50話「孤児院の妹」
スクルタス第六地区――歴史の静けさと観光地の華やかさが入り混じる地。日が沈んだ後も、表通りは眩い街灯と観光客たちの賑やかなざわめきに包まれる。
だが、一歩道を外れれば、そこは闇に潜む者たちの領域へと一変する。浮かれた観光客は当然として、この街で生きる市民ですら、安易に足を踏み入れるべき場所ではない。特に、夜の闇に吞み込まれた後には……
「レイちゃんは、こっちだよ!」
しかし、アリスは迷う素振りを一切見せず、路地裏へと足を踏み入れていく。その華奢な手に引っ張られるようにして、リナも彼女の後に続く。
湿ったアスファルトの端には、ぐったりとしたまま動かない人々の姿があった。眠っているだけなのか、ドラッグ摂取による気絶なのか、あるいはすでに息をしていないのかはわからない。
「――あそこだよ!」
唐突にアリスの足が止まった。それと同時に、暗闇の奥から射抜くような鋭い黄色い瞳がこちらを捉える。
「なんで……!?」
青髪を揺らす少女――レイは、二人の姿を目の当たりにすると、凍りついたように硬直した。
(本当に、いるなんて……)
リナもまた、無邪気に笑うアリスの姿を見つめながら、全身の血が引いていくような錯覚を覚えた。
一切の手がかりなく、しかし当然のように一直線にレイのもとへとたどり着いてみせた少女。それは明らかに、『かくれんぼが得意』という範疇に収まるものではなかった。
(……彼女の『能力』によるものでしょうね)
アリスの能力にはまるで見当がつかなかったが、リナはすぐさま思考を切り替えた。今はその謎を解くよりも、優先しなければならないことがある。
「レイ! シズカは見つかりそう?」
固まったままのレイへ向け、リナは切迫した声を投げかけた。その問いを受け、レイは小さく頷いてから口を開いた。
「……ハルカが、動いてると思う」
やはり、「暴君」が関与していると考えるのが妥当か。
ならばなおさら、三人には捜索を中断してもらわなければならない。
「レイ……ハルカが動いている以上、あなたたちの身も危ないわ。ちゃんと戦略を練るためにも、一度孤児院に戻りましょう」
リナはレイの瞳をまっすぐに見つめ、語気を強めた。
「私はともかく……ツクヨとショウの二人が、それで納得すると思う?」
(……しないでしょうね)
あの二人は「姉」と「兄」なのだ。たとえ己の身がどんな危険にさらされようと、絶対に「妹」を救い出すまで足を止めるはずがない。
「家族」の中心である「太陽」を失った今、自身の「引力」だけでは暴走する「惑星」たちを制御できない。
(『カード』をめくるしかないわね……)
リナは決意とともに、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「……天界軍が、総力を挙げてシズカを捜索してる」
天界軍との関係を開示する。自分がただの「新人職員」ではないことなど、レイはとっくに見抜いていただろう。だが、その裏に天界の本格的な介入があることまでは、予想すらしていなかったはずだ。
できれば、もっと隠しておきたいところではあった。天界が軍を動かすほどの事態が、彼らの「縄張り」で起きているということは……
「あんた……一体、何者?」
レイの鋭い問いかけが夜の空気に響いたが、リナは彼女へまっすぐに眼差しを向け続けた。
「……分かった。とりあえず、二人には連絡を入れとく」
リナの瞳に宿る覚悟に観念したように、レイは小さく息を吐くと、携帯端末を取り出して素早い手つきで操作を始めた。
(とりあえずは……)
リナは息を吐き出すとともに、アリスへと視線を落とした。
彼女はどこから拾ってきたものか、長い木の枝を手にし、その先端で死んだように眠る男の身体を、ツンツンと突っついていた。
(やっぱり、おかしい……)
アリスの様子は、明らかに“異常”だった。
今この瞬間も、孤児院の『家族』であるアオイとシズカの消息は分からないのだ。他の子供たちのように不安に怯える……あるいはツクヨやショウのように、街へと飛び出していくのが“正常”な反応のはずだ。
だが目の前の幼い能力者は、“異常”事態の渦中にあっても、あまりに“正常”であり続けている。
リナは、ゆっくりとアリスの手から木の枝を取り上げつつ、無垢な笑顔を見つめた。
(異常を認識できていない……? それとも、すべてを理解した上で、それを異常だと判断していない……?)
