32話「天魔の法則」
『天魔』とは、淘汰による「進化」そのものである。それゆえ、現在の世界を構成する我々――既存生命体と、天魔がもたらす「新世界」は必然的に対立する。
天魔の顕現は単なる強大な個体の発生ではない。既存の世界体系と、それを刷新しようとする新たな体系。その二つの「生存競争」の開始を意味する。
――天魔の三法則
天魔には、その存在と顕現を規定する三つの基本となる法則――「唯一性」、「順序性」、「収束性」が存在する。
第一法則:唯一性
天魔は、同時に複数体が顕現することはない。ある時点において世界に存在し得る天魔は常に一体のみであり、前代の天魔が存在する限り、次代の天魔が顕現することはない。
第二法則:順序性
天魔は、無秩序に発生する存在ではない。その顕現は、『大預言者プラナリア』が記した『星霜の栞』に記された順序に従い、後代の天魔が前代に先んじて顕現することはない。
第三法則:収束性
天魔は、個体ごとに行動原理や活動過程に差異が存在するが、その最終的な目的は常に一致している。十分な活動を許してしまった個体は例外なく、「世界樹」への侵攻を試みた。
――天魔の種
天魔となる者は、あらかじめ定められている。ただし、その者が天魔として覚醒するまでの潜伏期間においては、通常の能力者との間に客観的差異は認められない。
このような、将来的に天魔として覚醒する存在を、便宜上「天魔の種」と呼称する。
天魔の種が行う世界への関与には、個体差が存在する。
天魔として覚醒する以前から、世界に対して何らかの活動を開始する個体が存在する一方で、覚醒を契機として初めて本格的な活動を開始する個体も存在する。そのため、天魔としての活動を開始していることと、天魔として目覚めていることとは、必ずしも同義ではない。
天魔の種には、通常の生命体とは異なる決定的な性質――「不死性」がある。天魔として覚醒する前の個体は、いかなる手段によっても討伐することはできず、天魔に対する直接的な討伐行為は、その個体が天魔として覚醒した後にのみ成立する。
――天魔の覚醒条件
天魔の種が天魔として覚醒するためには、三つの条件を満たす必要がある。
第一の条件は、第一法則に基づき、前代の天魔が世界に存在していないことである。前代の天魔が生存している限り、次代の天魔が覚醒することはない。
第二の条件は、覚醒に値する魔力を有していることである。天魔の種が保有する魔力には成熟度の差異が存在し、この差が覚醒時期を左右する。したがって、前代の天魔が死亡した後、ただちに次代の天魔が覚醒する場合がある一方で、次代の魔力が十分に成熟するまで、長期間にわたって天魔が存在しない空白期間が生じる場合もある。
第三の条件は、歴代の天魔と一致しない特異な魔力を有していることである。これは第二法則と密接に関連しており、単に十分な魔力を有するだけでは天魔として覚醒することはできない。
以上を踏まえ、次頁以降では「星霜の栞」に記されている天魔について、整理・列挙する……
――天魔対策課 インセラ著 『天魔の法則』
◆ ◇
リナは一度視線を書面から外し、窓の向こうに悠然とそびえ立つ巨木を見上げた。
「ねぇ、それ。面白いこと書いてある?」
背後から、チャラついた軽薄な声が届く。振り返る間もなく頭上から影が落ち、ルードゥスが長い身体を折り曲げて、広げていた本を覗き込んできた。
「……『星霜の栞』か。都市伝説じゃ定番だけどね。でも、本当に実在するのかなぁ。“僕ら”の中でも、現物を見た奴なんていないかも……」
「……なら、一体誰が……」
ルードゥスの言葉は、かえって謎を深めるだけだった。
リナは微かに指先を震わせながら、ページをめくる。
擦れ合う紙の音とともに現れたのは、隙間なくびっしりと書き連ねられた、膨大な「名」の羅列であった。
――『幽命天魔ジェナッサ』
最上段に書かれたその不穏な名を皮切りに、何ページにもわたって「天魔」の名を冠する者たちの名が並べられる。
