45話「孤児院の協力者」
「色々聞きたいことはあるんだろうけど、その前に一つ聞かせて……」
激闘の余韻が残る裏庭で、レイの声が静かに響いた。
「……ハルカの言ってたことは本当?」
アオイが、「新人」に過ぎない自分に“ここ”――スクルタス孤児院を託したのか。
その真意は、むしろ自分が一番確かめたいところだ。だからこそ、起きた事実をそのまま告げるほかに道はない。
「『任せよう』とは言われたわ。それと……」
口先だけの言葉では何の根拠にもならない。より明確に、アオイが自身に刻み込んでいったものを伝えなければならない。
「『Definition 1』っていうのを付与されたわ。信用はできないから、って……」
自分に科された『Definition 1』が、実際はどんな意味を持つのか。それは分からないが、他者に「ルール」を強制できる者など、そう多く存在するはずがない。
それに、アオイの「協力者」であるレイならば、何か知っているかもしれない。
「『Definition 1』……それが何なのかは知らないけど……」
しかし、期待に反してレイは所在なさげに首を傾げた。
「……信用はできない奴に、『制限』をつけて泳がせるのは、彼らしいと言われれば、彼らしい……」
レイはまだ瞳を細めてはいたが、すでにそこに疑念の色は宿っていないように見えた。
「……まあ、ハルカも言ってたし、それに、実際にアオイはいないわけだし……」
一定の理解を示すように、レイは小さく頷いた。
「なら、私も信用はしないけど、『協力』はする。というか、きっと私と同じような扱いだろうし」
そう呟いたレイの薄い唇は、わずかに歪んで皮肉めいた笑みを形作っていた。
「同じような……?」
リナが問い返すと、「外部の協力者って意味ね」と、レイは補足するように告げた。
◆
一階のリビングからは、朝食を囲む子供たちの賑やかな喧騒が、階段を伝って漏れ聞こえていた。
そんな日常の気配を背に、リナとレイの二人は静けさの残る二階の廊下を歩み、落ち着いて言葉を交わせる場として「アオイの部屋」を選んだ。
扉の前に立つと、レイはポケットから一本の鍵を取り出し、鍵穴に挿し込む。以前のように、ピッキングする必要はなさそうだ。
「私も、あと一時間したら出なきゃいけないから」
ガチャリと小さな金属音が響く中、レイは淡々とした声で告げた。
言われてみれば当然だ。あまりに落ち着きはらった佇まいと、圧倒的な実力のせいで忘れかけていたが、彼女もまだ小学六年生に過ぎないのだ。
「ひょっとしたら、アオイが来るかもしれないし……」
レイはぽつりと小さく呟く。その声には、彼女自身もその可能性が低いことを理解しているという諦観が滲んでいた。
(さて……何から聞きましょうか)
異形天魔や魔力奔流のことをいきなり聞きたいところではあるが……正直に答えてくれるか、そもそも彼女がどこまで真相を把握しているのか……
(なら、やっぱり『あの技』のことを聞くしかないわね)
ハルカの右腕を一瞬で切断してみせた技――「アンプテーション」。その切断面は、魔力奔流の発生地点、その最東端にあった八咫烏の遺骸のものと完全に一致していた。
いきなり真相に迫ってもはぐらかされるだけだろうが、技の性質として掘り下げていけば、自ずと手がかりに届くかもしれない。
「……あの技、凄かったわね。ほら、アンプテーションだっけ? ハルカの右腕を切断したの。あれ、どんなものなのかしら?」
声のトーンを整え、あくまでも純粋な好奇心の範囲を装って自然な流れで問いかける。
「……そういうの、時間の無駄だから普通に聞いて。知りたいのは、私の『能力』でしょ」
しかし、レイはひどく冷ややかな視線をリナに向けた。
「別に隠してるわけじゃないし。普通の能力だから……」
レイは片手をすっと広げると、その手のひらの上に水の球体をふわりと浮かべてみせた。
「……『水を操る能力』。別に珍しくもないでしょ」