自分たちの“目”では見られず、彼女の“目”にだけは視えているものがあるのではないか。
リナは優しく小さな肩をつかむと、胸中の疑問を問いかけた――
――しかし、言葉が届くよりも早く、一瞬にして夜の闇が地上から引き裂かれた。
直後、肌を焦がすような熱を思わせる、規格外としか表現のしようがない魔力が溢れ出す。
「ハルカ……!? いや、この密度は何……!?」
レイもアリスも、そして道端で横たわっていた浮浪者たちも、一斉にその「黄金の太陽の如き魔力」が湧き上がった方角へと視線を奪われた。
「――行くよ、あそこにハルカがいる」
街を轟かせた魔力から、確かに「熱」を感じ取ったレイは、返事も待たずに駆け出した。
一方のリナは、その身を灼くような「熱」の正体に思い当たりつつも、アリスの手を引いて、先を行く小さな背を追うしかなかった。
◆ ◇
突如として噴き出した、まるで天災のような魔力に、大通りは混乱の極みに達していた。
リナたちは、逃げ惑う人々の波を掻き分けるように抗いながら、ひたすらに前進を続ける。
魔力の源流に近づくにつれて、普段は光のあたる表通りには決して姿を現さないはずの日陰の住人――ならず者や裏街の者たちまでもが、恐怖に顔を跳ね上げて逃げ惑う光景が目につき始めた。
やがて、先頭を走るレイが一際暗い路地裏へと足を踏み入れる。そして、唐突にその足を止めた。
追いついたリナも、彼女の横に並び、前方に視線を注いだ。
二人の視線の先――スクルタスの陰に巣食う浮浪者やチンピラたちが、一様に恐怖に顔を歪ませ、地面にへばりつくようにひれ伏していた。
そしてその恐怖の中心には、大剣を肩に担ぎ、圧倒的な存在感を放つ「燃え盛る炎」が仁王立ちしている。
「おい、隠し事は無しだ。今日、右腕を失ったガキか、あるいは怯えたガキ……どっちかを見なかったか? ああ?」
「――見てないです! 絶対に見てないです!」
このはた迷惑な時間帯に闇を切り裂いた「太陽」の正体は、やはり理不尽なほどに最強な「英雄」だった。
「ベスタ様……」
リナが半ば呆れたように呟いた瞬間、その声に反応して黄金の左目がちらりと彼女へと向けられた。
その一瞬の隙を見逃さず、日陰に生きる者たちは、あまりにも強烈すぎる光から逃れようと、一斉に闇へと消え去っていく。
「おお、リナ! ちゃんと聞き込みしてるぜ!」
ベスタは肩を回しながら振り返り、豪快な笑みを浮かべた。
「ベスタって、あの『ベスタ・ルクセンブルク』!? なんで……!?」
隣に立つレイの顔からは、いつもの冷静さが吹き飛んでいた。その驚愕に対して、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「この辺りに昼間、右腕を抱えた少女がうろついてたって証言があってな。だから重点的に調べてたんだが……」
ベスタは大剣を背に戻しつつ、低い声を響かせた――
――直後、彼女のすぐ背後にある窓が、建て付けの悪い音を立てて唐突に跳ね上がった。
「そのクソガキなら昼間、うちにきたぞ」
窓から顔を出したのは、ヨレヨレの白衣を雑に纏った小汚い老人だった。
そのくたびれた出で立ちと、室内から漏れ出てくる消毒液の臭い。彼が公的な枠組みから外れた場所で生きる医者――闇医者であることはすぐに理解できた。
「探してるのはハルカだろ。あのクソガキ……治療代も払わねえで、俺を脅して無理やり手術させやがった!」
闇医者は忌々しそうに吐き捨てると、黄ばんだ指先に挟んだタバコを吹かした。
「手術って……? まさか、腕の縫合じゃ……」
