない、秘密の空間がある!?」
静寂を切り裂いて放たれたリナの結論は、虚しく響いた。
彼女の叫びに対して、三人の子供たちは反応することなく、ただじっと、二階にあるシズカの部屋を見据えるだけだった。
◆ ◇ ◇
「シズカ」と刻まれたプレートが、はめ込まれた扉の前。その左右には、他の子供たちの部屋が規則正しく並んでいた。
リナが扉を開けると、眠るシズカを抱えたショウが先に入った。足音を押し殺して部屋へと足を踏み入れた彼は、腕の中の妹を静かにベッドへと横たえる。
「ツクヨ、何か変わったところはない?」
リナは背後のツクヨへと問いを投げた。シズカ本人を除けば、この部屋を最も訪れているのは彼女のはずだった。
「特に……いつも通り……」
ツクヨの言葉を反芻するように、リナは部屋の隅々に鋭い視線を巡らせた。
小綺麗なタンス、乱れのない寝具、教科書や筆記用具が几帳面に並べられた勉強机、そして大人の身体全体を映し出す大きな全身鏡……感覚のすべてが、この空間はただのありふれた少女の私室であると告げていた。
「……建物の構造上、こんな真ん中の部屋に、外に繋がる通路や新たな空間を作るなんて不可能。上下左右、すべてが別の部屋か廊下に囲まれている」
レイの指摘に、リナは無言のまま、部屋の中央に立ち尽くした。
(だからこそ、怪しい……)
立ち入るなと警告された三つの聖域も、魔力奔流の発生地点も、いずれも、“非日常”の中に「真実」が紛れ込んでいた。明らかに目立つ異変があれば、誰しもがそこを疑い、調べ尽くす。
だからこそ、調査の目を易々と誘導できる。分かりやすく配置された「謎」に、適度な「解」を置いていけば、自分たちは誘蛾灯に群がる虫のように、その先を必死に追いかける。
しかし、その“ミスリード”に従っているうちは、絶対に彼の掌の上から脱せられない。
(本当に隠したい『真実』は、“日常”の中に潜ませる!)
シズカの失踪がなければ、絶対に子供たちの個々の部屋を注意深く調べようとは思わなかったはずだ。せいぜい、廊下から一瞥して異変がないかを確認する程度で済ませていただろう。
子供たちが感じ取った“日常”の歪みと、アリスというイレギュラーが導いたこの場所に、必ず『禁域』が隠されている……
「……いえ、絶対にここにある! 少なくとも、シズカが姿を消した理由は絶対に……」
リナは手当たり次第に家具を引き寄せ、動かしていった。そのなりふり構わぬ動きに引きずられるように、三人もまた隈なく部屋の中を調べ始める。
だが、どれほど指先を這わせ、すき間を覗き込んでも、抜け穴ひとつすら見つからなかった――
――ドスン……ドスン……
床を微かに揺らす振動が、確かに足裏へ伝わってきた。
――ドスン
やがて、部屋の入り口を巨大な人影が完全に塞いだ。
「ゴーレム……!?」
直後、ショウが手を顔の高さまで持ち上げて構え、ツクヨが低く身を沈める。レイは間髪置かずに両手を合わせ、指先を土塊へと向けた。
「……待って」
殺気が膨れ上がる瞬間、リナは悠然とした足取りでゴーレムへと歩み寄りながら、三人の動きを制止した。
「このゴーレムが人に危害を加えることはない」
その確信に満ちた声に、三人は瞳に疑念を宿らせながらも、ゆっくりと構えを解いた。
「それで、何の用かしら?」
リナが問いかけると、土人形は答えるように、ゆっくりと太い腕を動かした。土の左腕が、湿った音を立てて胴体へ静かにめり込んでいく。
しばらく内部を漁るように腕を動かした後、ぬっと腕が引き抜かれた。その無骨な手には、看板のような真っ白な小板が握られていた。
ゴーレムはそれを、リナの視界の正面に来るよう、静かに掲げる。
『正解』
そこに記されていたのは、真っ黒のインクで書かれた短い言葉。
しかし、その意味を理解した瞬間、リナの思考のすべてが、音を立てて粉々に砕け散った。
(……私たちがここに到達することすらも、先読みされていたというの!?)
