29話「天界へ導く塔」
天導塔
シャリドールの街の中央にそびえ立つ巨塔
天界のペルフェクティオへと続く転移門がある
かつては天界の様式美を模した白亜の塔だったが
今では機能性を追求した
現代的な建造物へと変わり果てている
信仰と科学は相反しない
我らはその両方の恩恵を享けるのだ
『サオリ』――ベスタの口から漏れ出たその名。状況を鑑みれば、思い当たる人物は一人しかいない。
天界軍のNo. 2にして、『最高司令官』――巨大な軍隊の全権を担う者。
――御神楽サオリ。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
腰まで伸びた夜空のような深い青髪。ベスタには及ばないものの、190cmほどはあろうかという長身を、白の軍服に包む女性。
その傍らには、ベスタですら仰ぎ見るほど巨大な、銃機構の組み込まれた鎚が携えられていた。
「よお、サオリ。なんで私が帰ってくるのが……」
苦笑交じりにベスタが口を開きかけるが、サオリの鋭い視線がそれを遮った。
「スクルタスからお前が独断で消えたと報告があった。それも若い女を連れてとな。となれば、お前の目的地はここしかありえんだろう」
その言葉にベスタは、してやられたな、という表情を浮かべ、観念したように肩をすくめた。
どうやら、最高司令官の監視網と洞察力は、自由奔放な英雄の行動すらも手にとるように読み切っていたようだ。
「それで、この人は……公用か私用か、どっちだ?」
サオリの視線が、今度はリナへと向けられた。
その問いかけに、ベスタの眸が一瞬だけ泳ぐ。
「公用に決まっ……ヤベぇ。まだ報告してなかった……」
言いかけた言葉を即座に飲み込むベスタ。その言い訳の先には、ろくでもない未来しか待っていないことに気づいたようだ。
「いや、私用だ! 私の勝手で連れてきたんだよ!」
ベスタは慌てて訂正の声を張り上げたが、時すでに遅し。
サオリの端正な額には明らかな青筋が浮かび上がり、その顔はもはや、怒りに我を忘れた般若のそれへと変貌を遂げていた。
周囲の兵士たちが、巻き添えを食らうまいと一斉に数歩後退したのが気配でわかる。
(この質問、どう答えても怒られるのは確定なんだ……)
「公用」と言えば、無断で重要人物を連れ回した手続き上の不備を突かれ、「私用」と言えば、任務を放り出して個人的な情に流されたことを糾弾される。
詰んでいる。最初からベスタに逃げ場など用意されてなかったのだ。
「……ベスタ。貴様、私がどれだけ根回しに奔走したと思っている……」
ドスのある低い声が響く。
巨大な銃鎚の柄へ、サオリの手がゆっくりと伸びていく。
どうやら、天界の最高司令官は規律に厳しいだけでなく、怒りの沸点も相当に低いらしい……
「ま、待て待て! こいつはリナ・フォーグナーだ。報告書も上がってるだろ! 『異形天魔』の特定には、こいつの力が必要なんだよ」
ベスタが慌てふためいた様子でリナの肩を引き寄せ、盾にするように前へと押し出した。
その名を聞いた瞬間、サオリの形相がわずかに緩んだ。彼女は得物から手を離すと、記憶の断片を繋ぎ合わせるように目を細めた。
「リナ・フォーグナー……スクルタスの鑑定士か。ハリスの暴走を止め、さらには意識不明者の治療法まで見つけ出した……」
「そうそう、そいつだよ! それでこいつが、どうしても天界に行きたいって、私に泣きついてきたからよ!」
「えっ!? 私から言ったわけじゃ……」
調子のいい捏造に、慌てて否定しようとしたが、サオリから向けられた視線に言葉が詰まった。
「……どうせ、お前が無理やり連れ帰ったんだろ。お前には『前科』があるからな。気に入った駒を見つけると、周りの事情も考えずに引っこ抜いてくる、悪癖だ」
「無理やりじゃねえし! それにあの時は『リーヴァ』も承認してたじゃねえか」
ベスタが口にしたその名を聞いた途端、再びサオリの顔が引きつり、額の青筋が浮かび上がった。
「リーヴァ『様』だ! せめて公の場でくらい、呼び方に気をつけろ!」
「いや、あいつに様つけるなんて変だし……」
グダグダとベスタは不満を垂れ流し続けたが、サオリは完全に彼女を視界から締め出した。そして軍服の背筋を正すと、まっすぐな視線をリナの瞳へと据える。