リナが息を呑んで問いかけると、老人は苦々しい表情のまま首を縦に振った。
「ああ、そうだ。しかし、随分と綺麗に切られてたな。まあそのおかげで、すぐに終わったんだが」
「おい、親父! そいつの行く当ては知らねぇか」
眸を細め、ベスタが問いを投げた。
「恐らくは……『竜の腹』だな。この先を進んだところにある、開発中止になったビル……だったものだ。その一角に、あのクソガキが元締めをしてる『賭博場』があるんだよ」
紫煙を吐き出しながら、闇医者は不吉な響きを持つ言葉を淡々と並べた。
「……なるほどな。ガキの遊びにしちゃあ、ちとおいたが過ぎるんじゃねぇか」
ベスタは口元を歪め、不敵な笑みを浮かべた。
「……行きましょう。そこにシズカもいるはずだわ!」
リナは覚悟とともに、ぎゅっと拳を強く握りしめた。
「ねぇ、見て見て! お医者さんごっこ!」
「――なっ!? それは俺の聴診器!? 返せ、クソガキ!」
殺伐とした緊迫感の中においても、アリスは闇医者の元から盗み出したであろう器具を誇らしげに身につけ、レイに向かって爛漫な笑顔で見せびらかしていた。
彼女にとっては、「姉」が撒き散らす暴威の先すら、一切の興味を引くものではないようだった……
◇ ◆
リナたちは、「竜の腹」と呼ばれる地を目指し、入り組んだ裏通りの奥へと足を進めていく。
本来であれば、街の光から見放されたこの場所には、物乞いやスリなどがいてもおかしくなかった。しかし今、この路地には人っ子一人の気配すらない。先頭を歩く「英雄」の圧倒的な威圧感に、影の住民たちは息を潜めて怯えているのだ。
「ねぇ、ベスタ様! おんぶして!」
そんな中、アリスは突然、ベスタの前に立ちふさがると、屈託のない笑みを向けながら両手を大きく上へと伸ばした。
「おい……このガキ、さっきから能天気すぎないか?」
唐突なおねだりに、ベスタが助けを求めるようにリナへと振り返った。
「おんぶくらい、してあげたらいいじゃないですか。好感度を上げるチャンスですよ」
いくら女の子とはいえ、小学四年生ともなれば、相応の体重がある……が、パワー自慢の「英雄」様なら、まったく問題ないだろう。
ベスタが困惑して立ち止まった隙を見逃さず、アリスは勝手に彼女の身体をよじ登り、肩につかまった。
「わー、すごい! アオ兄より高い!」
ベスタの肩の上に乗ったアリスは、視界が一気に広がったことに目を輝かせ、無邪気に声を弾ませた。
「それで……なんで、あんたとベスタ様はこんなに仲がいいわけ?」
目の前の微笑ましい光景とは裏腹に、すぐ隣からは冷徹な問いが響いた。
「……ノーコメントで」
リナは視線を泳がせながら、かろうじてそれだけを返した。
その空白の返答に、レイは目を細めた。
「……戦闘員には見えないし、天界軍の諜報部門の人間なのかとも思った。けど、それにしてはあまりに“ズボラ”すぎる」
何か今、淡々とした口調でとてつもない悪口を放たれた気がしたが、気のせいだろう。
「あんたの能力は多分、接触をトリガーとした“情報系”のもの……その能力を買われた、一時的に天界軍に協力している人間だとしたら……? それなら軍としては、地理に詳しい地元の人間を使いたいはず」
レイの思考が、次々と自分を包む秘密のベールを剝いでいく……このままでは、すぐに丸裸にされそうだ。
「元々はスクルタスに住んでいた情報系の能力者が、天界軍に協力する形で、孤児院に潜入した。……それなら、あなたたちの目的は……?」
静かな推理が、いよいよ佳境を迎えた。こちらはまだ、何ひとつ話していないのに。