丸く揺れる水の球体を前に、その言葉が落ちた瞬間、レイが見せた驚異的な治癒術式の練度の高さに納得がいった。
『水を操る能力者』たちは、水の魔力に対して極めて高い親和性と適性を持っている。たとえ緻密な魔法体系を完全に理解していなくても、感覚と本能だけで高度な水属性の魔法を扱えるのだ。
(……でも、やっぱり説明がつかない。あの『技』は……)
『水を操る能力』は、珍しいものではない。市販の初歩的な図鑑にも必ず記載されているような、最も基礎的な部類に入る異能だ。
治癒魔術に深く関わる魔力の一つ、「水」に適性を持つため重宝される力ではあるものの……
その攻撃手段は、せいぜい生み出した水塊をどうにか操作する程度でしかなく、標的を濡らすか、あるいは重みで突き飛ばすのが限界のはず……
「『ウォーターカッター』ってあるでしょ。あれと原理は一緒」
リナの表情から疑問を察したのか、レイは淡々と告げた。
「水を『超圧縮』して、一点から発射する。それだけ」
その簡潔な説明で、ようやく「白い刃」の正体が分かった。あれは、高密度に圧縮されたただの「水」だったのだ。
「……なら、『水を操る能力者』は皆、“あれ”を使えるの?」
この問いの答えは、八咫烏殺しの真相へと一気に近づく手掛かりのはずだ。
レイはそっと瞳を閉じ、顔をしかめた。どこまで手の内を明かすべきか、その境界線を慎重に見定めるかのように……
「……水の『圧縮』自体はできる。水鉄砲みたいな威力ならね。ただ、物体を切断するには、『能力』の圧縮だけじゃ、到底足りない」
レイは静かに顔を上げ、天井を見つめながら言葉を継いだ。
「私の場合は、両手で密閉された空間を作って、そこに水を生成し続けて超圧縮を作り出す。だから、その内圧に耐えられるように『身体強化魔法』も使えなきゃいけない」
リナは、レイの解説を聞きながら、彼女の小さく華奢な手のひらへと視線を滑らせた。
過酷極まりない行使工程とは裏腹に、その白い肌は年相応に傷一つない綺麗なものだった……水を操れるのなら、保湿などもできるのだろうか。
「その上で、何よりも難しいのは圧縮された水を発射するための『隙間』を一箇所だけ作ること。発射の瞬間は、内圧に耐えながら、両手を制御して極小の穴を作らなきゃいけない」
レイの手のひらの上で揺れていた水球の表面に、小さな穿孔が生じる。その穴からピューっと水が抜け、水球は儚く消えていった。
どうやら、これを高圧に圧縮し、極小の穴から噴射する技術が、アンプテーションの正体らしい。
「でも、それなら……」
リナの思考を先回りするように、レイは小さく首を縦に振った。
「理論上は、“誰でも”できる。水を自在に操れて、超圧縮を生み出し、極小の隙間を作れるなら」
彼女の言う“誰でも”とは、『水を操る能力者』に限った話ではない。精密極まる水の制御技術さえあれば、まさしくこの世界のあらゆる者が……
もっとも、その条件を満たせる者など、現実にはほとんど存在しないだろう。「天才」と呼ばれる人種を除けばだが……
(……可能性は、三割ってところか)
レイが魔力奔流の発生地点において、侵入者を排除している「掃除屋」である確率。実行が可能である事実、そしてアオイの「協力者」である立ち位置を鑑みれば、彼女が「禁域」の守護者である可能性は極めて高い。
だが、それならこうも正直に「アンプテーション」のカラクリを打ち明けるだろうか。
そもそも、守らなければならない「禁域」はスクルタスという広大な都市の八方に点在している。彼女一人で、四六時中すべての地点を監視し続けることはできない。そして何よりも……
現状、魔力奔流の主として最も疑わしい人物は、他ならぬアオイだ。そしてあの理外の「天才」には、「アンプテーション」を即座に分析し、完璧に再現し得ると確信させるものがある。
もし彼が真に「黒幕」であるなら、果たしてレイにこれほど危険な役割を委ねるだろうか……