「このバカが無理やり引きずり回して、すまなかった……だが実際、こいつの言う通り、私たちは相当な苦戦を強いられている。情報に長けたプロがいてくれるのは、我々にとっても間違いなく大きな助けとなる。……身勝手な願いで恐縮だが、どうか力を貸してほしい」
言葉を終えると同時に、サオリは深々と頭を下げた。
軍の頂点に立つ者が、自分のような一介の鑑定士に対して、一切の威圧感を捨てて頭を下げる――その誠実な姿に、驚きを隠せなかった。
それと同時に、彼女らが直面している事態が、平和な楽園とは程遠いものであるということも……
「私にできることなら……精一杯、努めさせていただきます」
緊張で上ずった声で答えると、サオリはわずかに口角を上げ、短く「助かる」と返した。
「……よし、これで全部解決だな! それじゃあ、さっさと行こうぜ」
能天気な声を放ったバカに、リナとサオリの冷たい視線が一斉に突き刺さった。
「あの……サオリ様……」
検問官の一人が、リナの方へうっすらと視線を向けながら、恐る恐る声を上げた。
「……彼女の、検査は……」
その恐縮した問いかけに、リナは思わず苦笑いを浮かべた。
確かに、彼らからすれば自分は突如として現れ、「最強の英雄」と「最高司令官」の双方に認められた謎すぎる人物。易々と、門を開くわけにはいかないのが当然――
「――問題ない、よな?」
地底から響くような、低く這うような声が響く。
検問官たちへと向けられたサオリの表情は見えなかったが、彼らの顔からは一瞬で血の気が引き、身体は石のように硬直していた。
「「「――何も問題ありません!」」」
絶叫に近い声で、検問官たちが一斉に声を揃えた。
その言葉を聞くや否や、サオリは何事もなかったかのような足取りで歩を進め始めた。その後に続くベスタは、隠す気もなく肩を大きく揺らしていた。
「最強」の二人による、あまりにも「横暴」な振る舞い。
リナはこれから巻き起こるであろう波乱を予感せずにはいられなかった。
◇ ◆ ◇ ◇ ◇
天を穿つように高くそびえ立つ――「天導塔」。だが、物理的に「天界」と繋がっているというわけではない。
この塔の頂付近にあるであろう『転移門』と呼ばれるゲート。それを通ることで、「地上」とはまったく位相を異にする空間――すなわち、天界へと移送される。
まあ、具体的な場所や構造を気にする必要はない。検問さえ通り抜けてしまえば、あとは人類の叡智――「エレベーター」に身を委ねるだけで済む。密閉空間で揺られているうちに、箱ごと転移門を通過し、気づけば天界――ペルフェクティオへ到着しているのだ。
(まったく、便利な時代になったものね……)
かつて天界の様式美を模し、この建物が白亜の巨塔として鎮座していた古の時代。当然、そんな時代に「エレベーター」なんてものがあるわけがない。では当時、人々はいかにして高みへ至ったのか、簡単な話だ。
ただ登る、ひたすら登る。数千とも数万とも囁かれる石段を、闇雲に踏破し続ける。ただそれだけ。
今でも過去の歴史を伝える展示物としてその大階段は残されているが、わざわざ足を踏み入れる者などまずいない。
エレベーターホールへと足を進めながら、リナは傍らに佇む階段の入り口へと視線を滑らせた。
微かな灯に照らされたその不気味な開口部は、まるで自分を吸い込まんとする口のように、気流を渦巻かせていた――
「――“そっち”は無しだぞ」
思考を裂くように、ベスタの声が響く。彼女の視線は、「人類の叡智」の結晶へと向けられていた。
「あたしらが乗り込んでみろ、速攻で包囲されるのが目に見えてる」
「同感だ。まったく、有名税というやつだな……」
ベスタの吐き捨てるような言葉に、サオリが淡々と頷く。
天界の顔とも言える二人だ。エレベーターという密閉空間に彼女たちが現れれば、そこは瞬く間に熱狂的なファンとパパラッチが群がる戦場へと姿を変える……
「というわけで、足腰を鍛える良い機会だな、リナ」
「あ……」
リナの開いた口が塞がるよりも早く、ベスタとサオリは何の迷いもなく、最初の一段に足をかけていた。
かくして、延々と続く地獄の足踏みが幕を開けたのである。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
