51話「不審な帰還」
「ねぇ、アリス。シズカはずっと、どこにいたの?」
リナは、英雄の肩に乗る少女へと静かに問いかけた。
「どこって? ずっとお部屋にいたよ」
その問いかけに対し、アリスはただ無邪気な笑みを浮かべ、何ということもない様子で答えた。
「そう……」
そのあけすけな答えで、一気に辻褄が合った。
なぜ目の前の少女が、異常なまでに「家族」の失踪に対して無関心だったのか。
(……違う。アリスは、最初からシズカが孤児院の中にいることを知っていた……だから、私たちが焦っていた理由が分からなかったんだ。……でも、それなら)
どのような手段かは想像もつかないが、とにかくアリスは、失踪した「家族」の居場所を把握していた。そこに「暴君」の関与がないことまで含めて。
だからこそ、何事もないかのようにいつも通りでいられた……というより、彼女からすれば本当に何事もなかった。
そして、それはもう一つ、誰もが喉から手が出るほど求めている“答え”を、彼女が握っているということを意味する。
「……なら、アオイはどこにいる?」
シズカが私室にいると知っていたところで、アオイの所在まで把握していなければ、彼女にとっての“日常”は成立しない。
つまり彼女は、アオイの無事か、あるいは彼の現在地までも正確に把握しているはずだ。
「ブー! それは言っちゃダメ!」
しかし、アリスは不満げに口を尖らせ、ぷいっとそっぽを向いた。
「おい、ガキ! ふざけてる場合じゃねぇんだぞ。こっちは世界の命運がかかってんだ!」
ベスタの大きな手が伸び、容赦なく少女の身体を掴み上げる。
「絶対、話さないもんね! だって、アオ兄と約束したもん!」
ベスタの貌の前に吊り上げられたアリスは、意地を張るように口を「へ」の字に結んだ。
「まあまあ、ベスタ様……」
リナは荒ぶるベスタを制するように手で止めつつ、ニッコリとした柔らかな笑顔をアリスへと向けた。
「……アオイとは、いつ約束したの?」
「……さっき!」
アリスは不機嫌そうに、短く答えた。
「そっかぁ、“さっき”ねぇ……それって、学校が終わった後? どこで会ったの?」
自然な流れを装いながら、問いを重ねる。しかし、少女は固く口を閉ざすばかりだった。
「仕方ありません、ベスタ様……」
リナはため息混じりに小さく呟くと、両手を脇に置き、指先を小刻みに動かした。
そのジェスチャーを見て、ベスタは意図を察したように口元を歪める。
「アリスちゃん、最後のチャンスよ。アオイと最後に会ったのはどこ?」
リナは張り付けたような笑顔で優しく問いかけたが、アリスは相変わらず黙秘を貫いていた――
――刹那、ベスタの大きな手が、アリスの無防備な脇腹へと伸びる。
「何も言わないと、“こう”だぞ! コチョコチョ、コチョコチョ……」
「――キャハハッ! や、やめて……キャハハ!」
ベスタは容赦なく、小さな身体を指先でまさぐり始めた。
「さあ、さっさと観念して、吐いちゃいなさい! アリスちゃん」
リナは、英雄に抱えられながら身をよじらせて笑い転げる少女へ、質問を投げかけた。
「……あんたら、何やってんの……?」
背後から、呆れ果てたようなレイの声が低く響いた。
「何って? 『拷問ごっこ』よ」
表情一つ変えず、リナは淡々と答えた。
「さあ、アリスちゃん。最後にいつ、どこでアオイと会ったの?」
「……ヒッ! ア、アオ兄と……シズカちゃんが、二人で……歩いてたから……っ!」
アリスは過呼吸気味に息を引きつらせながら、途切れ途切れに言葉を吐き出した。
「アオイとシズカが、二人で……?」
「それで話しかけたら、内緒だよって……キャハハ!」
完全に姿を消し、自分たちを翻弄し続けていたはずの「天才」。その彼が、シズカと密かに会っていた……
「……それで、今、アオイはどこにいるの?」
「……もう分かんない! そのあとずっと、アオ兄だけ引っかからないんだもん!」
アリスは不満そうに言い放った。彼女の「目」をもってしても、それ以降のアオイの足取りだけは捉えられなくなっているようだった――
『――ねぇ、さっきから誰と話してるの?』
その時、レイの端末から、ツクヨの訝しげな疑問が投げかけられた。
「アリスだよ……なんか、シズカがずっと部屋にいたのを知ってたみたい。それに、アオイとも会ってるっぽくて――」
レイがすかさず返答した。
『アリス……? 何言ってるの……!? アリスなら今、こっちでショウとかヒカルさんと、鬼ごっこしてるけど……!?』