(アオイが、こんなにあっさりと真相にたどり着かせるわけがない。もっと彼は、私たちの想定を遥かに超えてくるはずだ)
リナは錯綜する思考を整理し終えると、ふぅと息を吐いた。
「……ありがとう、有益な情報だったわ。それじゃあ、『本題』に入りましょう」
アオイが姿を消したスクルタス孤児院に迫る、最大にして火急の脅威。
今、この場所にいる誰もが心の底から恐怖しているのは、どこかに潜む異形天魔でも、街を脅かす魔力奔流でもない。
ツクヨとショウの二人がかりでも抑え込めない、絶対的な「暴君」――ハルカだ。
「あなた一人で、ハルカを止められる?」
リナはレイの瞳を覗き込んで問いかけた。
「……さっきは、状況が良かっただけ。開けた場所で、周囲に私たちしかいなかった。そして何より……ハルカが完全に油断していた」
レイは静かに首を横に振った。
「『アンプテーション』は、誤射の可能性を排除すると、味方が周囲にいる状況では絶対に選択できない。……もし、この『カード』なしでハルカと正面から対峙したら、私はまず間違いなく負ける」
謙遜する様子でもなく、自らの限界とハルカの圧倒的な実力を、客観的かつ冷徹に算出した結論のようだった。
「……なら、防衛策は『アオイを呼び戻す』しかないの……?」
リナは絞り出すように声を漏らした。
「……そうかな。アオイはあんたにここを託したんでしょ。なら、何かあるんじゃないの。ハルカを止める術が」
リナの顔に、射抜くような鋭い視線が突き刺さる。
実際のところ、手がないわけではない。
天界軍の戦力をこの場に介入させればいい。彼らは死線を潜り抜けてきた戦闘のプロ集団。その圧倒的な戦力でこの孤児院を護衛させれば、いかにハルカといえども容易に手を出すことはできなくなる。
だが、その選択肢を今、口にすることはできない。まだアオイ以外の者には、自分と天界軍の繋がりは隠せているし、何より自分が軍を意のままに動かせる絶対的な確証もない。
「詳しい事情は言わなくていいから、目処が立ってるのか、いないのか。それだけ答えて。それで私の動く優先順位も変わるから」
リナの葛藤を見抜いたのか、レイは冷たく問いかけた。
「何とか、できるかも……」
脳裏に浮かんだのは、騒がしい「バカ英雄」と、パワハラまがいの「横暴司令官」の姿だった。常識から大きく外れたあの二人の、実にシンプルな鶴の一声さえあれば、呆気ないほど簡単に軍は動きそうだった。
「そもそも、どうしてハルカは“ここ”やアオイを敵視するの?」
リナの投げかけた問いに、レイは首を横に振るだけだった。
「さあ。私とアオイが最初に会ったのは1年前だから、それより前のことは知らない……二人が元はどんな関係だったのかとか、何があったのかとかは全然……」
言葉の途中でレイは立ち上がり、そのまま机の前へと歩み寄った。そして引き出しの一つを無造作に開け、奥から一枚の古いチラシを取り出す。
「ただ……多分、これがヒントになると思う」
手渡されたチラシの裏には、鉛筆で簡素に描かれた建物の間取り図と、部屋ごとに書き込まれた子供たちの名があった。
「最初の頃は、誰がどの部屋なのかをそれにメモしてたみたい」
リナは紙面に指先を滑らせ、記された名を一つずつ追っていく。昨日、名簿で目にした子供たちの名前のいくつかが、整然と並んでいた。だが、その中に「強者」の名は一つしか見当たらなかった。
「……ハルカしか、いなかったの?」
リナの呟くような問いに、レイは小さく頷いた。
「そこにツクヨの名前がないってことは、彼女がここに来た4年前にはすでに紙にメモするのをやめたってことになる」
最初にハルカとアオイがいて、そこにツクヨがやって来た。そして、ツクヨが来た時点では、部屋の配置を紙に残す習慣はなくなっていた。
つまり、ショウやアリス、シズカといった面々がやって来たのはさらに後の話。
それが、この孤児院の刻んできた“流れ”というわけだ。
「……でも待って、この紙が正しいなら――」
