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叛神煩戯  作者: みかんのみ
鑑定士編 蠢くモノたち

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24/62

24話「異形天魔の眷属:母艦」

市長候補の鑑定結果


鑑定士リナが視た

スクルタス市長候補、ウィリアム・ハリスの追憶


奇天烈で珍妙な能力を与えられた男は

それでも自分が選ばれた存在だと信じたかった


実業家として名を馳せた後も

その熱は冷めるどころかさらに強まった

そして彼は英雄に憧れた

 温かな光を湛えた無の空間に、ひとりの人間の輪郭が浮かぶ。肉体、記憶、精神……『斎藤ハジメ』という個を構成するすべてが、「ここ」にあるはずである。

 しかし今、その輪郭の中心には「異物」が脈動していた。

 本来であれば、色彩豊かな光で埋められているはずの「器」に、吐き気を催すような質感を持った「触手の塊」が蠢いている。その触手は、ハジメの輪郭の隅々まで、まるで血管を模して広がっていた。


「これが……ハジメさんを支配している、子機……」


 生理的な嫌悪感を押し殺し、その塊へ目を凝らす。

 その子機は、一本の太く禍々しい巨腕のような触手によって、抑えつけられるようにハジメの深部に埋め込まれていた。

 ソレは、『斎藤ハジメ』という個人の領域を超え、真っ暗な「穴」から伸びてきている。


「コレがきっと……『マザーベース<母艦>』ね」


 この巨大な触手こそが、外部――『異形天魔』の領域へ繋がる唯一の「道」だ。

 リナは覚悟を決めると穴を潜り抜け、触手を道標に、深淵の中を泳いでいった。


 ◆ ◇ ◇ ◇


 どれほどの時間、暗闇を潜り続けただろうか。

 触手の最終地点へとたどり着いたリナは、そこに鎮座する「絶望」の正体を目の当たりにした。

 ソレは、精神世界という広大で暗い深海の中に浮かぶ、見上げるほどに巨大な「烏賊」を思わせる『異形』の生物だった。数え切れない触手が縦横無尽に伸ばされ、その先端では色とりどりの光を放つエネルギーが、絶え間なく吸い上げられていく。

 吸い上げられた光は、触手の中を通り、烏賊の頭部へと次々に送られる。その透き通った頭の内部では、同じような光が狂おしいほど密に詰め込まれ、渦巻いていた。


「コレでまだ……『眷属』に過ぎないっていうの……!?」


 視界を埋め尽くすようにそびえ立つ、巨大な烏賊のような母艦。その存在が放つ圧倒的なプレッシャーに、戦慄を覚えずにはいられなかった。

 だが、これほどの規模の存在が、さらに上位のナニカに従う一部に過ぎないという事実。ソレは、世界が直面している危機の計り知れない根深さを物語っていた。


 絶望の波に呑まれそうになったその時、左手に握っていた拳銃が、激しく熱を帯びて拍動を始めた。

 その熱に応えるかのように、烏賊の半透明な頭部の奥で、無数に渦巻く光の中から、ひとつの輝きが弾け飛んだ。それは他の光たちとの混濁を拒むように力強く、烏賊の皮膚をすり抜け、リナの元へと一直線に泳いでくる。


