46話「潜入調査の報告」
天界軍
天界が保有する、世界最大規模の常備軍
種族を問わず、各地から集まった兵で構成される
充実した福利厚生や教育を受けられるが
それは背負うべき義務の重さでもある
自分に自信があるのなら、何人でも受け入れよう
天界軍は実力さえあれば、誰でも上を目指せる
窓から差し込む温かな陽光。漂うコーヒーの香ばしい匂い。静寂に包まれた空間……もっともそれは、安らぎを与える穏やかなものではなく、張り詰めた緊張によるものであるが。
回顧録へと戻ったリナを出迎えたのは、カウンター越しに見えるマスターの穏やかな微笑みだけではなかった。
鈍く銀色の光を跳ね返す重厚な鎧――天界軍の兵士たちが、小さな喫茶店のテーブル席を所狭しと占拠し、優雅な陶磁器のカップの傍らには、整然と資料が並べられていた。
「遅かったじゃねぇか、リナ!」
静寂を破った第一声は、英雄の放ったガサツな言葉だった。
燃えるような赤髪の英雄――ベスタは、端のカウンター席で柄悪く足を組み、片手に掴んだサンドイッチを退屈そうに口へと運びながら、不機嫌そうに頬杖をついていた。
「全員、着席しろ。会議を始める」
中央の席に腰掛けていた天界軍の最高司令官――サオリが凛とした鋭い声を上げた。
「各部隊、第一部隊から順に報告!」
サオリの指示に応じ、各部隊長たちが次々と起立し、短く報告を上げていく。
――『異形天魔』の魔力は現在、確認できません。
――眷属『マザーベース』および、その子機たちに一切の活動はありません。スクルタスの機関と連携の上、現在は子機たちを第二地区の研究施設へ隔離中です。
――「天魔対策課」、および「八咫烏」の構成員と思われる人物を捜索中ですが、未だ成果は得られておりません。
(沈黙……嵐の前の静けさとでも言うべきね)
次々と上がってくる報告は、どの勢力も不気味なほどに沈黙を貫いている事実を示していた……あるいは、沈黙を強いられているのか。
「――第十六部隊から報告! 『魔力奔流』の発生地点について。直接の現地調査は危険と判断し、周辺住民の保護および監視に重点を置いておりましたが……」
スクルタスという街の八方と中心点――そのひとつ、自身とベスタが足を踏み入れた最東端の地に転がっていたのは、八咫烏の構成員の無惨な遺体だった。そしてその殺意は正確に、正体すら明かすことなく彼を“始末”した。
他の地点にも同等、あるいはそれ以上に危険な「何か」が潜んでいる可能性が高いと判断し、実地に踏み込むのは見送ったのだろう。
「……西部、北西部、北部、ならびに北東部の計四地点で、同一の人物が建物内に立ち入る姿が確認されました」
部隊長の声が室内に響き渡った瞬間、兵士たちの間に波紋のようにざわめきが走った。
「この者です」
室内の照明が一斉に落とされ、薄暗がりの中に四つの鮮明な画像が浮かび上がった。
毒々しい紫色の髪をした、猫背で顔色の悪い男が、それぞれの建物を平然と出入りする瞬間が捉えられている。
「よし、そいつが『クロ』確定だ! さっさととっ捕まえるぞ!」
しびれを切らしたように、ベスタが勢いよく立ち上がった。
「――待ってください」
しかし、リナはゆっくりと手を掲げ、突進のようなベスタの動きを制止した。
「彼は……九条クルルです」
「知り合いか、リナ殿?」
リナの言葉に反応し、サオリが聞き返した。
「……彼は確かに何を考えているか分からない、いけ好かない胡散臭い男ですが、『黒幕』って柄ではありません。彼の目的は、一貫して『天魔』の探求のはずです。ひょっとしたら、『異形天魔』を追う過程で、私たちと同じように『魔力奔流』へたどり着いたのかもしれません」
九条クルルという男の本質は、どこまでも探求心に突き動かされる「研究者」だ。「現象」に対して、不用意に己の手で汚すような真似はしない。
『天魔』という脅威に対しても、彼は一歩引いた外側から、客観的に観察するにとどまるはずだ。
「ただ、彼との接触は不可欠でしょう。彼の『目』は、私たちの誰よりも……“アオイ”に近い。彼にしか気づけないことが、あるかもしれません」
共に非能力者でありながら、世界の深淵へと迫らんとする者たち。見据える景色は決定的に違うが、思考のプロセスは似ているかもしれない。
「……では、リナ殿。スクルタス孤児院についての報告を頼む」