リナは指先で紙面をもう一度なぞり、あるべきはずの名前を探した。
「――アオイの名前がない……?」
「そう……筆致的にそれはアオイ自身が書いたもので間違いないし、時系列的にも彼がいないとおかしい。でも、アオイの部屋はどこにもなかった」
そこまで口にすると、レイは今、自分たちがいる部屋を示すように床を指した。
「……なら、この部屋はもともと誰のものだった?」
リナは間取り図の配置と目の前の空間を頭の中で照らし合わせ、そこに確かに記されていた名をそっと呼んだ。
「ハルカ……」
レイは静かに目を閉じ、小さく一呼吸を置いた。
「元々ここは、『ハルカの部屋』だった。アオイは本当は、自分の部屋を持ってない。あいつは寝る時も作業する時も、基本リビングにいる」
「……なら、扉のプレートは?」
この部屋の扉には、「アオイ」と書かれたプレートがはめ込まれていたはずだ。
「あれは、図工の授業で誰かが作ったものみたい」
顎に手を置き、レイは瞳を閉じた。
「これは私の憶測だけど、アオイはまだ“ここ”を彼女の帰る場所だと思ってる。それで、その『空白』を守ってるのを見て、プレートを作った子はあいつの部屋だと思ったんじゃない?」
新しくやってくる子供たち全員に部屋を割り当てるとなれば、当然のように数は不足していくだろう。
滅多に帰ってこない問題児のために一部屋を割いて残しておくよりも、新しい子に部屋を回した方がはるかに合理的だ。
『ここまで落ちぶれて、家族ごっこを否定して、やりたい放題に暴れているあんたに……それでもまだ“帰る部屋”を残してあげている彼が……』
裏庭でレイがハルカへ投げつけた言葉が鮮明に蘇る。
その合理的な判断が下されるのを避けるため、アオイはこの空白の部屋を守り続けていた。ハルカが帰る部屋を失わないように……
(なら、ハルカがこの部屋の鍵を簡単に開けられたのは……)
帰ってきたハルカが、即座にこの部屋の扉を開け放つことができた理由。彼女も自分と同じようにピッキングで強行突破したのだとばかり思い込んでいたが……
(……ただ、“正規”の鍵を持っていただけ!?)
元々この部屋がハルカのものであり、アオイが彼女の帰りを待って鍵穴を変えずにそのまま残しているのだとすれば……説明はつく。
「じゃあどうして、魔法陣をこの部屋に……?」
確かに、この整然としすぎた室内には、日常を営む生活痕がまるで見当たらない。
だが、この部屋には魔術体系を一新してしまうような、高度な技術や知識が山というほど眠っているのだ。それを、ハルカが自由に出入りできる場所に保管するのはおかしい。
それではまるで、「暴君」の手へ、「天才」の英知を供しているようなもの……
「ハルカと、アオイがまだ繋がってる可能性は……」
孤児院を守る「兄」と、その平穏を破砕せんとする「姉」。相反するはずの二人が手を取り合うなど、論理的な計算からはおよそ導き出せない。
けれど、アオイは合理だけでは動かない。占い、運命、信用……緻密な論理を前提としながらも、彼の導き出す結論には、外部からは測れない「不確定要素」が混在している。
「それは、ありえない……」
即座にレイはリナの推測を撥ねつけたが、その拒絶の裏に潜む具体的な根拠を口にすることはなかった。
「……とにかく、あんたはハルカを止めるのを最優先にして」
壁の時計へと視線を走らせると、レイは短く告げた。
「わかった。大丈夫、こっちには『最強』がいるから」
リナは頷くとともに席を立った。
行かなければならない場所はすでに決まっている。穏やかな喫茶店――だったが、今や天界軍の司令拠点へと変貌を遂げた回顧録。
潜入一日目の報告を上げると同時に、ハルカへの警戒を強めるよう、要請を出さなければならなかった。
水を操る能力
水を自在に操作する
広く知られる能力のひとつ
この能力を持つ者は、水の魔力に高い適性を持つ
生命の根源は水である
ゆえに、その始終を決めるのも水である