「……ハジメさんなの?」


 リナは祈るような心地で、その目の前に留まった温かな光の集まりへ右手を伸ばした。


――雨の日に、小さな息子を傘に入れて歩いた記憶。


――組織の末端として、無力感に苛まれながらも正義を貫こうとした誇り。


――どんな絶望の中でも、家族を想い続けた不器用なほどに真っ直ぐな愛情。


 ノイズは一切ない。混じりけのないその記憶は、間違いなく拳銃に刻まれたものと同じだった。


 ◇ ◆ ◇ ◇


 リナは、「路地裏」に立っていた。

 目の前には、銃を構える一人の警察の背中。そして彼の視線の先には、今まさに崩れ落ちていく女性の姿と、不気味に蠢く白い触手の異形があった。


 だが、引き金に添えられた指は、あと数ミリのところで止まってしまう。

 助けたい、目の前の命を救いたいという純粋な気持ち。しかし同時に心を満たすのは、発砲の適法性と合理的根拠――警察官として背負うべき倫理観。

 その一瞬の、あまりにも人間的な迷いが、決して許されない隙となる。

 逡巡の瞬間、鈍い赤色の光を放つ眸がその身体を捉えた。


 リナは、自らの左手に残る冷たい金属の感触――ハジメの想いが刻まれた拳銃を見つめた。


「ハジメさん……あなたは、警察官である前に、ただ、誰かを守りたかっただけなのよね」


 リナは静かに銃を構え、その引き金に指をかける。

 銃口から激しい火花が散った。放たれた弾丸が触手を貫く。

 それは、記憶の中の幻想に過ぎない。現実の世界では、ただの空砲にすら及ばないただの仮想。

 それでも、彼には自分自身を許すための――未練から解き放たれるための「儀式」が必要だった。


 路地裏の風景が縁から白く掠れ、霧散していく。意識は再び、深海のように深い精神世界へと引き戻されていった。


 ◇ ◇ ◆ ◇


――ヴォォォ……!!!


 静寂に包まれていた精神世界が、地鳴りのような咆哮を上げて激しく震えだした。

 眼前に鎮座する巨大な烏賊。その虚ろだった眸が、内側から滾りあがるような禍々しい赤色に染まっていく。

 システムに侵入した「異物」、そして厳重な管理下にあったはずの「データ」の逸脱。それらの異常を検知したマザーベースは、防衛本能という名の狂気を剥き出しにした。


「……気づかれた!」


 直後、それまでは情報の転送路として蠢いていた膨大な触手が、一斉にその先端をリナたちへ向け、うねり始める。


「逃がさないってわけね……!」


 出口はわかっている。ハジメの精神へと続く「穴」は塞がっていない。

 だが、マザーベースがそれを許さない。巨大な触手群が、網の目のように空間を埋め尽くしていく。触手は何度も分裂を繰り返し、一本が百本に、百本が千本へと狂ったように増殖し、退路を幾重にも遮断する。


「くっ……邪魔しないで!」


 身をよじり、迫り来る触手をかわす。だが、一本の触手が、足首に絡みついた。つられるようにして無数の触手が全身へと群がり、締め付けてくる。

 ハジメの魂を覆い隠すように身を丸めるが、わずかな隙間を破り、細い触手が忍び込んでくる。

 禍々しい先端が、ハジメの魂に接触する――


 しかし、不意に身体を縛り上げていた圧迫感が消失した。全身を絡めとっていた触手から、まるで命の灯火が消えたかのように急激に力が抜け落ちた。

 リナはハジメの無事を確かめると、触手を振り払う。そして、その先に広がっていた光景に、彼女は目を丸めた。


 巨大な烏賊の全身に、何十、何百という「漆黒の鎖のような魔力」が、絡みついている。「鎖」は異形の皮膚に深く食い込み、その荒れ狂う動きを暴力的なまでの力で押さえつけていた。

 それは明らかに、「何者か」が外部から強引に封じ込めている力だった。

 マザーベースは断末魔のような軋み声を上げるが、その絶対的な拘束を振り払うことは叶わない。


「今しかないわね……」


 突如として訪れた、千載一遇の好機。

 ハジメの魂を抱えたまま、力なく漂う触手群の隙間を縫うようにして、白光を放つ出口へと全速力で飛び込む。

 背後で赤く燃え盛る巨大な眸が、屈辱に震えながら遠ざかっていく。

 リナの意識は、猛烈な重力に引かれるように、現実世界の冷たい空気の中へと引き戻されていった。


 ◇ ◇ ◇ ◆


――13紀 2114年 冥結の月 6日 9:24 p.m.


「……っ、はぁっ!」


 全身を襲う激しい倦怠感に、思わず膝をつく。

 途切れがちな視界の先には、先ほどまでの猛攻が嘘であったかのように、静止したハジメの姿があった。


「リナ! 戻ったのか!? ……うまくいったのか?」


 武器を構えたまま、キョウカが緊張の解けない声で叫んだ。


「父さんっ!」


 ヒカルがたまらず駆け寄り、動かなくなった父の肩を掴んだ――その時だった。


「が、はっ……、おえっ……!」


 激しく溺れた後のように、重苦しいせき込みがハジメの喉から溢れ出した。

 苦悶に顔を歪めるハジメの口から、どろりとした不快な粘液と共に、一匹の『異形』が吐き出される。

 ソレは、小指ほどの小さく白い蛭のような生体だった。半透明の身体を不気味にうねらせ、ハジメの体内から吐き出された後も、未練がましく冷たい床の上で悶えている。


「なるほど。これが『子機』の本体ですか。本物の精神データが戻ったことで、体内に居場所がなくなったようですね」


 いつの間にか歩み寄っていたクルルが、感嘆の声を漏らしながらその場にしゃがみ込んだ。彼は躊躇の欠片もなくピンセットでソレを摘まみ上げると、手際よく用意していた試験管へと放り込んだ。