厚い石壁をくり抜いたような窓から覗くシャリドールの街並みは、一段を踏みしめるごとにどんどんと遠ざかっていく。
現代風の外観や他の内装とは真逆の、剥き出しの不均一な石段。塔全体の改修の時も、まともに使われることなど想定されていなかったのだろう。あちこちが風化して欠け落ち、不規則で不快な高低差が襲いかかってくる。
最初の数百段くらいまでは、古き時代の面影を残す趣深い造りだ、と感銘を受ける余裕もあった。だが、千を超え、さらにその倍を数える頃には、足腰を蝕む圧倒的な疲労の前に視界から情緒など一切吹き飛んでいた。
「それで、リナ殿をどこに連れて行くつもりなんだ?」
「まずは知識だろ……なら、“あそこ”しかねえだろ?」
先を行くサオリとベスタの声が、頭上から降ってくる。
「……ベスタ、わかってるだろうが、あそこは『上層』だぞ!」
声を荒らげたサオリの声が、石段を登る規則的な足音を引き裂いた。
「私や貴様は例外として入域を許可されているに過ぎない。あの場所に、地上から来たばかりの人間を招き入れるなど……『上』が許すわけないだろう!」
サオリの口にした『上』――それが意味するのは、恐らくその上層に住まう「最高神」や「黄金の一族」といった、この世界の頂点に君臨する絶対的な権力者たちのことなのだろう。
「良いかベスタ、冗談じゃ済まないぞ。上層に無許可で入るなど、『叛逆罪』そのものだ!」
サオリの至極まっとうな正論に、リナは思わず自分の足元を見つめた。
必死に登り続けるこの階段の先に待っているのは、温かな歓迎などではなく、天界の枢密に触れるためのドロドロとした政治的な泥沼なのかもしれない。
「なんとかなるだろ! ……それに、そんなに心配なら、お前もついてくればいいだろ? さすがに私らが揃って横に並んだら、『上』の連中だってうるさく言えねえはずだろ」
しかし、リナの不安もサオリの剣幕もどこ吹く風で、ベスタはあっけらかんと笑い飛ばした。
そのあまりに軽い返答に、別の意味で心臓が跳ね上がる。
絶対的な戦力を盾に、最高権力にすら有無を言わせない。それはもはや、純然たる武力による脅迫そのものだった。
「貴様というやつは……私に、一緒に職権乱用をしろと言うのか?」
呆れと憤怒の混ざり合ったサオリの声と、それを笑い流すベスタの声は、静かな石壁に反響しながら、どんどんと上空へ遠ざかっていった。
◇ ◇ ◇ ◆ ◇
(ヤ、ヤバイ……!)
ついに、完全な静寂に包まれてしまった……自分の足音と呼吸音しか響いていない。
ベスタの爆音のような笑い声も、サオリの怒鳴り声も完全に途絶えて久しい――
「ちょっとは私に合わせろや……!」
規格外の脚力を持つ二人への恨み節は、虚しく反響するだけだった。
休憩がてら石段に腰を下ろし、現状の数値を脳内に弾き出していく。
(ここまでで……三千段、のはず)
スクルタスで最も高い建築物の高さは、600mほどだった。下から見上げた天導塔の全貌と対比させるならば、この巨塔の高さはおよそ1000mといったところか。
足元の古の石段は、現代の見慣れたものに比べればかなり低い……一段あたり13cmといったところだろう。
ならば単純計算で、七千と七百段ほど登れば、頂上にたどり着ける――
「――まだ半分も行ってないじゃない!」
思わず叫びが漏れるが、頭を振って絶望を吹き飛ばす。
この不均一な石段は、段差が低いわりに一段あたりの奥行きが無駄に広い。自分の身体機能では、一秒間に二段踏破するので限界だ。
ということは、全体にかかる時間はおよそ1時間。ここまでで三千段登ったのだから、残りは40分程度……もちろん、疲労の存在しない理論上の超人ならばの話だが……
だが、数値という終わりが見えたことで、少しは疲労感もマシになった。もっと途方もない――それこそ、丸一日この地獄に耐え続けなければならないのかという本能的な絶望に比べれば、遥かに楽である。
思考の勝利である。知性をもって現状を把握し、肉体と精神の負担を減衰させる――これこそが「人類の叡智」というものだろう――
「――ん?」
小さな安堵に胸をなで下ろした、まさにその瞬間。
脳裏に、冷や汗が吹き出すような最高にして最悪の答えが閃いてしまった。
――いや、ダメだ!
