34話「再びスクルタスへ」
転移魔法
対象を任意の地点に移送する魔術
完全な制御には極めて高度な知識を必要とし
驕った未熟者は土の下や壁の中など
あらぬ所へ埋まることとなる
天界はこれを禁忌とし、探求すらも許さない
黒々としたアスファルトの道。そびえ立つ鉄筋とコンクリートの建物群。ビルの壁面から目まぐるしく光を撒き散らす巨大なディスプレイ。
乗り物たちの鳴き声と、人々の喧騒に包まれたその地は、間違いなく慣れ親しんだスクルタスの街であった。
――ブー……ブー……
騒音を鋭く引き裂くように、ベスタのポケットの中の携帯端末がけたたましく鳴り響いた。
『おいベスタ! お前、どうやって一瞬でスクルタスに……いやそれよりも、リナ殿は無事なんだろうな!?』
スピーカー越しにサオリの焦燥を滲ませた声が響く。
「大丈夫だよ! リナは私の隣でピンピンしてる。……インセラの転移魔法を使っただけだ」
『転移魔法だと!? そんなものを隠し持っていたのか……』
困惑と驚愕の漏れた声が聞こえる。しかし、サオリはすぐさま気を取り直したように語気を強めた。
『とにかく、お前は暴れるなよ! 今から私も向かう。それまで絶対に問題を起こすなよ! いいな、絶対だぞ――』
だが、その必死の念押しが最後まで紡がれることはなかった。
ベスタが面倒そうに、スッと画面をスワイプし、一方的に通話を断絶させたのだ。
「よし! それじゃあ、行こうぜ!」
端末をポケットへと雑に放り込み、ベスタはニカッと不敵な笑みをリナに向けた。
目的地は決まっている。スクルタスの中心と八方のいずれか――魔力奔流の発生地点だ。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
スクルタス第二十三地区――街の最東端。現在地から最も近い魔力奔流の発生地点とされる場所はそこだった。
リナとベスタが並んで歩く中、ビルの壁面に取り付けられた巨大ビジョンが、大音量でニュース番組を映し出す。
『ハリス氏は、能力者による資源開発に積極的な姿勢を見せています。特に現在は、火や水系統の能力者の力を利用した発電や、電気系統の能力者から直接エネルギーを供給する新システムの構築を模索中とのことです』
画面の真ん中で自信に満ちた笑みを浮かべているのは、新市長として返り咲いた男、ウィリアム・ハリスだった。
『もちろん、協力していただいた能力者の皆様には、ふさわしい報酬を約束いたします! 我々が目指すのは対等な共生! これからは非能力者と能力者、ギブ・アンド・テイクの時代なのです!』
「また、能力者優遇かよ」
「結局、あの人も能力者だからな」
道行く人々が吐き捨てるように呟く。画面を見上げる人々の目には、市長選の頃のような熱狂はなかった。既にこの街にとって、「ハリス」というコンテンツは食い尽くされた後の殻に過ぎないようだった……
「あっ? 働いてやってるんだから、対価をもらうのは当然だよな!?」
「そうよ、今までが不等だったのよ!」
だが不満の声に反発するように、荒々しい怒号が上がった。
スクルタス以外の街でも、ハリスのように能力者がリーダーの地位につく事例が増えてきている。そしてそれに伴って拡大するのは、長年蓄積された差別の是正と、それに反発する人々の衝突であった。
「くだらない。能力者とか、非能力者とか、そんなのただの性質にすぎないのに……」
リナは冷ややかな視線を喧騒へ向け、小さく溜息をついた。
「……あいつらの気持ちも、わからなくはねぇ……誰も、そう生まれたくて生まれたわけじゃないからな」
しかしベスタは、どこか淋しげな眸を群衆に向け、一人呟いた。
深まる対立と喧騒を背に、二人は「英雄」というコンテンツを隠すようにして、路地の裏へと消えていった。
◇ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇
座標が示す地を目指して辿り着いたのは、住宅街の中にひっそりと取り残されたような古い倉庫だった。近づくだけで、剥げかけた塗料と錆びついた金属の匂いが伝わってくる。一見して、既にまともに使われていないことは明らかだった。
だが、その扉はほんのわずかに開いていた。
不可侵の領域――インセラの言葉がよぎる。異形天魔を隠匿しようとする何者かにとって、この魔力奔流の発生地点は、決して他者に踏み入らせたくない聖域。
天魔対策課の者すら帰還を許されぬ仕掛けがあるはずである。
「私が先に行く」
リナを押しやるようにして、ベスタが短く告げた。彼女は背の大剣の位置を指先で確かめると、静かに息を殺し、慎重に扉を押し開けていく。
「……どうやら、私のヤマは外れたみたいだな」