アオイの名が発せられた直後、サオリはリナへと静かに視線を向けた。
リナはそっと立ち上がり、慎重に言葉を紡ぎ始める。
「孤児院には、能力者が五名在籍しています。そのうち、戦闘能力が明確に確認できている者は、少なくとも三名います」
深夜の庭で互いに拳を交え、鍛錬に勤しむショウとツクヨ。そして、その二人をもってしても到底抑えられぬ絶対的な暴君――ハルカ。
足をダチョウのそれへと変異させるシズカや、そもそも戦いの場に参加すらしていないアリスについては、まだ戦力と言い切ることはできない。
「そして、彼らを含めた孤児院全体を統率しているのが、アオイです。私とベスタ様が追跡した『核のないゴーレム』を制作したのは、彼で間違いありません。そして、彼の協力者として、長医家のレイという少女が動いています。彼女は……」
リナはそこで一度、言葉を途切れさせた。息を呑む気配が、張り詰めた室内に伝播していく。
「……魔力奔流の発生地点で発見された八咫烏の遺体、その切断と同様の『技』を使用していました」
その報告が告げられた瞬間、再び兵士たちに動揺が走った。
「アオイってまさか、あの『天才少年』か……」
「計六人の能力者が……? だが能力者の比率なんて、本来は1%程度だぞ」
「あの孤児院には五十人程度しかいないはずだ。明らかに確率を超えている……異常だ」
兵士たちの口から、次々と驚愕と不審の声が漏れる。
「よし、そのアオイとレイとかいうガキたちが黒幕だ! さっさととっ捕まえに行くぞ!」
再びベスタは勢いよく立ち上がった。
「――待ってください、ベスタ様! まだ報告は終わってません」
身を乗り出す「英雄」に対し、リナは呆れたような視線を向けながら静止をかける。
「そのアオイですが、すでに行方をくらましている可能性があります。今朝、孤児院で緊急事態が発生したのですが、そこに彼は姿を現しませんでした」
「緊急事態……?」
サオリが眉をひそめ、静かに問い返した。
「はい、孤児院の能力者の一人であるハルカという少女は、他の子供たちに対して明確な敵意を向けています。その彼女が今朝、孤児院を襲撃しました……」
リナは言葉を区切ると、サオリをはじめ、居並ぶ兵士たち一人ひとりの瞳をまっすぐに見つめた。
「……彼女の襲撃は、この後も続くと思われます。ですが、アオイが不在の今、孤児院にはその暴威から身を守る術がありません! だから、皆さんの力で守ってほしいんです!」
ツクヨとショウ、そして自身やレイのような協力者を加えても、ハルカ一人すら止めることは叶わない。そこに彼女が手下を引き連れて襲来すれば、まず勝ち目はなくなる。
スクルタス孤児院を守るには、戦闘のプロの力が欠かせなかった。
「よし、ならば十三部隊は孤児院の警備に当たれ。ただし、我々が裏を探っている事実を悟られたくはない。緊急時を除き、孤児院の者に気づかれぬよう隠密を徹底しろ」
「「「了解!」」」
リナの切実な訴えを聞いたサオリは、拍子抜けするほどあっさりと部隊へ指示を飛ばした。
「……いいんですか、こんな簡単に軍を動かしてしまって……」
事もなげに下された命令に、リナは思わず疑問を口にしていた。
「必要であると、何よりも現場を知るリナ殿が判断した。なら私が行うべきことは決まっている」
サオリはリナに視線を向けることもなく、淡々とそう言い放った。
「私から共有することは三つある」
響き渡る凛とした声で、サオリは告げた。
「まずは、スクルタスへの増援が決まった」
その報告がもたらされた瞬間、兵士たちから安堵と歓喜の声が上がり、拍手が巻き起こった。
「おいおい、喜ぶことじゃねぇだろ!」
だが、その浮き足立った空気を力任せに切り裂くように、ベスタの荒々しい声が刺さった。
「私らだけじゃ、力不足だと判断したんだろ、サオリ?」
ベスタは、黄金の眸でサオリを鋭く睨みつけた。
「……正面戦闘ならともかく、隠れている相手を見つけ出すのに私やお前の『力』は何の役にも立たないだろう。とにかく今は人手が欲しい、そう判断したまでだ」
まっすぐに突き刺さる視線を、サオリは眉ひとつ動かさずに受け流した。
「あとはハリスについてだ。基本的には『情報部』の指示に忠実だが……コソコソとまた動き始めたようだ」
その名を耳にした瞬間、リナは思わず顔をしかめた。
(あの男、まだ懲りずに……しかも市長という肩書を手に入れた後も何か企んでるの?)
