28話「竜喰らい」
竜
太古の時代から生きる圧倒的な生命
一般的に四肢と二翼を持つとされるが
その姿は種により異なる
彼らはかつて皆、名を持つ強大な存在であったが
悠久の時は名を奪い、我を忘れさせた
そして浅ましい獣へと堕ちたのだ
大通りから逸れた湿り気と暗がりが支配する裏道。そこに佇む露店の前で、ベスタは足を止めた。
「ここは一部のマニアしか知らねぇ店だ」
ベスタが自信満々に指し示したその店は、およそ清潔感とは無縁の、煤けた木造の店だった。
こんがりと焼かれた肉の香ばしい匂いと、鼻を刺すような野生の獣臭、そして正体不明の甘ったるい香り。
独特な雰囲気に気圧されながらも、恐る恐る陳列棚を覗き込む。
濁った瓶の中で、不気味な粘液に浮かぶ緑色の瓜――「きゅうりのスライム漬け」。
小皿の上に無造作に乗せられた茶色の物体――「レッドモンキーの排泄物」。
コップを満たす半透明の液体――「トロールの鼻水」。
「う……っ」
反射的に口元を抑える。
これまで、数々の凄惨な過去や重い歴史を視てはきたが、目の前に並ぶ「ゲテモノ」たちは、まったく別のベクトルで精神を削りに来ている。
「スライムとか猿の糞は喰うなよ。腹壊すからな」
「……当たり前です! そんなもの、言われなくても口にしません!」
ベスタは親切心に満ちたアドバイスを投げかけながら、躊躇なく店の暖簾を潜っていく。
リナは青ざめながらも、その背中を追うしかなかった。
薄暗い店のカウンター席では、やる気の欠片も感じられない店主が一人、椅子に腰を下ろしていた。
彼は自分たちの入店にすら顔を上げることなく、ただ新聞をめくる音だけを響かせる。
「おいオヤジ、いつものセットを二つくれ」
乱暴な注文を聞き終えた店主は、返事もなく、億劫そうに重い腰を上げる。
リナは、これから運ばれてくるであろう未知の衝撃に耐えるべく、革手袋の中の拳を固く握りしめた。
店主はおよそ接客業とは思えない無骨な動作で、二つの大皿と妙に大きなジョッキをテーブルに叩きつけるように置いた。
「……竜頭焼きと、竜の血とリンゴのミックス……」
「これだ、これこれ!」
ベスタは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、無造作にフォークとナイフへと手を伸ばした。
皿の上に乗せられていたのは、硬質な鱗のまま、こんがりと焼き上げられた巨大な頭部。剥き出しの牙と、どこか恨めしげな眼が自身を射抜いている。
そして、横に添えられたジョッキの中身は、およそ飲料とは思えないほど深い赤黒色の液体。リンゴの爽やかな香りと、鉄臭い匂いが入り混じった奇妙な蒸気を放っていた。
「あれ? オヤジ、今日はいつもと違うな?」
ベスタはふと手を止め、皿の上の肉塊をじっと見つめた。
「ああ、今日はアイスドラゴンだ」
無骨で素っ気ない返答が、紙の掠れる乾いた音に混じって返ってきた。
「おお、珍しい! あいつら基本、人の生活区には降りてこねえから討伐されねぇんだよな。当たりだぜ。よかったな、リナ!」
ベスタは満面の笑みを浮かべ、リナの肩を叩いた。
何が、どう「よかった」のか。頭の中の知識をフル稼働させても、この状況の正解が全くわからなかった。
引き攣った笑みを貼り付けるリナの正面で、既にベスタは慣れた手つきで頭を切り開き始めていた。
わずかでも時間を稼ぐように、ゆっくりと震える手でカトラリーを手に取る――ふと、違和感が胸をよぎった。じっくりと金属の表面を見ると、そこには精巧な術式が刻み込まれていた。
リナは人目を盗むようにこっそりと左手の手袋を外し、剥き出しの指をナイフへ直接触れさせた。
――「竜特効」
特定の対象が持つ、特異な防壁や耐性を中和する刻印。
なるほど、目の前に並べられたカトラリーは、竜の頑強な鱗を強引に剥がし、中の肉へ到達するための専用魔道具だったわけだ。