「……リナ。お前、一体中で何をした?」


 未だ荒い息を吐き続けるリナの顔を覗き込み、キョウカが怪訝そうに眉をひそめる。


「お前がハジメさんに触れてからすぐだ。『魔力奔流』が、嘘みたいに綺麗に収まりやがった」


 その言葉に、思わずハッと息を呑んだ。

 先ほどまで街を覆っていたはずの、津波のように押し寄せる魔力は跡形もなく消え去っていた。


「私が何かしたわけじゃないわ。こっちでも、急にマザーベースが動きを停止させられた……誰かが、干渉してきたみたいに……」


 リナが呟いた言葉を聞いた瞬間、試験管に収まった白い蛭を観察していたクルルが、瞳を妖しく光らせた。


「ふむ……やはり、何者かが介入してきましたか」


 クルルは緩やかに立ち上がると、地下の天井――そのさらに上、地上を見上げるような仕草を見せた。


「手持ち無沙汰だったので少し調べてみたのですが、『魔力奔流』の魔力の主は、少なくとも『天魔』ではありませんね。彼らの魔力であれば、特異性がありますから」


 彼は顎に手を当て、どこか楽しげな独り言のように言葉を紡ぐ。


「『天界』か、あるいはもっと別の『律』の持ち主か。いずれにせよ、これほどの“災害”を引き起こし、天魔すら律する存在が、この世界のどこかに潜んでいるということです」


 そう語り終えるとクルルは、再び興味深げな視線を試験管の中へと落とした。


「……ヒ、カル……か?」


 掠れた声が、地下の冷たい空間に響いた。


「……父さん!? よかった、本当に……!」


 ヒカルは、まるでガラス細工の壊れ物を扱うように父を優しく抱きしめ、子供のように声を上げて泣いた。

 息子の腕に包まれたハジメの瞳からは、つい先ほどまで宿っていた冷酷な赤い光はなく、穏やかで優しい父親の眼差しが戻っていた。

 その静かな親子の再会を、リナとキョウカはただじっと見守った。


「ああ、ハジメさん! なんという奇跡だ!」


 だが、その感動的な静寂を、あまりにも無神経な声が踏み荒らした。


「私は、あなたが必ず意識を取り戻すと! そう信じていましたよ! 私の懸命な指示と、この優秀な鑑定士諸君の尽力が実を結んだ。正義が勝ったのです!」


 つい数分前まで恐怖で腰を抜かし、ハジメを指さして「処刑しろ」と叫んでいた男とは到底思えない。いつの間にか立ち上がっていたハリスは、大げさな身振りを交えながら、我が物顔で歩み寄ってきた。


「さすがはスクルタスの誇る優秀な警察官だ。さあ、私と一緒に地上へ戻りましょう。市民があなたの生還を待っている!」


 恩着せがましくハジメの肩へ手を置くハリス。

 そのあまりの露骨な豹変ぶりに、リナは言葉を失い、キョウカの額には青筋が浮かんだ。


「あなたのおかげで、ようやく街の謎を解く糸口が掴めた。さあ、私と共に輝かしい――」


――ドガァァァンッ!!!