この答えを掘り下げて、現実を直視するわけにはいかない。
リナは即座に思考を凍りつかせ、再び目前の一段に足を踏み出し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆
果てしない階段を登り切った先にあったのは、「転移門」などではなかった。
視界が不意にひらけ、眼下に広がったのは地平の果てまで続くかのような都市の光景。
どうやら、動作として門を潜り抜けるというわけではなく、階段のどこか途中にあった門を自然と通過し、そのままペルフェクティオ――天界の地へと足を踏み入れる構造になっていたらしい。
まず目に入ったのは、やはり遥か遠方にそびえ立つ『世界樹』。天導塔など比にもならない巨木が、雲一つない澄み切った青空を穿っている。
街並みそのものは、シャリドールと大きくは変わらない。コンクリートや鉄筋の近代的な建物と、神聖な気品を纏わせる白亜の建造物が共生し、その石畳の上を多種多様な種族が行き交っては活気ある声を響かせる。
そんなおとぎ話や画面の向こう側でしか見たことのなかった美景。本来なら心を揺さぶられ、深い感動に浸る場面なのだろう。
だが、今のリナの視線は、目の前の到底あってはならない光景に釘付けになっていた。
賑やかな大通りに面したオープンカフェ。そのテラス席の周囲には、溢れんばかりの人の群れが出来上がっていた。集まった人々は、その中心へ競うように端末のレンズと、羨望と熱いまなざしを向けている。
狂乱の中心に腰掛けていたのは、二人の長身の女性だった。彼女たちのテーブルの上には、水滴を纏ったキンキンに冷えたアイスコーヒーと、色鮮やかなグラデーションを描く豪勢なパフェが並んでいる。
二人のうちの片方――燃えるような赤髪は、時折群衆へ気安く手を振り、求められるままに握手に応じる。その一挙手一投足に、周囲からは割れんばかりの歓声が上がった。
もう片方――夜空のような青髪は、人目を一切気にすることなく、誰かを待つように、だが着々と己の前のパフェを食べ進めていく。その凛とした振る舞いに、カメラのフラッシュが止むことはなかった。
「――随分と、ごゆっくりなさってますね!?」
突如として上がった声に、二人が同時に視線を向けると、人の波を強引にかき分けるようにニッコニコの笑みを張り付けた銀髪の女が、自分たちへと進み出ていた。
「おう、リナ! 遅かったな。もう三杯も飲んじまったぜ」
能天気な言葉が響いた瞬間、その女の目元がピクッと引きつった。
「……私が遅かったんじゃなくて、あなた達が早すぎるんですよ……おかわりまで頼む余裕があるなら、迎えに来てくれればよかったじゃないですか」
女は、笑みを顔に張り付けたまま、静かに己の背後を指さした。
――ピコーン。
澄んだ電子音とともに、開閉式の自動扉が左右へとなめらかに滑る。その向こう側から、疲労の色など微塵もない大量の人々が、ペルフェクティオの地へと足を踏み出していた。
人類の叡智の結晶――エレベーターを使えば、シャリドールからペルフェクティオまで、たった3分で到着する。それも、箱の中でただ立っているだけで……
「私まで地獄の階段上りに巻き込まれる必要、なかったんじゃないですか!? 私一人ならエレベーターに乗ったって、何の問題もなかったですよね!?」
リナの心底恨めしそうな瞳が、痛み一つ知らず天界に至った者たちへ向けられる。
「確かに……さすがはリナ殿だ。我々には、とても思いつかないアイデアだな」
サオリが、感銘を受けた様子で神妙に呟いた。
「……ということで、英気を養わせていただきます。すみません店員さん、メニューのここからここまで、全部お願いします!」
ドスン、と席へ腰を下ろしたリナは、やってきた店員へ大胆に指を走らせた。
金額のことは心配しなくていい。すべて、このバカ英雄と、どこかズレた司令官に支払わせるのだから……