ただ一皿の食事を味わうためだけに、兵器と変わらぬ術式を用意する。この店の異常さに、改めて背筋が震えた。
――バリ。
意を決してナイフを突き立てると、硬い音を立てて、強固な鱗が弾け飛ぶように剥がれ落ちた。姿を見せたのは、白い肉だった。
氷を纏う竜というイメージから、内部の肉も凍りついているのかと想像していたが、実際はその真逆。鱗の中から溢れ出したのは、湯気を上げるほど熱々の肉汁と、野性味に満ちた濃厚な脂の香りだった。
「……冷たい物かと思ってましたが、熱々なんですね」
「当たり前だろ。焼いてんだから」
ベスタは器用にナイフで肉を切り分けながら、素っ気なく答えた。
「こいつらが他のドラゴンと違うのはな、死んだ後も焼かれる瞬間まで、自分自身の魔力でずっと冷凍されてるとこだ」
ベスタは大きな肉塊を口へ放り込み、咀嚼しながら器用に喋り続けた。
「だから、驚くほど新鮮なんだよ。普通、ドラゴンの死体ってのは回収してから市場に出回るまでどうしても時間がかかるからな。その間に傷んで、結構な臭みが出るんだが……こいつにはそれがない。純粋な肉の旨味だけが閉じ込められてる」
「鮮度、ですか……」
ナイフの先端が、淡く輝く白身の肉へと滑り込む。ナイフの切れ味はさほど良いようには見えなかったが、肉塊はまるでバターかのように綺麗に切り分けられた。
覚悟を決め、小さく切り出した一片を、恐る恐る口へと運ぶ……
噛み締めた瞬間、じゅわっと熱々の脂が口いっぱいに弾けた。脂のコクが肉本来の旨味をぐっと引き立て、噛むほどに濃厚な味わいが口腔に広がる。だが、決してくどい脂っぽさではない。
強いて言えば、味を引き締める専用のソースなどがあれば、さらに完成度が増すかもしれない……
「悪くない……」
思わず本音が口から漏れ出た。
その率直な感想に、ベスタは満足したようにニヤリと笑みを浮かべた。
しかし、至福の時間は長くは続かなかった。ナイフをさらに奥へと進めようとした瞬間、刃先がカチリと硬い感触にぶつかった。
頭部という複雑な構造ゆえか、可食部は驚くほど薄く、すぐに強固な頭蓋骨が進路を阻んでしまう。
「……これで終わり?」
不完全燃焼に困惑するリナを、ベスタがニヤリと笑いながら覗き込んできた。
「やっと前菜が終わったな」
ベスタはそう吐き捨てると、己の目の前の皿へ視線を落とす。そのまま、手にしたナイフの先を眼窩の隙間へと滑り込ませ、テコの原理で頭蓋をこじ開けた。
「この眼と脳みそ。これが主役だよ。肉なんて、市場に腐るほど出回ってるからな」
「……眼と、脳?」
リナの顔から、再び血の気が引いていく。先ほどまで抱いていた穏やかな味覚の余韻は、一瞬で吹き飛んだ。
思考や記憶を司る――個が個である理由ともいえる「脳」という部位を食す行為は、禁忌に触れるような気がした。
「……ああ、分かるぜ。確かに、ここを開けるのはコツがいるからな。慣れるまでは難しいよな」
しかし、沈黙を技術的な戸惑いだと勘違いしたのか、ベスタはリナの目の前の頭をあっさりとこじ開けた。
頭蓋の奥に鎮座する脳。
強大な魔力を秘めた生物。古の時代から生きる高位な存在。そんな竜という種族のイメージから、その思考を司る器官もさぞかし巨大なものだろうと推測していたが……
しかし、実際に目の当たりにしたそれは、意外なほどに小ぶりだった。
「……これを食べるんですか?」
「何言ってんだ。ここの醍醐味だぞ」
目の前の英雄は、既にスプーンで「それ」をすくい、迷いなく口へと放り込んでいた。うっとりと頬を緩ませるその姿は、真の美食を味わっている者のそれだった。
だがどうしても、その一歩を踏み越えられない。
リナは逃げるように視線を横へとずらし、大きな眼球を見つめた。
(こっちなら、まだ……)
一抹の畏怖を覚えながらも、巨大な球体に刃を入れ、小さく切り分けて口へと運ぶ。
「ん……」
眼球そのものは、特に美味しくも不味くもない。一緒に削ぎ取れた柔らかい組織には、頬が落ちるような濃厚な味があったが……