 地下全体に轟音が鳴り響いた。それと同時に、月光がリナたちを照らし出す。

 降り注ぐ巨大な瓦礫の雨の中に、一筋の燃えるような赤が躍動した。


「こっちは空回りだった――!」


 大地を揺らし地下へと着地したのは、燃えるような赤髪をなびかせた英雄――ベスタ・ルクセンブルクだった。

 彼女は無骨な大剣で地を穿ち、文字通り地上から最短距離でこの地下貯水槽まで突破してきたのだ。


「だからせめて、そこの『バカ』の回収くらいはさせてもらおうか」


 ベスタの鋭い視線が、恐怖で凍りついたハリスを射抜いた。

 頭上を見上げれば、彼女が強引に開けた「大穴」の縁には、白銀の甲冑たちが、隙間もないほどびっしりと立ち並んでいた。


「おい! 待て、何をする!? 私はこの事件の解明者だぞ! 英雄なのだ!」


 事態を飲み込めぬまま取り乱すハリスの両手は、降りてきた天界の兵士たちによって手際よく拘束された。


「鑑定士! 君からも説明してくれ! 私がこの惨劇を止めたのだと! なんとか言ってやってくれ!」


 ハリスは血走った目でリナの方を振り返り、狂ったように叫んだ。


「……ちょっと何言ってるのか分からないんですけど……とりあえず、感動劇の邪魔なんで早く連行してもらっていいですか」


 リナは肩をすくめ、短く笑った。

 見苦しく喚き続けるハリスの前へ、兵士が一歩踏み出した。


「ウィリアム・ハリス。貴様を傷害罪、および殺人未遂の容疑で連行する」


「な、何だと……!? 私は彼を救おうと……!」


「黙れ。証拠も証言も揃っている」


 兵士たちは、抗議の声を上げるハリスの身体を強引に持ち上げ、穴の上へと引き上げていく。

 彼らと入れ替わるように地上から降り立った救護班が、床に転がっていた兵たちを次々と担架へ乗せ、迅速に運び出していった。

 つい数分前まで、この地下を支配していたハリスの「帝国」は、圧倒的な力によって跡形もなく解体されていったのだった。


「こっちはなんの手がかりもなしだ。『異形天魔』の姿すら見つけれてねぇ」


 冷たい床に深々と突き立てられた大剣。ベスタはその柄にどっしりと体重を預け、忌々しげに言い放った。


「それもこれも……」


 一度言葉を区切ると、彼女は夜空を睨みつけるように目を細めた。


「……『魔力奔流』のせいだ。確かに、『天魔』の魔力は感じたんだがな。だが、私らの捜索を邪魔するように、魔力が吹き暴れてやがった。まるで――『ホンモノ』の居場所を悟らせないためのデコイだ!」


 ベスタの言葉に、リナの背筋に悪寒が駆け抜けた。

 マザーベースを縛り上げた「鎖」。そして、ベスタの追跡すら阻んだ「魔力奔流」。それらはとても、『異形天魔』の意志とは思えなかった。

 盤面を裏で冷徹に動かしている、さらに強大で狡猾な「第三者の介入」があるとしか……


「……誰かが、『天魔』すらも利用しているってこと?」


 リナが小さく呟くと、ベスタは答えの出ない思考を振り払うように、乱暴な手つきで赤髪を掻き上げた。


「まあ、そういう頭の痛い話は『対策課』のオタクどもにでも任せておけばいいさ。私らが無駄に頭を悩ませることじゃねぇ」


 苛立ちを強引に破棄するように、ベスタは豪快な笑い声を響かせた。


「それよりもだ……」


 異様に輝く黄金の左目が細められ、リナをまっすぐに射抜いた。


「よく意識不明者の治療法を見つけたな! 私らが盛大に空振りしてる間に、お前がこの街の救世主になったってわけだ!」


 ガシガシと、大きな手がリナの頭を容赦なく撫で回す。


「い、痛い……です。ベスタ……様!」


 ぐちゃぐちゃに髪を乱され、思わず顔をしかめる。しかし、痛む頭皮とは裏腹に、胸の奥にはじんわりとした温かい誇らしさが満ちていた。

 キョウカはそのやり取りを呆れたように肩をすくめて眺めている。

 一方で、クルルは試験管の中の「サンプル」をなぞるように、見つめていた。

 そして、その横ではヒカルと、彼に支えられるハジメが、リナに向けて深く頭を下げていた。


 漆黒の鎖のような魔力の主。そして街を呑み込んだ魔力奔流の真因。解き明かすべき謎は、より深く重く横たわった。

 けれど間違いなく、リナが泥臭く掴み取った「解」は、この街を救う「鍵」となったのだ。

マザーベース


異形天魔の眷属

無数の触手を携えた、巨大な烏賊のような姿をする


現実世界に解き放たれた子機が集めた非能力者の魂を

精神世界で能力者のモノへと書き換える

その魂を返却し、新たな能力者が世界に誕生する


しかし、そこには致命的な欠陥があった

能力者の魂に、非能力者の肉体は耐えられない

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