43話「未明の交渉」
「……それで、私はこれからどうすればいいの」
リナは意を決して、正面に座るアオイへ問いかけた。
「お前、『占い』を信じるか?」
しかし、返ってきたのは、あまりにも突拍子のない問いだった。その意図は、まったく読み取れない。
「……いえ、信じないわ。あんなの、誰にでも当てはまることをそれっぽく言ってるだけよ」
目の前の「天才」が好みそうな、合理的で冷ややかな回答をひとまず口にする。
「そうか……」
アオイはどこか煮え切らない様子で、わずかに息を吐き出した。
「……だが、感謝すべきだな。お前がまだ息をしてる一因は、間違いなく『それ』だからな」
「一因……?」
言葉の真意を確かめるように、リナは短く問いを返した。
「そうだ。ただのひとつの要因に過ぎない。……もう気づいてるだろうが、俺はお前を“排除”できない。『潜入者』が消えたら、まず間違いなくベスタ・ルクセンブルクと御神楽サオリは動く。それ“だけ”は絶対に避けなければならないからな」
アオイは表情一つ変えることなく、淡々と告げた。その落ち着き払った口ぶりは、『最強戦力』たる二人さえ動かなければ、残りの有象無象などどうとでも処理できる――そんな『傲慢』さが透けて見えた。
「それに、“あいつら”はお前を信じた。ショウとツクヨも、まだ警戒こそしているが、すぐに“排除”には動かなかった。まだ迷ってるんだろうな……」
――違う。
迷っているのは、ツクヨやショウだけじゃない。彼自身もなのだ。アオイは今、『リナ・フォーグナー』という存在を、どう扱うべきかという「答え」を得られずにいる。
「天才」としての論理と、「兄」としての目は、潜入者である自分を見逃すことの必要性と正当性を主張している。だが、まだ決定的な確証には至っていない。
この局面において、アオイは判断を絶対に誤ることができないのだ。彼一人であれば、天界軍だろうと八咫烏だろうといくらでもあしらえるだろうし、規格外の二人から逃げ切ることだって不可能ではないだろう。
だが、彼には「家族」という何よりも最優先で守らなければならない存在がいる。だからこそ、「外」と無用な衝突を起こすことだけは絶対に避けなければならないのだ。
(あと一押し……)
自分がこの孤児院の平穏を脅かす敵ではないと証明できれば、この底知れない天才は、最悪の障壁から一転して、最強の協力者となる。
では、この少年に対し、何を提示すべきか……
「……ハルカのこと、私に協力させてほしい」
リナは揺らぐことなく、アオイの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「彼女の暴走は、あなたたちにとって最大のリスクでしかないでしょ。それに……」
リナはそこで一度、言葉を区切った。
彼らにとっての論理的なメリットは提示した。だが、それだけではこの少年の信用を勝ち取ることはできない。アオイはすでに頭の中で、自分という存在をロジックとしては認めている。
あと必要なのは、計算や論理では語れない人間臭さだ。
「……ヒカルさんのお父様――斎藤ハジメさんを救う手がかりになるかもしれない!」
「斎藤さんの、父親……?」
アオイはわずかに眉をひそめた。
「ええ、ハジメさんは『異形天魔』の眷属に、『火の能力者』に書き換えられて――」
「――待て!」
リナの言葉を切り裂くように、アオイの鋭い声が室内を射抜いた。
「――『異形天魔』とは何だ?」
◆ ◇ ◇
「天魔」という存在の名を知る者は、極めて限られている。自分の知る限り、天界に身を置く一握りの者たち。そして、裏社会の実力者――天津キョウカと、得体の知れない研究者――九条クルル。
たとえ天魔という存在に関わり、運命を狂わされた者であっても、その名や意味を理解しているというわけではない……かつての自分がそうであったように。
「……能力者への変異の原因は、『マザーベース〈母艦〉』と呼ばれる存在……それで、魔力奔流の跡を辿るうちにここへたどり着いた、と」
いくら「天才」であっても、あらかじめ与えられていない未知の領域のことを知る由はない。知らないことは、まったく知らないのだ。
彼は、自分のように「0から100」を視る異能を持っているわけではない。
彼の恐ろしいところは、わずかな断片から、限りなく真実に近づく――「1から99」を推測してみせる頭脳なのだ。
「それで、斎藤ハジメさんは『火』系統の能力者になった……」
自分は、この孤児院に隠された秘密を解き明かす潜入者のはずだった……が、気づけば尋問のごとく追い詰められ、これまで手にした情報を何ひとつ残さず吐き出させられていた。