「奴は今、能力者へと変異し、その後リハビリプログラムを終了した者たちに向けて、メッセージを送っている。傍受した内容によると、新たに設立した『ハリス特別能力者軍』なるものに彼らをスカウトしているようだ。リハビリも兼ねた活動、という名目らしい」
(何その名前……自己顕示欲高すぎでしょ……)
センスを疑うような命名に、言いようのない不快感と呆れを抱きながらも、脳裏に浮かんだのはヒカルの父――斎藤ハジメの姿であった。
ヒカルの話から推測するに、リハビリ自体は問題ないか、あるいはすでに終了しているのだろう。しかし、その異能である「火」の制御には、未だ苦しみ続けているとも聞く。
「最後のひとつは、ルードゥス様からの連絡だ」
サオリの口からその名が出された瞬間、室内の空気が引き締まった。『最高神』の息子であり、『黄金の一族』の一員。一斉に兵士たちが背筋を伸ばした。
『親父たちが、インセラさんを使って何か企んでるっぽい。それもずっと前の、おれの“高祖父”世代より前から。引き続き調べるね』
「高祖父ってなんだよ……!?」
ベスタが不機嫌そうに眉を跳ね上げ、ガサツな声を上げた。
「曾祖父のもう一つ上、4代前だ」
サオリは表情ひとつ変えずに答えた。
世界を支配する神の一族が、世代を超えて脈々と受け継いできた陰謀。それは、一介の政治家の現在進行形の野望などよりも、ずっと根深く巨大な闇を予感させた。
「どうやら、天魔対策課も『最高神』か『黄金の一族』の命を受けて、この地に潜んでいるようだな」
天魔の『秘宝』を影で回収する天界の暗部「八咫烏」。インセラは彼らを『黄金の一族』の直属であると語っていた。
『……ただ、お二人の視点からでは、そう考えるのが妥当なのかもしれませんわね』
ベスタが『異形天魔』を隠匿する「黒幕」の正体を「八咫烏」だと断定した時、彼女は確かにそう言った。
『真実とは常に、見る角度によって形を変えてしまう、悲しい鏡のようなものですわ』
インセラは最初から、自分たちとはまったく異なる“角度”でこの戦況を視ていたのではないか……
「異形天魔」という明確な脅威。それを討伐しようとする「天界軍」。表の部隊に隠れ、神々の陰謀を実行しようとする「八咫烏」と「天魔対策課」。そしてその全員が、「黒幕」の掌の上で蹂躙され、沈黙させられている。
この盤面における真の勝利条件は、中心である「異形天魔」を見つけ出すことではない。
(誰が一番最初に、その掌から抜け出すか……あるいは、掌の主そのものを味方に引き入れるか)
「……九条クルルを探しましょう!」
リナが意を決して声を上げた。
「天才」が作った「禁域<ラビリンス>」へ、いかに安全に、そして最も深く踏み込めるか。
「彼の『頭脳』が、私たちには必要です」
クルルが目撃された地点は、西から始まり、時計回りに北西、北、北東へと順に続いている。極めて“合理的な”彼の行動原理からすれば、次の行き先は容易に予測できる。
「彼は必ず、最東端に現れる。先回りできれば、絶対に接触できるはずです」
レイの「アンプテーション」と同じ殺意が潜む倉庫。そここそが、九条クルルが次に足を踏み入れる調査地点のはずだ。
「よし! ならそこへは私とリナで行こう!」
ベスタが拳を強く鳴らし、勢いよく立ち上がった。
「『謎解き』なんざさっさと終えて、私は早く戦いてぇんだよ!」
そう……「謎」なのだ、アオイが残した壁は……
ベスタ・ルクセンブルクや御神楽サオリと正面からぶつかれば勝ち目はない。だからこそ、「兄」が作った「家族」を守る防護壁は、どこまでも緻密な「知略」なのだ。