眼球自体の食感は、硬そうな外見とは反して異様なほどに柔らかい……強いて言うなら、弾力のあるゴムのよう。
もしこの料理に味付けが施されていたなら、印象も変わったのかもしれないが、素焼きでは、残念ながら素材そのものの無味が際立ってしまう。
「目玉ってのはよく動かす部位だろ。だから、その周りの筋肉はうめぇんだ! その旨味を噛みしめながら、目の食感を味わうんだよ」
ベスタはお手本だと言わんばかりに、次々と切り分けた目玉を口へと運んでいく。
なるほど、役割分担があるわけだ。目の周りや裏側に存在するゼラチン質な筋肉が濃厚な味わいを。中央の眼球部分が食感を。
それらを同時に口に含めば……
「……美味しい、かもしれません」
ゼラチン質のねっとりとした味わいは、先ほど口にしていた白身よりもはるかに深いコクを持っていた。その濃厚な旨味と、淡白な眼球の弾力が口の中で混ざり合うことで、絶妙な濃淡を生み出す。
味が引いていく瞬間と、眼球の食感がほどよく解けて飲み込める大きさになる瞬間。
その最高のタイミングを探すうちに、二つもあった巨大な球体は、いつの間にか皿の上から姿を消していた。
「これで、お終いだというの……」
「まだ終わりじゃねぇだろ!」
絞り出すようなリナの呟きに対し、ベスタは不敵な笑みを浮かべ、竜の頭蓋の真ん中を指した。
そこには依然として、「それ」が鎮座している。
ごくり、と唾を飲む。視界に入る物体への忌避感は、今なお拭い去れない。
だが、目の前に座る英雄の舌、そして竜という食材への信頼。心の中の天秤は、ゆっくりと、だが確実に食への探求心へと傾き始めていた。
意を決し、スプーンを手に取る。
刻まれた竜特効の術式のゆえだろうか。脳という肉塊は、プリンのように簡単にすくえた。
ぷるぷると震える未知の物体を見つめながら、慎重に、舌の上へと乗せる――
最初に伝わってきたのは、信じがたいほどに滑らかな舌ざわり。非常にきめ細やかで、白子を思わせる濃厚な感触。
だが遅れて追いついてくるのは、クリーミーな質感とは真逆の極めて淡白な味わいと、強烈な肉の臭み。
あきらかに人を選ぶような癖の強い味と臭い。だがそれと同時に存在する、禁断の果実とも取れる背徳的な舌触り。この濃厚な感触の虜になってしまえば、二度と普通の食事には戻れないのではないか――そんな危うささえ、その一口からは感じ取れた。
リナは最後に残された、ジョッキの中の禍々しいほどに赤い液体――「竜の血とリンゴのミックスジュース」へと視線を落とした。
硬質な鱗を剥ぎ取り、眼球を噛み砕き、脳を飲み込んだ――今の彼女にとって、ただの液体に過ぎない「血」など、もはや恐るるに足らない存在となっていた。
リナは迷いなくジョッキを掴むと、喉を鳴らして一気にそれを呷った。
「グビっ……!」
喉を通り抜ける際、確かにわずかな鉄分特有の生臭さが鼻を掠める。しかし、それ以上に力強く、爽やかなリンゴの香りが追い風のように吹き抜け、不快な雑味を一瞬でかき消した。
血の野性的で滋養に満ちた苦味と、完熟したリンゴの透き通るような甘味。相反する二つの要素が、口の中で完璧なバランスで溶け合い、これまでの「ゲテモノ」の重みを浄化していくような、驚くべきハーモニーを奏でた。
「……っ、これは、間違いなく美味しい!」
思わず瞳を輝かせて歓声を上げたリナに、ベスタは我が事のように胸を張って豪快に笑った。
「だろ? ここの親父の配合は絶妙なんだよ。それに、竜の血は魔力の源みたいなもんだし、リンゴはその吸収を早める。気付け薬として最高の一杯だ」
空になったジョッキをテーブルへ置く。
不眠と恐怖による途方もない疲労が嘘のように吹き飛び、全身の細胞が活性化していくのを感じる。
「ごちそうさまでした。美味しかったです!」
リナは口元を拭い、自分たちの食事中、一度として新聞から視線を外すことのなかった店主へ、感謝の言葉を伝えた。