「単なるアオイの『技術』目的ではないはず。それなら、あいつが姿を消す整合性がつかない。……あなたの潜入と同時に姿を消した。天界軍が動いたことを察して、何かをしなければいけなくなった……?」
さすがは、レイ様である。この一幕の観察から、あっという間に自身の正体から、失踪したアオイの理由まで迫ってみせた。
その見事な推理を前に、リナはうっすらと笑みを浮かべることしかできなかった。
やがて、入り組んだ細い路地を抜けた先に、異様というほかない光景が広がり始めた。
夜空の底にそびえ立つ、未完成のまま放置された鉄筋の巨大な骸。かつては輝かしい都市開発の象徴となるはずだった、打ち捨てられたビルの成れ果て。
そして、その巨大な廃墟へ吸い付く蛭のように、無数のコンテナや廃材で無理やり増築された粗末な建物が幾重にも連なり、一つの街のような歪な景色を作っていた。
「……これが、『竜の腹』」
そこに漂っていたのは、生々しく粘り気のある、人の欲と悪意から滲み出た特有の邪悪な気配だった。
「へっ、天魔よりも質が悪そうだ。まあ、ぶっ潰しちまえば、全部一緒だがな!」
ベスタは背負った大剣に手をかけると、地鳴りのような足音を立てて大きく一歩を踏み出した――
――ブー……ブー……
だが直後、ベスタの猛進を遮るように、彼女の腰の端末が甲高い振動音を響かせた。
「ああ? なんだよ、サオリ――」
『――貴様、どこに突撃しようとしてる! その先は竜の腹だぞ! 今すぐ撤退しろ!』
ベスタは通信に出るなり吠えたが、その声はスピーカー越しに聞こえる怒号が容赦なく掻き消された。
――ブー……ブー……
しかし、なおも端末の震える音は止まらなかった。
「……あれ、私にも来てた」
レイがハッとしたように目を細め、自身のポケットから端末を取り出した。
「大丈夫だよ、全部叩き潰すからよ!」
『それがまずいと言ってるんだ! そこを刺激すれば、世界中のギャングどもの均衡が崩れる可能性が高い! そこは伏魔殿<パンドラの箱>だ! そこまでのリスクは承知できない!』
漏れ聞こえるサオリの切迫した声を聞きながら、リナは眼前の「竜の腹」を仰ぎ見た。
長年住んできた街だというのに、自分はその「裏側」に広がる闇の領域を何も知らなかったのだ。
「どうしたの?」
レイが端末の音声をスピーカーへと切り替え、通話を開始した。その画面には、ツクヨの名が浮かび上がっていた。
『シズカが……いた!』
スピーカーから飛び出した唐突な報告は、場を支配していた緊張感を一瞬で霧散させたが、同時に新たな深い謎を落とした。
「いたって……どこに?」
困惑を隠せない様子でレイが、ツクヨへと問いかけた。
『分かんないけど……ずっと部屋にいたって、シズカが……』
「そんなわけない……部屋は一番最初に確認した……」
レイが己の記憶をなぞるように、即座に言葉を返した。
『――分かってる! 私だって何回も見たもん! でも……』
取り乱すツクヨの叫びを聞いてから、リナはある一つの確信を持って、英雄の肩に乗る金髪の少女へ視線を向けた。
「ねぇ、アリス……」
息を一度深く吸い込み、アリスの目をしっかりと見つめた。
「……シズカはずっと、どこにいたの?」
正体の分からない、すべてを視抜くような「目」を持つ少女。
「家族」の失踪という“異常”事態の中で、彼女だけがどこまでも普段通りであり続けた。それは、初めからすべてを知っている者からすれば、何ひとつ“異常”なことではなかったからなのではないか……
リナの静かな問いに対し、アリスは無邪気な笑みを浮かべて、口を開いた――