シズカの失踪という“非日常”……自分たちが“日常”に疑いの目を向けたのも、元はと言えばその“異常”を追った結果に過ぎない……
(でも、アリスのことは想定外のはずでしょ……)
アオイにとっても、アリスにシズカとの接触を視られたことはイレギュラーのはずだ……確信していたはずの前提すらも、足元から崩れ落ちようとしていた――
(――いや、視られたのが“事故”だったとしても……)
最も根本的な事実を忘れていた。
アオイは、自分たちと同じ盤上に立つ「プレイヤー」なのだ。計算外のイレギュラーがあろうとも、ただその場で最適解を導き出せばいいだけ。
アオイの当初の計画では、情報をここまで開示するつもりはなかったのかもしれない。だが今の彼にとって、シズカの部屋の秘密という「カード」をめくられることに、もはやそこまでのリスクは存在しないのではないか……
偶発的に起こった、たった一つのイレギュラー程度では、「天才」を超えることなど不可能だったのだ。
「やっぱり、シズカの部屋に何かあるってこと!?」
押し殺していた感情を一気に爆発させるように、ツクヨが叫んだ。
「僕たちが部屋に入ったタイミングで、ってことは……そうなんじゃないかな……」
ショウが伏し目がちに、消え入りそうな声で同意した。
「いや、むしろ……ゴーレムが来たのはチャンスだ」
重苦しい空気を裂くように、レイの声が響いた。
「あんたの能力で、ゴーレムを視ればいいんじゃない? そしたら、どこに消えてるのか分かるかもしれない」
レイは指先を顎に添え、射抜くような眼差しをリナへと向けた。
「……こいつの、能力?」
ツクヨの視線が、瞬時に鋭さを増してリナに突き刺さった。その警戒と疑念の混じった圧に、リナは小さく息を吐き出した。
もう隠し通すことは、不可能なようだ。
「……私は、触れた対象の記憶を視れる」
リナは肩をすくめながら、口を開いた。
その言葉を耳にした瞬間、ツクヨとショウの身体が半歩後退した。
「大丈夫。何でもかんでもってわけじゃないらしい」
動揺する二人をなだめるように、レイが淡々と告げた。
「本当は何でもかんでもなんだけど……あなたたちが大好きな『お兄ちゃん』に、変な制約つけられたのよ! 基本的に、孤児院のものは視れないわよ!」
リナは苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言い放った。
「能力の制約……? そんなことできるんだ! さすが、アオ兄!」
なぜかツクヨは目を輝かせ、どこか誇らしげに感嘆の声を返した。
「でも、それなら……ゴーレムのことを視れるの? それも、アオイ兄さんに拒絶されるんじゃ……」
ショウが首を傾げ、素朴な疑問を投げかけた。
「……多分、アオイはゴーレムに防御術式を組み込んでない。ゴーレムは街中を歩き回ってるから、ただの興味本位で調べようとする奴もいるはず。そいつら全員に制約をつけてたら、不審極まりないでしょ。ゴーレムに関しては、ある程度視られることを前提にしてると思う」
レイの推理に、リナも同感だった。
かつて自身が触れた際も、防御術式はなかった。もしもあの土塊に、孤児院内の存在に付与されていた「定義」と同等のもの――「ハック・バック」の引き金となるものが刻まれていたなら、その時点で自分は反撃を食らっていたはずだ。
「まあ、どっちにしたってデメリットはもうないから、触り得よ」
仮に制約に引っかかったところで、ただ能力が不発に終わるだけの話。もはやペナルティを恐れる理由など何ひとつない。
リナは左手の革手袋を一気に外すと、半ばやけっぱちに指先を土塊へと伸ばした。
◇ ◆ ◇
点と点が線を結び、幾重にも重なり合う光の繋がりが三次元の人型を形成する。
アオイの手によって生み出された、物理的な「核」を持たぬゴーレム――その剥き出しの術式は、「神経細胞<ニューロン>」のごときネットワークであった。
――原則
第一条:人間に対し、危害を加えない
第二条:第一条に反しない限り命令に服従する
第三条:第一条、第二条に反しない限り、自己を守る
脳裏に真っ先に浮かんだのは「原則」――クルルの言葉を借りるなら、この土塊たちの「核」だ。
(でも、用があるのはこれじゃない……!)