そして、幾枚もの紙をめくり、リストの順を追っていたリナの指先が、ある箇所でぴたりと凍りついた。
「これって……」
――『豪絶天魔スルク』……13紀 1826年、地上の者たちにより討伐。
――『忘苦天魔レナ』……13紀 1910年、天魔対策課により討伐。
村人たちに裏切られ、怨嗟と未練の塊となって鎮座していた右腕の主。加藤や師匠、アランたちの記憶を預かっていたトランクケースの主。
忌々しくも強烈に脳裏に刻まれた彼らの名もまた、数多の文字の渦に埋もれるように記されている。
だが、さらに読み進み、ここ数年――ごく最近の記録に差し掛かった瞬間、リナの視線は釘付けになった。
「……急に、何もかも変わったわね……」
一つ目の違和感は、文字の書かれ方そのもの。それまでの記録は、全て印刷されたものだった。しかし直近の記録においては、天魔を冠する名のみが印字されているだけで、討伐記録や日時などの補足は、すべてメモのような手書きへと変わっていた。
さらに、これまで年単位でしか刻まれていなかった討伐日時が、いきなり日単位で記され始める。
その理由は一目で明らかだった。同年同月に倒される天魔の数が、異常な密度で急増した。
『ベスタ・ルクセンブルクにより討伐』
『御神楽サオリにより討伐』
二人の最強の名が、記録のほとんどを埋め尽くした。かつては数年に一度の記録だったものが、ひと月の間に何度も刻まれるようになる。
「うん。俺が生まれた後の50年分はあってるかな」
さらりと投げかけられた言葉に、リナは驚愕と共にルードゥスを凝視した。
若々しく、自分の兄程度にしか見えないその風貌。だが彼は今、自身の人生を二度繰り返しても足りない年月を生きていると口にした。
「……50年、ですか?」
呆然としたリナの問いかけに、ルードゥスは「おっと」と言わんばかりの仕草で、サングラスのフレームを指先で押し上げた。
「驚かせちゃった? まあ、こう見えても一応『神』なんでね。魔族とか、長耳族<エルフ>みたいなもんだと思ってよ」
彼は机に肘をつき、どこか遠くを見るような瞳でリストの後半部分を眺めた。
「ベスタちゃんとかサオリちゃんが戦うようになってから、天魔の討伐ペースが異常に早くなったんだよね。ほら、あの子たちが戦線に出ると、基本瞬殺だから」
ルードゥスは肩をすくめて軽快に話す。
「昔はもっとのんびりしてたらしいんだよ。天魔の特定だけでも何年もかかって……まあ、親父が最高神になったあたりで、その本を書いたインセラさんって天使が、効率的な方法を見つけたらしいけど……それでも、討伐に一年以上かかるなんてザラだったみたいだったし」
その言葉を聞きながら、リナは最後の討伐記録へと視線を落とした。
――『無明天魔エレボカペル』……13紀 2114年 革新の月 27日 ベスタ・ルクセンブルクにより討伐。
『無明天魔』の名のみが印字で、その他の「エレボカペル」の名や討伐記録は、ボールペンで殴るように書かれていた。
「……倒しても、すぐに次の天魔が顕れる……それが法則なら、ベスタ様たちが急いで倒すことに、何の意味もないんじゃ……?」
「さあね? ただ……」
ルードゥスは、無明天魔の名のすぐ下をそっと指さした。
――『異形天魔』
――『堕落天魔』
――『氷霧天魔』
――『穫命天魔』
――『滅火天魔』
スクルタスに潜むという天魔――あの悍ましい「マザーベース」すらも眷属とする『異形天魔』。そしてそれに連なる四体の討伐の記録も名もない不穏な存在。それが、リストの最後尾だった。
「……残り五体。つまり、ベスタちゃんたちがあと五回頑張ってくれれば、この長いお祭りもようやくお開きってわけだ」
そうルードゥスは軽く告げた。
「……それよりも気になるのは、最初の『幽命天魔ジェナッサ』。コイツにだけ、討伐のことが何も書かれてなくない?」
ルードゥスの指し示した書面を見つめた瞬間、リナは凍り付くような衝撃を受けた。