中の様子を一瞥したベスタの口から、苦々しい呟きが漏れた。
彼女の頼もしい背を追うように、倉庫の暗闇へ足を踏み入れる。そして、そこに横たわる光景を目にした瞬間、全身の血が凍りついた。
床の上に無残に転がるもの。身体を縦一直線に両断され、冷たい床に横たわる亡骸。その背には、カラスのような黒い翼が折れ曲がって重なっていた。
「……っ! この顔って……」
思わず息を呑んだ。真っ二つに裂け、血に染まったその顔立ちには、見覚えがあった。
「リハーサルの時の、『八咫烏』……」
表彰式典のリハーサルが終わった時、声をかけてきたあの青年。無明天魔の遺骸を回収すべく、回顧録に姿を現した仲介役。その彼は今、血の気を完全に失い、床の上に転がっていた。
「……魔力奔流の黒幕は八咫烏じゃねぇのか……リナ、そいつを視ろ! 誰に、あるいは何にやられたか……手掛かりがあるかもしれねえ」
ベスタは鋭い視線を暗闇へと向け、叫ぶように促した。
リナはこみ上げる恐怖を抑え込み、覚悟を決めると、震える指先で左手の革手袋を脱ぎ捨てる。剥き出しになった彼女の手が、冷え切った遺体へと触れた。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇
『スクルタスの最東端――魔力奔流の発生地点を調べろ。ただし、既に天魔対策課の連中も、うちの人員も相当数が消息を絶っている。最大限の警戒をしろ!』
指示と共に渡されたのは、詳細な住所であった。指定された住所へ向かうと、そこに佇んでいたのは古びた倉庫。
周囲に人影がないことを確認し、完全に閉ざされた扉へ手をかける。
静寂の中、扉を慎重に押し開く。
不可侵の領域――もしも魔力奔流を操る主が罠を仕掛けているならば、最初の殺意は扉にある可能性が高い。
だが、扉に触れても不吉な感触はなく、足を踏み入れても物音一つ、魔力的な変動も起こらない。
――ここまでは許される、ということか……
視線を闇の隅々へと巡らせる。だが、大規模な装置も、術式の痕跡もあるようには思えない。
一歩、暗闇の奥へと踏み出す――
――視界が裂け、地面が迫った。
それが、彼の見た最期の光景だった。
死の前兆も、敵の気配も、それどころか痛みすらまるでない。気づく間もなく、彼の魂の灯火は絶ち切られていた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「はっ、あ……っ!」
現実へと引き戻されると同時に、リナは激しく息を荒げて膝をついた。
彼の死の瞬間には、強い痛みを感じる暇さえなかった。しかし、最後の瞬間まで生にしがみつこうとする肉体の感覚は、生きている身体と魂には相容れないのだ。
「何か分かったか?」
緊迫したベスタの声が、暗闇に響く。
「……いえ、死因も何もかも。私たちが許されていて、彼が許されなかった理由も……」
同じ道を辿り、同じ扉を潜り、そして同じ暗闇へと足を踏み入れた。だが、自分たちを切り裂くような「何か」は現れなかった。
彼と自分たちの間には、見逃している違いがあるはずだ。それが殺意を動かすトリガー。そしてそれはきっと、この不可侵領域に入るために必ずしなければならない動作の中にあるはず――
「――リナ! 隠れろ!」
切迫した叫びが鼓膜を揺らす。それと同時、全身を浮遊感が襲った。
ベスタが自分を抱え込み、倉庫の壁際へと身を伏せさせたのだ。
「どうしたんですか!?」
「静かにしろ! 誰か来た……」
開かれた扉からの一条の光だけが、暗黒を力なく照らす。
倉庫内の静寂はやがて、徐々に強まっていく地を揺らす感覚によって砕かれていく。それはとても、人が歩く足音には思えなかった。
――ドスン……ドスン……
扉から差し込む光が、完全に遮られた。そこに立ち塞がったのは、ベスタの身の丈すら優に超える、デコボコとした歪な人型のシルエット。
その人型は入り口で一瞬だけ踏みとどまったものの、次の瞬間には何事もなかったように、重い地響きと共に倉庫の奥へと足を進めた。
再び光が差し込み、その姿がうっすらと露わになる。
丸太のように太い二本の脚と腕。その四肢の質量を遥かに上回る不格好な巨体。そして、それらを形成しているのは“地面”そのもの――
「――『ゴーレム<魔導人形>』か!」
怒号が響いた刹那、鼓膜を裂くほどの暴風が駆け抜けた。慌てて隣へ視線を向けるも、そこにベスタの姿はない。
急ぎ視線をゴーレムへと戻した時には、既に彼女は大剣を振り抜き終えていた。
一閃。ベスタの放った一撃は、正確にゴーレムの胸部を両断していた。土塊が爆散し、巨躯が崩れ落ちる――
「――違う。こいつ、『核』が中心にねぇ!?」