「……それで、ハルカの能力が『熱』に関するものだって、ヒカルさんから聞いたから、手助けになるんじゃないかって考えたんだけど……」
リナの言葉を受け、アオイは深く思案に耽るように、ゆっくりと目を閉じた。
「……ねぇ、こんだけ話したんだから、そっちも何か教えなさいよ」
緊迫した沈黙を破り、リナはアオイの思考を裂くように言葉を放った。
「……お前、面の皮が厚いんだな」
アオイは、どこか呆れを含んだ冷ややかな視線をリナへと向けた。
「……なら、一つだけ教えてやろう。ハルカの能力は、そっちが思ってるようなものじゃない。もっとプリミティブで、複雑だ。『熱』は、副次的に発生するエネルギーに過ぎない。『火』を制御する助けにはならないと思うが……」
それだけを言い捨てると、アオイは静かに椅子を引き、席を立った。
「……それじゃあ、ハルカの能力は一体――」
「――『運命』か……信用はできないな」
リナの切迫した問いかけをあっさりと無視し、アオイは何かの決断を下したように小さく呟いた。
「……だが任せよう、“ここ”のことは――」
アオイの小さな手が、リナの肩へそっと置かれた――その瞬間。
視界に……いや、脳裏に鮮やかな緑色のグリッド線が疾走し、真っ黒な虚無の空間が無限に広がっていく。
――『リナ・フォーグナー』に、「Definition 1」を付与します
温度も感情も一切排除された、己自身の無機質な声が脳内に直接響き渡る。
『Definition 1:Definition 1が付与されたオブジェクトに対する致命的な行為を一切禁ずる』
――信用はできない。だから、『制限』させてもらう
再び声が頭を直接揺らした。だがそれは己のものではない。
ついさっきまで会話を交わしていた、少年の冷徹な声だった。
◇ ◆ ◇
孤児院職員の朝は早い。なにしろ、数十人もの子供たちの胃袋を満たす朝食を作り上げなければならないのだ。調理場はまさに戦場となる。
薄目を開けると、アオイと言葉を交わした未明の景色と変わらず、自身は椅子に腰を掛けたままだった。身体を動かすと、肩にわずかな重みを感じる。視線を落とすと、一枚のブランケットが掛けられていた。
部屋の中央に目を向けると、レイが机に突っ伏し、穏やかな寝息を立てている。その背中にも、自分と同様のブランケットが掛けられていた。
調理場へと足を進めると、ヒカルと三人の職員たちが手際よく食材を刻み、次々と鍋に投入しては火にかけていた。
「すいません、私もすぐ……」
リナは調理場へと足を踏み入れる――
「――ああ、おはようございます、リナさん」
ヒカルは慌てたように駆け寄ってくるなり、なぜか全身で行く手を阻んできた。
「リナさんは……そうですね、子供たちの朝の準備の手伝いをお願いします」
ヒカルは顔を引きつらせながら話した。
だが、まだ子供たちが目覚めている気配はない。壁の時計に視線を送ると、まだ短針は「6」を指したばかりだった。
「いやいや、まだ子供たちが起きるような時間じゃありませんよ。私も手伝います――」
「――いえいえ! ……そうだ、じゃあ、院長の様子を見てきてください。まだ寝てると思いますが……」
とりあえず中の様子を窺おうとヒカルの身体を押してみたが、彼は頑なに立ち塞がり続けたため、調理場に背を向けざるを得なかった。まるで、自分が入ることに何か不都合でもあるかのように……
「……また、大さじだけで計られてもな」
三人組の一人の声が、背後から聞こえた。
「『一杯ずつの方が、愛情が入るんです』ってな。んなわけねぇだろ! ただのバカだな、あいつ」
「『肉じゃが』の作り方も知らないんじゃあ、話にならないぜ……」
一人の言葉に同調するように、次々と呆れた声が上がり始める。
どうやら、たった一度間違えただけだというのに、自分は調理場における「危険因子」として完全にマークされているようだった。
ヒカルは申し訳なさそうな表情を浮かべてはいたものの、彼らの言葉を否定はしてくれなかった。
「……私、戦力外ってことですか?」
「あはは……」
「いや、否定してくださいよ!」
リナの言葉に、ヒカルは乾いた笑いを漏らすだけだった。
◇ ◇ ◆
――んがっ! ンググ……
部屋の前に近づくまでもなく耳を打つその地鳴りのような寝息に、引きつった笑いを漏らさざるを得なかった。
朝という時間帯は、活動すらするつもりがないらしい……もっとも、無為に時間を浪費している点では、自分も同類なのだが――
――やめて! 離して!
しかし、豪快な寝息と冷ややかな思考は、突如として響いた悲鳴によって引き裂かれた。
(……外から? この方角と距離感なら……裏庭か!)
朝の微かな平穏を打ち砕くような、切実で切迫した助けを求める声に、リナは迷うことなく床を蹴った。