その言葉が、場の空気を一瞬で凍りつかせた。ベスタの指の動きがピタリと止まり、リナとレイも目を丸く見開いて息を呑む。
“拷問”という名のおふざけから解き放たれたアリスは、満面の笑みを浮かべた顔をぬっと逆さに向け、ふわりと金髪を揺らしていた。
◆ ◇
少なくとも放課後以降に、アオイはシズカに接触している。それならば、彼はまだスクルタス内にいる可能性がある。
ベスタ及び天界軍の捜索目標を、シズカやハルカからアオイへと切り替えさせる。もっとも、それで見つけ出せるような甘い相手ではないことは、嫌というほど理解させられているが……
眠そうに目をこするアリスをおぶり、レイと共に孤児院へと戻る。
「兄」と共に行方をくらまし、だがずっと私室にいたという少女。すべてを視通しているかのような「目」を持ち、同じ瞬間に異なる地点にいた少女。
解かなければならない孤児院の謎は、いっそう複雑に膨張を続けていた。
(一番手がかりになりそうなのは、アリスへのみんなの反応……)
自分やベスタが、アリスの“力”に驚くのは当然だ。彼女の能力のこともまったく知らない、外部の者なのだから。
だが、「姉」であるツクヨや「協力者」であるレイすらも、明らかにアリスの見せた“力”に対して、動揺を隠せていなかった。
(アリスの能力を知らないか……あるいは知った上で、なお理解の及ばない“力”だったのか)
たとえ血の繋がった身内であっても、能力を隠すこと自体は珍しいことではない。性質が知られているというのは、それだけで弱点になる。
例えば、自身の能力は「対象に直接触れること」が発動の契機だが、それが知られているだけで、相手は物理的な接触を全力で避けるようになるだろう。
戦闘であれ腹の探り合いであれ、能力者間でのやり取りにおいて、相手の能力という情報は盤面を左右する極めて重要な「カード」なのだ。
(ツクヨやレイはともかく、一番不可解なのはアオイの行動……)
あの合理主義の塊のような「天才」は、絶対に「家族」たちの能力くらいは把握していたはずである。にもかかわらず、彼はシズカとの接触を易々とアリスに視られた……
意図的に見せた可能性もゼロではないが、だとすれば現状――アリスの口から自分たちへ情報が漏れ出ているという結果に納得がいかない。
(……アリスに視られたのは彼にとっても“事故”だった……?)
アリスによれば、現在のアオイの位置は分からないという。つまり彼は、アリスの「目」から逃れる術を知っている。ならば、最初からその方法を使えばよかったはず……
それに、アリスへの口封じもお粗末なものだった。あの程度の「コショコショ拷問」で、あっさり重要な「カード」がめくられてしまうなど、彼の巧妙さからは到底考えられない失態だ。アオイならもっと、厳格で確実な方法がとれたはずだ……余裕があったのならば。
当の少女は、リナの背中の上ですやすやと穏やかな寝息を立て始めていた。
リナは隣を並んで歩くレイへと視線を向ける。
「……シズカとの接触を目撃されたのは、アオイにとって想定外の出来事だった。と私は考えているんだけど……」
リナが胸中の推理を口にすると、レイも小さく頷いた。
「アオイにとって、アリスに見せるメリットがなさすぎる。むしろ現状、デメリットにしかなってない」
レイの導き出した結論も、自身と一致しているようだった。
「ねぇ、アリスの能力って何なの?」
「……私の口から、言うと思う?」
素直に問いかけてみたが、返ってきたのは淡々とした拒絶の言葉だった。まあ、最初から教えてもらえるとは期待していなかったが。
「……本人に直接聞けば? きっと隠さずに教えてくれるよ」
アリス自身は、己の能力を隠そうとはしていないようだった。レイや「家族」たちも、アリスの能力そのものについては把握しているのだろう。
つまり、能力の性質を知ったうえで、その“力”は理解できないものなのだ。そしてそれは、アオイすらも完全には把握しきれていない……
「天才」の掌の上から抜け出すための救いの糸口は、今、自身の背で無邪気に眠るこの少女の中に隠されているのかもしれない。
◇ ◆
孤児院の中は静寂に満たされ、一室を除いてすべての明かりは落とされていた。
唯一、光の漏れるリビングの扉を開けると、部屋の中央、テーブル席にはツクヨとショウ、そしてヒカルの三人が腰を下ろしており、その傍らのソファには、シズカが横になっていた。