その言葉に、彼はパタンと新聞を閉じ、こちらへ視線を送る――その瞬間、彼は信じられないものを見るような目でリナを凝視した。
「まさか……ベスタ様以外にも眼や脳まで食べる奴がいるとは……しかも、そのベスタ様専用サイズの特大ジョッキまで平気な顔で飲み干すとは……あんた、正気か?」
店主の困惑しきった声が、静かな店内に虚しく響いた。
「……は?」
思わず口から、乾いた声が漏れ出た。
「どういうことですかね、ベスタ様?」
「どういうも何も……私はいつも通り、私専用のセットを人数分頼んで、いつも通りそれを食べた。それだけだ」
(……やってしまった)
薄々勘づいていたはずなのに……
目の前にいる女は、確かに「英雄」にふさわしい圧倒的な実力を持ってこそいるが、基本的には「バカ」であるということに。
完全に、彼女の言葉を鵜吞みにしてしまっていた……
「ベスタ様、このお嬢さんのお名前は?」
「リナ・フォーグナー。スクルタスの鑑定士、リナ・フォーグナーだ!」
リナの名を聞くと、店主はいそいそと店の奥から木製の板を持ち出し、店先で作業を始めた。
『当店史上二人目の頭部完食者にして、特大ジョッキ完飲者——ここに爆誕』
達筆な文字が、リナの輝かしい戦績を板に刻んでいく。
「……あの、まさかそれを飾るつもりじゃないですよね? ……なら、せめて名前だけは伏せて!」
しかし、リナの必死の懇願は、ベスタの爆音のような笑い声と、朝日とともに目覚めたシャリドールの喧騒の中に、虚しくかき消されていった。
◆ ◇
先ほどとは打って変わり、シャリドールの街は活気という名の熱気に覆い尽くされていた。
街の中央にそびえ立っているのが、天界へと至る転移門を擁する塔――『天導塔』。かつては天界の様式美に倣った巨塔は、今や機能美を追求したコンクリートと鉄筋の巨大構造物へと姿を変えていた。
そしてその麓には、すでに人だかりができあがっている。
「さて、今からあの列に並ぶわけだが……とんでもない長蛇だ。覚悟しとけよ」
ベスタは振り返り、鋭くリナの顔を射抜いた。
「……それともう一つ、超大事なことだ。リナ、人混みの中で決して私の名前を呼ぶなよ。いいな?」
「隠密行動のためですか? 反対勢力や敵対組織に察知されないように――」
「――当たり前だろ! もし私がここにいることがバレてみろ! 握手ざんまい、サインざんまいだぞ! ……いや、もっと最悪なのは、『陳情を届けてくれ』だの、『税金を下げてくれ』だの……とにかく、街中の連中に追いかけ回されることになるんだぞ!」
心底うんざりしたように、ベスタは貌を大きく歪めた。
「……英雄というのも、大変な職業なんですね」
呆れ混じりの溜め息を噛み殺しながらリナが呟くと、ベスタは胸を張り、我が意を得たりと深く頷いた。
「ああ、まったくその通りだ。だからな、ここからは名前じゃなくて、『お前』とか『姐さん』とか……いや、いっそ『お姉ちゃん』でもいいぞ――」
「――『お前』でお願いします」
視線の先で波打つ、果てしなく続く検問の列。
これから嫌でも付き合うことになるであろう膨大な待ち時間に、リナは深く胸の奥から溜め息を吐き出した。
◇ ◆
石畳の道は、世界の縮図そのものだった。
北の寒冷地から来たであろう青白い肌の巨漢。色鮮やかな装束を纏った商人。繊細な長耳を揺らすエルフ。立派な角と毛並みを蓄えた獣人たち。
多種多様な種族――その誰もが、天界という「約束の地」へ踏み入るために、通行証を固く握りしめ、焦れったい様子で列が進むのを待っている。
そんな熱気と焦燥がひしめき合う中で、リナは隣に立つ「英雄」のあまりに奇怪な挙動に、嫌な汗が止まらなかった。
「あの、ベス……お前は、何をしてるんですか? 早く貌を隠したらどうなんですか!」
周囲の視線を警戒し、息を潜めるように小声で囁く。