その名のもとには、他の天魔にある討伐日時も、討伐を果たした者の名も一切記されていない。ただ、不自然な空白と名前だけがそこに在る。
「いや、でも……討伐されてないと、おかしい……」
しかし、第一法則と第二法則がある以上、『幽命天魔』も死を迎えていなければ理屈が通らないはずだった……
「……まあ、最初の一体だし。記録つけようとか、誰も考えてなかったのかもね……」
ルードゥスの落とした言葉が、静まり返った図書館の空気に虚しく響いた。
「俺も……多分、親父たちも、『天魔』についてはほとんど知らないんだよね。じいちゃんが最高神やってた時に……何かゴタゴタがあったらしくてさ、引継ぎが上手くいってないみたいなんだよ」
ルードゥスは両手を上に向け、お手上げといった風に肩をすくめた。
「それこそ、天魔に関してはインセラさんに頼りっきりみたいだし。ただ……『家族会議』で何か言ってたかもな……」
ルードゥスは顎に指をあて、静かに目を閉じて記憶を辿る仕草を見せる。その一瞬だけ、いつものおちゃらけた空気は綺麗に消え去っていた。
「親父たち……いや、もっと『上』か……とにかく、『黄金の一族』は、『天魔』に関して何かを企んでた……気がする。まあ、こっちは俺の方で少し調べるか……はぁ、これからはサボらないで、ちゃんと『家族会議』に出るとしますか……」
上層を思いのままに行き来し、天界軍のトップであるサオリや厳格な聖騎士たちが躊躇いなく最敬礼を捧げる「神」。
薄々感づいてはいたものの、やはり彼は「黄金の一族」の一柱のようだった。
そんなルードゥスが口にした「家族会議」。日常の中で聞けば微笑ましい言葉だが、彼らが集うとなれば、それは世界の「最高意思決定機関」とほぼ同義。
しかし目の前のルードゥスは、面倒くさそうに首を回し、あくびをするだけだった。
◇ ◆
「……ということが、お二人がじゃれ合っている間にあったわけです」
陽光がわずかに傾きかけた昼下がり。雲ひとつない青空から降り注ぐ光を受けながら、リナは白亜の柱に静かに背を預けていた。
視線の先に佇むバカ二名へ向けて一通りの顛末を話し終えると、彼女は深々と溜息を吐き出す。
もちろん、図書館内部の椅子に腰掛けた方が、身体的には遥かに楽だろう。だが、目の前の二人組がまたいつ騒ぎ出すかもわからない。そんな余計な不安を抱えるくらいなら、どれほど立ち疲れようとも、外の風が通る場所で話す方がよほどストレスを感じずに済む。
「さすが、リナ! なあサオリ、私の言った通りだったろう!」
なぜか自分が称賛されたかのようにベスタは誇らしげに胸を張り、サオリに向けてドヤ顔を向けた。
「……なるほど。まさかこれほどの短時間で、それほどの情報に辿り着くとは……見事としか言いようがないな」
サオリは腕を組み、心底感心した様子で何度も頷く。
嫌味を込めて言ったつもりだったのだが、まったく伝わっていないようだ。このバカたちには、もっとオブラートを破り捨てて言わなければいけないらしい。
そんな能天気な二人がツボに入ったのか、あるいはリナの徒労に満ちた表情を察してか、ルードゥスは腹を抱えてゲラゲラと一人笑い転げていた。
「この本のおかげで、『天魔』という存在については概ね理解できました。でも、『異形天魔』を特定するには、ただの情報だけじゃ足りません。もっと実務的な……現場の生きた知識が必要だと思うんです!」
軽薄な空気を振り払うように、リナの声音が熱を帯びる。彼女は真剣な眼差しを、ベスタとサオリの二人へと向けた。
「だから……『天魔対策課』。そこに私を連れて行ってもらえませんか?」
しかし、その名がリナの口から滑り出た瞬間――空気が一変した。
ベスタは露骨に貌をしかめ、隣に立つサオリの視線も、鋭く冷徹な険しさを孕んだ。
そこに漂ったのは、明らかな拒絶の意志だった。
天魔の法則
天魔対策課のインセラにより書かれた書物
天魔について、書き記されている
彼らは、三つの法則に従い顕現し、存在する
天魔とは、非常に論理的な存在なのです