「おかえりなさい、リナさん……」
重苦しい沈黙を破ったのは、ヒカルの抑えた声だった。彼は席を立つと、リナへと歩み寄り、その背で寝息を立てるアリスの身体を優しく受け取った。
「ヒカルさん、アリスは……」
背中の重みが消えた感覚を確かめながらリナが尋ねると、ヒカルはどこか自信なさげに語り始めた。
「……夕食の時もお風呂の時も、ずっとここにいたはずです。僕だけじゃなく、他の子供たちも見てたので間違いないと思います……」
ヒカルの言葉が終わるや否や、耐えかねたようにツクヨが勢いよく立ち上がった。
「うちらが戻った時は、ちょうどみんな寝る前で……それで、ショウとヒカルさんでアリスのことを追いかけてた……」
眠るのを嫌がって逃げ回る子供たちを、半ば強引に部屋へと押し込むいつものルーティン。その日常の中にも、間違いなくアリスの姿はあったというのだ。
「それで、さっきアリスの部屋を見てきたんだけど……誰もいなかった」
力なく掠れた声で、ショウが小さく漏らした。同時に二つの場所に存在していたかのような不可解な現実に、その場の全員が思考を重く停止させていた。
(優先順位が、分からない……)
アオイやシズカの失踪の真意を探るべきなのか。それとも、アリスの常軌を逸した“力”の秘密を解き明かすべきなのか。今すぐ手をつけるべき一手がどちらなのか、見極めがつかない。
(『鑑定』が使えないのが、こんなに不便とはね)
圧倒的な情報不足の中で、取捨選択を強いられる不自由さ。次の局面を読み切るために、手元にあるべき情報の価値を天秤にかける。捨てていい情報は何か。あれば有意義な情報は、決して見落としてはならない情報は……
「……アリスの能力は、今度聞きましょう……」
絞り出すように告げたリナは、アリスを腕に抱くヒカルへと視線を送った。その意図を察したヒカルは頷き、静かな足取りで少女をその部屋へと運んでいった。
アリスという少女は、おそらく自身の“力”を隠そうとはしていない。彼女にとって、能力も含めた“力”は、息をするのと同じように、できて当然のこと……
だからこそ、わざわざ聞かれなければ明かすこともない。逆を言えば、真っ直ぐに尋ねさえすれば、包み隠すことなく正直に答える……はずである。
「アリスが言うには……シズカはずっと孤児院の中にいた。そしてアオイは、シズカと行動を共にしている時間があった。あいつの現在地は不明」
レイが、静かにアリスの証言を整理して言葉を紡いだ。
「……でも、ここの中はうちらで散々探し尽くしたじゃん!」
ツクヨが感情を抑えきれずに声を荒げた。
「……そう、そこが問題。シズカの部屋だけじゃなく、全部の部屋をみんなで探した。けど、誰も見つけられなかった……」
レイが薄い唇を噛み締めながら、胸の前で腕を組んだ。
「起こすしかなさそうだね……」
ショウが、ソファで弱々しく寝息を立てるシズカを見つめながら呟いた。
その言葉に、全員が無言で頷く。
「シズカ……」
ツクヨが、シズカの肩にそっと手を添え、微かに揺すりながら呼びかけた。
「……んん? ツクヨ、ねぇ……? 私、どうして、ここに……」
重い瞼をうっすらと持ち上げたシズカの眸は、どこか焦点が合わず虚ろだった。
「シズカ……アオ兄とずっと、どこにいたの!?」
まだ微睡の中にいるシズカへ向け、焦燥を抑えきれずにツクヨが問い詰めた。
「……授業が終わって、ツクヨ姉を待ってる時に……アオ兄がきたの」
少女の口から、途切れ途切れの言葉が漏れ出る。
「アオ兄と一緒に帰ってたら、アリスちゃんが来て……でも、アオ兄となんか約束した後、いなくなって……それで部屋で遊んでたら、寝ちゃってたみたい……」
そこまで小さく言い終えると、シズカの身体は脱力し、再びソファへと沈み込んだ。
「やっぱり、部屋にいたって……」
「だからそれはありえないじゃん!」
「でも、アリスの証言もある」
三人が、戸惑いと共に口々に言葉を紡ぐ。
(この孤児院には、彼らですら知らない……尋常ならざる『謎』がある!)
アオイが残した謎。そこに至るための「欠片」は、きっと物理的には完璧に排除されているはずだ。
だからこそ――
「……三人とも」
リナの声が、リビングに重々しく響き渡った。
「あなたたちの記憶にあるはずよ。アオイが消せなかった『欠片』が……この謎を解くためのピースが!」
――目に見えぬ領域にこそ、真実が眠っているはずだ。