しかし、当のベスタはフードを被るどころか、サングラスすらかけず、堂々と貌を晒したまま、必死に頬を膨らませたり、鼻の下を伸ばしたり、目を内側に寄せたりと、全力の「変顔」を維持し続けていた。
「ららら、いまへんほうひへんふぁろうが! (だから、今変装してるだろうが!)」
「……はい?」
歪んだ口から漏れ出た謎の言語に、自分の耳を本気で疑った。
「もしかして……もう変装してるつもりなんですか?」
「ふぉうら! 『へひふうふぇふた』わ、ふごいびふぃんへゆうふぇいなろう? ふぁから、こうひてへんがおおひていれば、られもあひひとはひずかないってわけだ! (そうだ! 『英雄ベスタ』は、すごい美人で有名だろう? だから、こうして変顔をしていれば、誰も私だとは気付かないってわけだ!)」
顔面のあらゆる筋肉を総動員して歪ませながら、ベスタは誇らしげに胸を張った。
確かに、その貌にポスターに描かれているような凛々しく美しい面影は見る影もない。
だが、その常軌を逸した顔芸のせいで、周囲の者たちの奇異の目が、かえってすべて彼女に集中してしまっている。
「……お前、本当のバカなんですか。別の意味ですごく目立ってますよ!」
思わず頭を抱えた。
確かに、あの凛々しい英雄が、変顔晒しのバカだとは誰も思わないだろう。
だが問題は、このバカと一緒にあと何時間、注目の的になりながら、この列に並ばなければならないのか――
「――ねぇお母さん、どうしてベスタ様はあんな変顔してるの?」
列の少し前にいた少年の、澄み渡るような声が広場に響き渡った。
「なに言ってるの!? ベスタ様がこんなところで変顔してるわけ……」
母親がたしなめるように振り返り、そしてそのまま凍りついた。
どれほど顔面を歪めようとも、隠しきれるはずもない決定的な特徴が彼女にはありすぎる。燃えるような赤髪。右目を隠した眼帯。背中に背負った無骨な大剣。そして何より、全身から溢れ出る、隠しきれない圧倒的なオーラ……
「……ベスタ様よ!!! 本物のベスタ様だわ!!!」
その叫びが、火薬庫に投げ込まれた火種となった。
「えっ、どこ!?」
「本当だ、あの変な貌……いや、ベスタ様だ!」
「ベスタ様ー! こっち向いてー!」
「陳情書を受け取ってください!」
リナが絶望に目を見開いた瞬間には、すべてが終わっていた。
周囲の群衆が津波のように一斉に押し寄せる。整然と保たれていた列は一瞬で崩壊し、数千の人々がベスタを中心に狂乱の渦を作り上げた。
もはや、列を抑え込もうとする兵士たちの怒声すら聞こえない。
「ちょ、待て! 違う、私はベスタじゃない! 私はただの……貌の筋肉が痙攣してる通りすがりの……おい、押すな! 握手は一人一回だと言ってるだろ!」
分かりきっていた結末だったが、ベスタは見事にもみくちゃにされた。サインを求める色紙、差し出される子供、そして「増税を止めてくれ」と泣きつく老人。
群衆の波に弾き飛ばされ、端へと追いやられたリナは、激しく揉まれるバカ英雄の姿を、遠い目で見つめることしかできなかった――
『ベスタ!!! 貴様、いい加減にしろ!!!』
天を揺るがすような雷鳴のごとき怒声が響き渡った。
その威圧的な声に、思わず背筋がピンと伸びる。それは、ベスタを取り囲んでいた群衆や兵士たちも同様だった。
怒号は、遥か上空――『天導塔』の最上部から降ってきた。だがどれだけ目を凝らそうとも、声の主の姿など見えるはずがない。
「げっ、サオリ……」
しかし、ベスタだけはその声の主が誰なのか、即座に理解できたらしい。
そして、口にされた女性の名に、リナは脳裏で思い浮かぶ人物の顔を描きながら、兵士たちの手によってさっさと彼女のもとまで運ばれていくこととなった。
アイスドラゴン
竜の一種、氷竜とも呼ばれる
他の種とは異なり、冷気の魔力を操る
山嶺や極地などの過酷な寒冷地に生息しており
人の生活区へと降りてくることも稀である
その魔力は主の死後も、その肉を冷やし続ける