探し出すべきは、このゴーレムたちが侵入者の遺体を格納したあと、孤児院のどこへ姿を消し、どこへと廃棄しているのかという足取り……
(ダメだ! 情報が多すぎて処理できない……)
この「思考する土塊」……いや、きっと厳密には、思考しているのと同様の莫大なプロセスで稼働する情報体系。その情報量は、人の脳の許容量でさばききれるものでは到底なかった。
渦巻くデータの大海から、目当ての「指令」だけをピンポイントで見つけ出すなど、不可能だ。
『新たなルールを付与すれば、彼らは天才の忠実な僕<デバイス>から、あなたの潜入を助ける最高の協力者へと変貌を遂げる』
不意に、クルルの言葉が蘇る。
(“視る”んじゃない! “見る”んだ! ゴーレムの動きを……)
リナは片目を瞑るようにして、意識の半分を現実へと無理やり引き戻した。そして、右手の手袋を乱暴に脱ぎ捨てると、剥き出しになった指先を土の身体へと這わせた。
「まずは視せなさい! 『最優先命令』を」
――最優先命令
「Room 2021」に、「Definition 3」が付与されたオブジェクトが600秒以上存在した場合、当該オブジェクトに「Board 36」を提示する
「なるほどね……なんとなく理解できたわよ」
「Definition 3」が付与されたオブジェクトは、自分のように「ハック・バック」を喰らった潜入者のこと。「Room 2021」は特定の部屋……状況から察するに、シズカの部屋とみていいだろう。
そして、「Board 36」とは、先ほど目の前に掲げられた『正解』と書かれた板だろう。
「ならもう、役割は果たしたわね」
小さく呟くと同時、最優先命令の記述がぼやけていく。そして代わりに、その空白へ新たなルールを叩き込む。
「あとは、見るだけでいいわ」
言葉を残し、リナは意識を現実へと引き戻していった……
『ですが、ひょっとすると……この計略自体すらも、彼の掌の上にあるのかもしれません』
かつてクルルが残した不穏な予感が、微かに脳裏に響いた。
◇ ◇ ◆
リナはそっと、ゴーレムの身体から指先を離した。
「……どうだった」
レイが息を呑むように、小さく問いかけた。
「無理。情報が多すぎて、処理しきれない……」
リナの言葉に、その場を漂う空気が一瞬で落ち込んだ。
「……ただ、この後のゴーレムの動きを見れば、きっと分かるわ」
リナの声が響いた直後、土塊はぎこちなく動き出した。
ゴーレムはシズカの私室へと踏み入ると、振り返り、背後の扉を音を立てて閉ざした。
そして、部屋の奥へと歩みを進める。そのまま、整えられた勉強机の前で足を止めると、その引き出しをすっと引き、戻し、間を置かずにもう一度引き、再び戻した。
一連の動作を終えると、次は窓辺へと向かう。無骨な指先で、窓の縁を上から下へ一回なぞり、続けて窓の下辺を右から左へ一回、折り返すように左から右へさらになぞり直す。
それが終わると、ゴーレムはその場で円を描くように、時計回りにぐるりと一回転してみせた。
「どうしたの……バグったの?」
あまりに不可解すぎるゴーレムの動きに、耐えかねたようにツクヨが声を上げた。
だがゴーレムはそんな反応を気にもせず、部屋の隅に鎮座する大きな全身鏡の前へと歩み寄った。
そして、その巨腕を伸ばし、平滑な鏡面へと指先を触れさせる――
――土の指先と、鏡面が接触した瞬間、静まり返った部屋に、パシャリと水面を叩くような音が響いた。
本来ならば硬固であるはずの鏡面が、まるで銀色の粘体へと変質したかのように、ゆらゆらと波紋を描いて揺らめく。
ゴーレムは、その巨体を折り曲げるようにして、鏡の「内側」という存在しないはずの奥行きへと、吸い込まれるようにして消えていく。
「……ッ!」
波打つ銀色へと、リナは反射的に手を伸ばしていた。
しかし、指先に返ってきたのは、硬質で冷ややかな感触だけだった。
(この感じ……まさか、ね)
リナの脳裏には、ある種の既視感がよぎっていた。ありふれた日常が、たった一瞬で非日常のものへと変貌する体験。
ある時は何の変哲もない民家の玄関、またある時はコンビニのトイレの扉。ただの風景である「扉」が、この世界の外側――「観測者」である道明寺ミユキの元へと繋がる不可解な現象。
それは決まって、クロが謎めいた足取りで自身を先導した後にのみ引き起こされる現象だった。あらかじめ定められた「特定の手順」を正確に踏んだ者にしか、立ち入ることが許されない領域……
(アオイも同じようなことをしている……)
ゴーレムが見せた、バグと見紛うような奇妙極まりない一連の挙動。それこそが、鏡の奥に秘められた「禁域」へと、足を踏み入れる資格を得るために必要な儀式。
資格を持たぬ者にとって、この鏡はどこまで行ってもただの冷たいガラスでしかない。だが、正しく手順を踏み、通過儀礼を果たした者にとっては、この鏡こそが別の空間へと至る通路へと変貌を遂げる。
「……こんなの、“正解”を知らなきゃ、絶対に到達できないわね」
リナは、震える声を隠すように吐き捨てた。
「……どうやって、あのゴーレムを動かしたの?」
レイが瞳を丸く見開いて、問いを投げかけた。
「……秘密よ」
リナは視線を交わすことなく、淡々と答えた。
実際に行ったことは実にシンプル。ゴーレムの最優先命令の記述を、『遺体格納時と同様の行動をとれ』に「書き換え」ただけだ。
だが、それを馬鹿正直に語れば、自身の能力が「視る」だけではなく、「書き換え」も可能であることがバレてしまう。
(せいぜい、浅知恵で深読みでもして、盛大に勘違いしておきなさい)
胸の内で邪悪な笑みを浮かべつつも、平静を装ってレイたちへと視線を向ける。
「……三人とも、今のゴーレムの動き……再現できるわね」
ゴーレムの消失点。そして、シズカ失踪の謎。
その真実へと続く入り口が今、不気味な銀色の波紋となって揺らめいていた。