直後、飛び散った土が、まるで強力な磁石に吸い寄せられる鉄屑のごとき勢いで再凝集を始めた。集まった土塊から、新たな肉体が伸び、再び巨躯が組みあがっていく。
完全に復元されたゴーレムは、何事もなかったかのように、再びドスンと重く、確実な足取りで歩みを再開した。
「チッ! 面倒な小細工しやがる……!」
舌打ちとともに、目にも留まらぬ剣筋が幾重にも交差し、ゴーレムの巨体を切り刻む。
「運が悪ぃ……全然核にあたんねぇ」
ゴーレムという存在の本体は、物質を束ねて駆動させる『核』である。それは土や瓦礫、あるいは雪といったあらゆる材料を一か所に集束、制御し、仮初の肉体を構築する。
ゆえにどれほど外装を破壊されようとも、心臓部である核が無事である限り、周囲の物質を寄せ集め、永遠に再生を繰り返すことができる。
核は通常、制御効率から中心部――すなわち胸部に配置されることが多いが、弱点を隠匿するためにあえて別の部位へ仕込まれるケースもある。
だが、それでも今の状況は異常だ。
周囲の物体へ直接干渉するという高度かつ複雑な術式である以上、核は相応の容積を必要とする……
今、ベスタの振るう大剣はゴーレムの身体を文字通りみじん切りへと変えている。にもかかわらず、その剣筋は核に掠りすらしない。それは、運が悪いという一言で片づけられるような次元ではなかった……
「私が視ます! 核の場所なら、鑑定すればわかるはずです!」
リナは地を蹴り、走り出した。崩れ落ち、粉塵を撒き散らすゴーレムの足元へと滑り込む。
そしてそのまま剥き出しの左手を、再生し続ける湿った体躯へ力強く叩きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◇
点と点が結ばれ、眩い魔力の線を描き出す。その交錯する線の中を、絶えず膨大な光が駆け巡り続ける。無数に組み上げられた術式の網目は、まるで人間の脳を形作る「神経細胞<ニューロン>」のネットワークそのものだった。
そして、幾重にも重なり合う光の繋がりは三次元の立体へと展開され、人型を形成する……
(まさか……『核』が存在しないの!?)
このゴーレムの全身に張り巡らされた魔力ネットワーク、その結びつきこそが核だったのだ。それゆえに、既存概念の核は存在しない。この「思考する土塊」の本体は、今視ている光の網そのものなのだから。
ベスタの大剣がどれほど力任せに土塊を砕こうとも、干渉できるのは「土」という仮初の物質に過ぎない。実体なき本体には、決して届かない。
(……でも、逆にセキュリティは無防備そのものよ)
通常のゴーレムであれば、核という物理的かつ魔力的な障壁により、外部から直接、術式内部に侵入されるのを防げる。もっとも今の時代なら、容易く突破されることの方が多いのだが……
しかし、このゴーレムの防壁はそれ以上に脆弱。何しろ、中核をなす術式そのものが、剥き出しのまま晒されているのだから。
物理的な破壊に対しては完全な無敵を誇る反面、情報戦においてはあまりにも脆い。
(なら視せてもらいましょう! あなたが何を『考えて』いるのか)
リナは意識を研ぎ澄まし、術式の深層へと一気に潜る。そして脳裏へと流れ込んできたのは、無機質で絶対的なルールだった。
――原則
第一条:人間に対し、危害を加えない
第二条:第一条に反しない限り命令に服従する
第三条:第一条、第二条に反しない限り、自己を守る
――最優先命令
監視領域内で生体反応のない人体を発見した場合、指定した住所へ搬送する
「……っ、そういうこと、だったのね」
ベスタの猛攻を受けながらも、ゴーレムが一度として反撃の素振りすら見せなかった理由。それはそもそも根源の次元で、人間に対して危害を加えられない存在だったから。
そして、その歩みを止めなかったのは、倒れ伏す八咫烏の亡骸を回収するため。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◆
ベスタが大剣を構え直し、踏み込みとともに更なる一撃を叩き込もうと身体を捻った。
「待って! こいつは私たちを襲うつもりはないわ!」
「あぁ!? 何言ってんだ、こいつは今も……」
「違うの、こいつの目的は死体の『回収』よ」
このゴーレムは侵入者を排除する「殺し屋」ではない。この不可侵領域をただ機械的に管理する「掃除屋」なのだ。
そして、その行き着く先は、世界の因果を歪めている真の黒幕への道標となる。
リナはゆっくりと視線を上げ、ゴーレムの頭部を仰ぎ見る。湿った土塊の表面に刻まれたそれは、まるで幼い子供が戯れに描いた落書きのように、無骨で不揃いな目と鼻がついているだけだった。




